2020年3月1日日曜日

北海道における石灰岩研究史(6)


北海道における石灰岩研究史(6)

5)化石がしめす北海道の地史=石灰岩からの産出化石を中心として=

 初期の地質調査は,砂金や石炭などの即効性のある鉱産物が対象でした(1:くさわけ時代,2:北海道鉱物調査報告の時代).それらの調査がどのように進められてきたかは,前述した通りです.これらの調査は時代に翻弄され,急激な進展を見せたり停滞したり紆余曲折がありましたが,やがて様々な鉱産物や工業原料が求められるようになると(3:北海道有用鉱産物調査報告の時代),圧倒的な地質屋不足,研究機関不足が明瞭となり,大学に地質学教室が設置され,各種地質研究機関が誕生します.そして「4)戦後の再吟味時代」が始まります.地方の大学研究室および各種地質研究機関が設置されると,前時代的な有用鉱産物調査だけではなく,その鉱産物がいつどのようにして生まれてきたかなどの研究や,その鉱産物が含まれる岩体・地層の成り立ちを突き止める研究がなされるようになってきました.
 そんな中で最初に注目を引いたのが,周囲の母岩には化石が少なくても,有効な化石が見つかることの多い「石灰岩」でした.石灰岩は,地味な色の多い地層の中でもおおくは「白色」であり,なおかつ「固い」ために露頭として飛び出して見えるのも注目を浴びやすい点です.

オルビトリナ石灰岩

 そんな中で,最初に化石の入った石灰岩に注目したのは「草分け時代」の神保小虎でした(神保,1892).以下,原文は英文で矢部(1901)の和訳から引用しました.

ソラチ河の瀧の上殆んど三里許り上流*のパンケトプトエウシナイ河口より少し上みに其第一露出あり此石灰岩は灰色綴密にして均等に、海膽線を其風化せる表面に見るを得ベし此外に又有孔虫あり第二はパプケテシマの上み**にありて前者と仝性を示し白方解石脉あり此中にも仝一の有孔虫化石珊瑚及介の碎片あり以上二ヶの石灰岩は四國に於ける鳥の巣石灰岩***中に含まるる海膽棘に類似せるものを包有するが故に只之れを中生紀のものとして起載し置くベし

 ここで「三里許り上流*」とあるのは,現在の芦別市滝里湖南岸附近のことです.また,「パプケテシマの上み**」は地名が失われていますが,現在の中富良野町富問附近の空知川の西岸・芦別市側かと思われます.また「鳥の巣石灰岩***」は「鳥ノ巣石灰岩」「鳥巣石灰岩」が一般的な表記かと思われますが,実際には様々に表記されています.それは「高知県佐川地域の鳥巣周辺に模式的に露出する石灰岩.暗灰色・瀝青質で,ハンマーで叩くと石油臭を発する.サンゴ・ストロマトポラ類・石灰藻・ウニ・有孔虫・腕足類・巻貝・二枚貝などの化石を豊富に含み,礁性と考えられる.ジュラ紀~下部白亜系鳥巣層群および相当層に含まれる.周囲の地層に対して整合的な場合と,異地性岩体として含まれる場合とがある.(新版地学事典)」です.

 神保(1892)の注意を引いた石灰岩は,その後矢部(1901)によって「オルビトリナ石灰岩」であることが明らかにされました.この時,矢部はOrbitolina concava Lam.と同定しましたが,その後,Yabe and Hanzawa (1926)は複数の地域のオルビトリナ石灰岩を調べてOrbitolina discoidea-conoidea var. ezoensis, O. japonica, O. planoeonvexa, O. shikokuensisなど複数の新種を記載しています.Yabe (1926; 1927)は,空知川下流部の石灰岩を含む部分は下部菊石層下部の代表的地層として挙げました.そしてやがてオルビトリナ石灰岩はもっと南方にも続いていることもわかってきました.そのことは長尾巧(1932)によって一括して報告されています.

 ここで「菊石層とはなにか」について蛇足.
 ライマン(1877)は石狩炭田の調査において,アンモナイトを含む主に頁岩からなる下部の地層とその上位の夾炭層さらにその上位の貝化石を含む頁岩を合わせて「幌向層」と名付け,下部は「白亜紀」で上部は「第三紀」であろうとしました.
 横山又次郎は北海道産アンモナイト化石をインドのアンモナイト化石帯に対比し,セノマン~ゴールト(現在の標準層序ではセノマン階~オーブ階中・上部)を表すものであろう(白亜紀前-後世にあたる)としました(Yokoyama, 1890
 神保小虎は,北海道地質調査とその産出化石から白亜紀層,第三紀層の存在を示しました.この時,多くの白亜紀化石を調べ横山の説を裏付けています(神保,1889Jimbo, 1894).
 その後,複数の外国人研究者が北海道のアンモナイト研究において,白亜紀時代論に言及してますが,これらの論文を集めるのはしんどいので省略.

 そして,矢部(1901a)は以下のように考えました.

第三紀層  上部第三紀層  上層━━━━━━━━━━━プリオシン?
              下層━━━━━━━━━━━ミオシン?
      下部第三紀層乃夾炭層━━━━━━━━━━━エオシン
白亜紀層  上部アンモナイト層━━━━━━━━━━━━セノニアン
      砂岩層       ペクトンキュルス帯 ┳ツーロニアン
                テチス帯      ┛
                トリゴニア帯━━━━┳セノマニアン
      下部アンモナイト層━━━━━━━━━━━┛

 矢部は1926年にも,北海道の白亜系の区分を提唱し,下位からI. The Lower Ammonites Beds, II. The Trigonia Sandstone, III. The Upper Ammonites Beds, The Hakobuchi Sandstone に分けています(Yabe, 1926).

 白亜系の“アンモナイト層”という名付け方は異様ですが,当時の化石研究者間では地層から離れて化石を論じるという,現代では不思議なことが行われていたのです(もちろん,矢部も“地層の研究と化石の研究が両立して完成する”と述べています).
 さてこの後の経緯は少し不詳なところが多いですが,“アンモナイト=菊石”ということで,「菊石層」あるいは「菊石層群」と呼ばれて使われてきたようです.

 松本達郎は,それまでの研究結果を要約して北海道・樺太の中軸部に分布する白亜系を下位から鬼刺層群下部菊石層群中部菊石層群(三角貝砂岩・その他の亜層群を並列)上部菊石層群函淵層群と区分しました(松本,1942-1943).
 1951年,松本達郎はこれらの区分についていくつかの問題点を指摘し,新しい名称を提案.それは菊石層群の代わりに「蝦夷層群(Yezo group)」の名を使うことでした.その理由は,菊石層群三角貝砂岩層の名称で外国語で論文を書いたり,外国人に説明したりする場合を考えれば一目瞭然ですね.Ammonite BedsTrigonia sandstone など,あるところにはどこにでもありそうで,地名が示されていないのでどこのアンモナイト層だか三角貝砂岩だかさっぱりわからないことになるからです.また,矢部が模式地とした幾春別地域ではThe Lower Ammonites Bedsは後の研究では露出しておらず,The Lower Ammonites Bedsに産出する典型的な化石としたOrbitolina (注:アンモナイト類ではない)が見いだされるオルビトリナ石灰岩は空知川沿いにあり,こちらの地層はアンモナイトはほとんど産出しませんでした.もちろん“中部菊石層群”の元名である「三角貝(トリゴニア)」はからもほとんど“菊石”は産出しません.こういった意味では,“菊石~”をやめて「蝦夷~」の使用を提案したのはリーズナブルだったかもしれません.

 これでかなり判りやすくはなりますが,この名称では「蝦夷層群」が上部・中部・下部亜層群の三つに分かれるものなのか(その場合は上部蝦夷亜層群・中部蝦夷亜層群・下部蝦夷亜層群でなければおかしい),上部蝦夷層群・中部蝦夷層群・下部蝦夷層群をまとめて「~~累層群」として扱うのか(この場合は三つの層群に別々の地名を与えなければおかしい),どっちにしても矛盾というか違和感の残る命名となります(その後,実際にそういう混乱が起きている:Takashima et al., 2004;川村ほか,2008が整理していますので参照のこと).
 じつはこの頃,日本地質学会では「地層命名基準」が議論されている最中で,我々はその結果を知っていますが,この論文の時の松本達郎はまだ知る由もありません.そして,命名基準が条文化されてみると,「層群名」の頭に「上部・中部・下部」をつけるのは基準に合わないことになってしまいました.しかし,そのまま使われていました.
 そしてTakashima et al. (2004)では,この当時ではすでに「蝦夷累層群(上部~下部蝦夷層群+函淵層群)」と呼ばれるようになっていたものを「蝦夷層群」にランクダウンし,地方の岩相にあわせた「~累層」を統合するという形に修正されました(わたしが某博物館に勤めるようになって,その地域の白亜系の研究史を調べはじめた時に「おかしい,おかしい」,「すっきりしない」と悩んでいた事項が,実にすっきり解決されました.(^^; この話を当時の大学の某先生達にした時には,無視されるか,「そんなちっぽけなこと」と言われたんですが…).

 少し寄り道します.
 その後の,オルビトリナの分類に関しては紆余曲折があり(これもきちんとまとめておくべきかと思いますが,いまその余裕がないので話を進めます(^^;),伊庭ほか(2005)にまとめられたものから引用しますと
 「Orbitolina の分類で最も重要な形質は,殻頂部に位置する幼殻部の構造とその大きさである(Hofker,1963; Schroeder,1962 など).Hofker1963)は,白亜紀の Orbitolina には1つの進化系列しか認められないとし,これを進化学的種である Orbitolina lenticularis (Blumenbach) 1種にまとめた.さらに幼殻部の構造およびそのサイズの時代的変化に基づき form group IIIを設けた.オルビトリナ石灰岩について検討をしたMatsumaru (1971) をはじめ,日本におけるすべての Orbitolina の研究(氏家・楠川,1968;松丸ほか,1976など)は,このHofker (1963)の分類に従っている.一方,Schroeder (1962, 1975) は,白亜紀の Orbitolina に複数の進化系列を認め,Hofker (1963) Orbitolina lenticularis Orbitolina 以外の属や短い生存期間の種が存在することを指摘している.現在では Schroeder (1962, 1975)の分類の方が一般的に支持されている」としています.そして,両方の分類体系に従って各地のOrbitolinaを再検討しています.
 この時の伊庭ほか(2005)の主たる話題は天塩中川地域の石灰岩礫から発見されたOrbitolinaについてですが,天塩中川のOrbitolinaは「Hofker (1963) Orbitolina lenticularis form group IIに相当」するとし,Matsumaru (1971)が「滝里地域のオルビトリナ石灰岩から Orbitolina lenticularis form group IIを報告しており,今回中川で発見されたものはこれと同じform group に属する」としています.北海道で最初に見つかったOrbitolinaは「Orbitolina lenticularis form group IIということですね.また,「この標本の形態的特徴は Schroeder (1975, 1979)の分類では Orbitolina (Mesorbitolina) parva (Douglass)- O. (M.) texana (Roemer)系列のものと一致する.O. lenticularis form group IIは後期 Aptian~前期 Albianを示し(Hofker, 1963),一方,O. (M.) parva-O. (M.) texana 系列も後期 Aptian ~前期 Albian を示すことから(Schroeder, 1975, 1979; Arnaud-Vanneau, 1998」矛盾しないと結論しました.したがって,滝里地域のOrbitolinaも後期 Aptian ~前期 Albianであるということになります.

 さて,このオルビトリナ石灰岩は,はるか南方夕張市まで点々と繋がってゆきます.北方へは矢部(1901)が報告した上川郡鷹栖町にある(あった:現在はまぼろしの石灰岩です)オルビトリナ石灰岩が最北限でしたが,現在は伊庭ほか(2005)が報告した天塩中川地域のものが最北限となりました.
 さて下部蝦夷層群(と言ったらもう怒られるので,「蝦夷層群下部」に訂正しときます.わざとらし~ (^^;;)のオルビトリナ石灰岩は,なぜこんなに点々と延々と繋がってゆくのでしょうか.その問題に挑んだ人たちがいます.その前に,滝里のオルビトリナ石灰岩は典型的とは言いかねるようですし,鷹栖のオルビトリナ石灰岩は最初の発見後1/5万地質図幅調査の頃までは確かにあったようですが,その後新しいタイプの古生物学者が再調査を始めた時期には行方不明となっており,その内容は未確認です.そこで,芦別市にある崕山のオルビトリナ石灰岩を例にその詳細について見てみます.

筆者が入手した鷹栖石灰岩中のオルビトリナ

 オルビトリナ石灰岩とは言いますが,オルビトリナのほかにサンゴや二枚貝,巻貝などの化石が多数含まれ,顕微鏡などを用いると石灰藻や有孔虫などの微化石も含まれていることが判ります.そう,もとはサンゴ礁の構成物なのですから.
 1972年,勘米良亀齢と小畠郁生はオルビトリナ石灰岩は「浅海における礁やバイオハーム(化石の産状を示す用語:サンゴ礁起源を暗示する)と解釈」しました(勘米良・小畠,1972).さらに佐野(1995a, 2000)やSano (1995b) は岩相・化石相から,この石灰岩は大陸縁の陸棚におけるものであることを提唱しました.同時に,この石灰岩は白亜紀の北西太平洋域で最も高緯度に形成された礁性石灰岩であることから,当時の温暖化イベントを示す重要な証拠と考えられました.簡単に言えば,白亜紀の北海道はサンゴ礁ができるほどの暖かさだったということです.

 ところで,このオルビトリナ石灰岩は根がありません.サンゴ礁の土台となる地質が存在しないということです.これについてSano (1995b),川辺ほか(1996),三次・平野(1997),高嶋ほか(1997a, b),川村ほか(1999),佐野(2000)などは,これらの石灰岩が現地性のものではなく,オリストストローム(海底地滑りによってほぼ同時代のオリストリス(=地層片)がより深海の堆積物に滑り込んできたもの)によって再堆積したものであることを明らかにしてきました.
 さらに,白亜紀の温暖化はアプチアンからチューロニアンに至るまで断続的に継続しているにもかかわらず(高嶋・西,2017参照),北西太平洋域(つまり現在の北海道付近)では,この石灰岩の堆積後は礁性石灰岩が形成されなくなり,またテチス海と北西太平洋で生物地理区の分化が生じるようになるといいます.つまり,陸上は暖かいのに海域はそうではなくなったということですね.これについて,Iba and Sano (2007, 2008) Iba et al. (2011b, c)は,南米・アフリカ大陸間のゲートウェイの開通やベーリング地峡の成立に伴なって,地球規模の海流系の変化がおこり,古黒潮のような暖流の北上が弱まったためではないかと説明しています.

 さて,明治に始まった,最初は鉱物資源としてその位置や大きさを調べるだけだった石灰岩研究は,やがて地層の時代をそれに含まれる化石によって調べる材料となり,さらには地球の歴史と環境の変化まで理解する手段となったわけです.

 じつはここまで,「オルビトリナ石灰岩」と「鳥巣型石灰岩」とは,同じものであるようなないような書き方をしてきました.私自身もこの時点まで混乱しています((^^;).このあたりもきちんと経緯を調べればいいのですが,今その余裕がありません.いずれ時間ができたなら…ということで.
 それで思い出すのは,わたしが北大の研究生だった頃,地団研北大班・班報の編集長を任されていたのですが,当時わたしの配下の記者だったMMさん(まだ学生で,当時の大学院生のアイドルでした),彼女がとってきた記事がありました.題は「ネリネアについて」(だったかな?)で,加藤北大名誉教授(当時は助教授)の執筆でした.このあたりの石灰岩から産する化石について歴史的に記述してありました.ひと目読んだわたしは,これは読んだ後捨てられるような「班報」ではなく,残される可能性の高い「支部報(ボレアロピテクス)」に載っけるべきだろうなと思いましたが,すでに彼女はガリ切り(懐かしいなあ(T_T))を始めてましたし,なにせ彼女が取ってきた記事ですので,そのまま班報に掲載されました.案の定,今となってはその記事はどこへ行ったか判りません.残念です((T_T)).
(つづく)


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