2020年3月10日火曜日

北海道における石灰岩研究史(8)


北海道における石灰岩研究史(8)

当麻の石灰岩群
 藤原・庄谷(1964),鈴木ほか(1966)は当麻・愛別地域において,先第三系を先白亜系(日高累層群)と未分離白亜系に分け,先白亜系を「愛別層」と「当麻層」,未分離白亜系を「開明層」としました.そのうち,石灰岩を含む地層は当麻層で一括されています.鈴木ほかは当麻層は「空知層群の一部に…対比できそうである」としています.石灰岩は,顕著なものは熊の沢岩体(北隣の愛別図幅内),三丿沢岩体(当麻鍾乳洞を含む),小沢岩体(牛朱別川支流小沢沿い),椴山岩体(牛朱別川支流石渡川沿い)と呼ばれ,四ヶ所あります.
 1975年,橋本亘等は椴山岩体からペルム紀の紡錘虫と三畳紀のコノドントを報告しました(橋本ほか,1975英文).椴山岩体は地層の累重関係は以下のように示されています.

  火砕岩……………………………………………………………………………10m
  琥珀色塊状チャート……………………………………………………………20m
  含ペルム紀紡錘虫灰色石灰岩…………………………………………………2m
  塊状チャートと粗粒砂岩の互層………………………………………………180m
  含後期三畳紀コノドント石灰岩レンズを挟んだ黒色頁岩とチャート……10m
  塊状チャートと火砕岩類………………………………………………………30m

 ペルム紀石灰岩は紡錘虫のほかに石灰藻,小型有孔虫,苔虫類を含んでいます.紡錘虫類として見いだされたものは以下の通り.

  Nankinella cf. inflata (Colani),
  N. spp.,
  Staffella sp.,
  Reichelina sp.
  Schubertella (?) sp.

 これらの化石群では確定的なことはいえませんが,Reichelinaの存在から,上部の中部~上部ペルム系を示していると橋本らは結論しています.

 一方,三畳紀石灰岩は3m以下の厚さで,Batostomella様苔虫類と石灰藻を含みます.見いだされたコノドントは以下の通り.

  Palagondolella polygnathiformis (Budurov and Stefanov)
  Xaniognathus tortilis (Tatge)

 P. polygnathiformisはラディニアン階~カーニアン階の示準化石であり,おなじ群集はすでに猪郷ほか(1974英文)によって比布町の突哨山石灰岩から報告されています.当麻層はペルム紀と三畳紀の石灰岩を含み,その下部は(日高層群に属するとされる)愛別層を整合的に覆っていると考えられていますので,いわゆる日高層群とされる各地の地層は再検討されるべきだと橋本らは主張していました.そして,再検討が始まります.

 北海道のあちこちで再検討がされましたが,それを全部追いかけるのは大変なので,上川盆地・当麻・比布地域の石灰岩を中心に歴史を追います(本当は道南地域もやりたいのだけど,力尽きたので別の機会に(^^;).

 加藤幸弘は1983年度の卒業論文として当麻周辺の先第三系の層序を再検討しました.その結果とその後の追加調査の結果は,加藤ほか(19841986),Kato and Iwata (1989)として報告されています.すでに,“日高累層群”が分布するといわれたあちこちの地域から,様々な時代の化石が報告され,整合で累重するとされた地層同士の関係も,ほとんどが断層であるとされる時代に入っていました.
 当麻地域でも,当麻層中の石灰岩からペルム紀の紡錘虫,三畳紀のコノドントが発見され,当麻層は1)ペルム紀から三畳紀にかけての堆積物であること,2)全体として開明層,当麻層,愛別層の順に整合的に累重していると考えられていました(Hashimoto et al., 1975;橋本ほか,1975)が,多くの地域で石灰岩から産出する化石とその基質/母岩からでる化石とは時代が異なることが指摘されはじめていたのです.
 当麻地域の再検討でも,各地層はブロックとして断層で接触しているとされました(そう考える方が判りやすい,そう考えないと理解ができないということでしょうけど).そして,開明層の頁岩からは白亜紀後世(Early Cenomanian)の放散虫が産出し,当麻層からは橋本らが報告した中~後期ペルム紀の石灰岩,三畳紀(Late Ladinian ~ Carnian)の石灰岩のほか,(加藤ほか,1986の)TC1(チャートと石灰岩の互層)からジュラ紀末(Kimmeridgian~Tithonian)の放散虫,TC2(淡緑色頁岩)から白亜紀前期(Valanginian~Hauterivian)の放散虫,TC3(黒色~琥珀色層状チャート)からは三畳紀後期の放散虫が産出したとされています(加藤ほか,1986).一方,加藤らが“当麻層の泥質基質”と考えている資料からは,白亜紀前期(Barremian ~ Aptian)の放散虫が産出し,これより古い岩体は全て「異地性である」と結論しました.つまるところ,これらは「地層」の概念には当てはまらず,「地層」とよぶことはできない.そこで,加藤らは“当麻層”を「当麻コンプレックス」と呼ぶことを提案しました.

 Kato and Iwata (1989)では,さらに鷹栖方面に調査範囲を広げて,三つのゾーンに分け,おのおのゾーンでの発達史を構築しました.ゾーンⅠの鷹栖町地域ではすでに示したオルビトリナ石灰岩(アルビアン階)が報告されていますが,加藤らはそれを見いだせなかったようです.そして,その基質である鷹栖層の頁岩は放散虫化石の産出から当麻地区の“開明層”と同時代のセノマニアン階であるとしています.そして,これらの現象はオリストストロームにほかならないと結論しました.


加藤・岩田の三帯区分.
元図はあまりにも見にくいので,編集し直したかったが,
読み取り不可能な地層区分が多く,納得がいかないがご容赦.


加藤・岩田の「比布ー当麻地域の先第三系層序再編図」.
凡例の説明文が欠けているので推測.


 しかし,オリストストロームであるという解釈だけでは,三つのゾーンに分ける意味が不明です.推測するに,たぶん,遠く離れた堆積盆中に堆積した地層が多くの地殻変動を経て,現在たまたま接して同じ地域にあるのだ,と言いたいのでしょう.これはのちの「付加体地質学」に繋がっていくのだろうけど,この時点ではまだ明確に言われていません.
 また前期白亜紀の地層になぜこんなにオリストストロームが多発するのかという点に関してもなにも触れられていませんでした.

 こういったことで,古生層とされてきた“日高層群”は再編され,「地層」ではなく,「異地性岩体」より構成された「複合岩体」として扱われるようになってきました.
 と言う説明でなんとなく納得がいくかと思いますが,困ったことが生じます.ある地層から地質時代を示す化石が産出したとしても,その化石がその地層の時代を示しているとは限らない,ということです.また付加体として,遠くから運ばれてきた地質体が上下関係もバラバラに近接しているということは,地質学が科学として成立した時代から基本法則として信じられてきた「地層累重の法則」が成立しない,ということを意味しています.
 また,そのようなことがあるんだったら,化石で地層の時代を決めるということも限定付きということになり,地質の研究は大型化石・微化石・物理年代測定などなど,あらゆる研究者が必要なビッグサイエンス化せざるを得ない時代になったということでしょうね.

(つづく)


0 件のコメント: