2020年3月7日土曜日

北海道における石灰岩研究史(7)


北海道における石灰岩研究史(7)

日高帯の石灰岩
日高系
 北海道中軸部に分布する中・古生層は,かつては「日高系」(鈴木,1934)・「日高層群」(鈴木,1944)と呼ばれていました.当時は本州の秩父系(もしくは秩父古生層)との類似が指摘され,腕足類などの化石も発見され二畳系(ペルム系)があることが指摘されていましたが,日高系の石灰岩からは秩父系に多く発見される石灰岩中の有孔虫化石が発見されていませんでした.一方で,日高系と考えられていた北見の一地域からは中生界の疑いがある化石が発見されるなど,日高系の時代や分布は未解明の部分が多かったのです.

鈴木(1944図)

 橋本亘は北海道中軸部の中生界を調査し,1960年に「北海道の下部蝦夷層群以前の地層群に関する諸問題」とする一文を公表しました.橋本は東北大学の卒論の頃から北海道の中生界について調査・研究を進めていましたが,1951年に日高山脈の研究者達が構想した「日高造山運動」に疑問を持ちました.この当時は空知層群日高系もよく判っていず,日高山脈の研究者達がいう日高造山運動は,その当時知られていた中生界の事実も消化不良を起こしていると感じていました.

橋本(1960)論文の研究史から
 それでは,橋本(1960)から当時の研究史を拾ってゆきましょう.
 空知層群の岩相層序学的細分は松本(1942, 1943a, b)に始まります.橋本はこれに従い,富良野ー芦別間の空知層群を定義(橋本,1952, 1953, 1955)しました.空知層群の下底については,大立目謙一郎(1940)は「北海道中部に於ける下部菊石層と輝緑凝灰岩層の層位関係に就て」において,石灰岩を含む輝緑凝灰岩層(=空知層群)は下位の日高層(日高系,日高層群)と整合関係にあるので,日高層群は中生界ではないかと「推定されるやうになつた」としました.一方,長尾ほか(19521954)は,これらは断層関係にあると見なしました.
 旭川市東方の当麻地域では,当麻橋附近では空知層群の岩相を持つ地層が露出しますが,鍾乳洞の石灰岩を含む地層との関係は不詳でした.土居(1952)は石灰岩体付近の地層は,粘板岩を主体とし輝緑凝灰岩を従としています.土居はこの地層を「神居古潭系」としていますが,橋本は上記北海道中部の「東鹿越や,旭村,上興部などの大きな石灰岩を介在する地層に似ている」とし,鍾乳洞附近の石灰岩を含む地層は「日高系」であると考えていますが,当麻橋附近の空知層群との関係は「不明」としました.当麻附近の石灰岩を含む地層については後述します.
 枝幸南方の徳志別川~乙忠部間の山地を構成する“日高層群”は斑糲岩に貫かれ,ホルンフェルス化しています.音標川には花崗岩も見られます.これらは,枝幸山地の空知層群に対比される地層との関係も確かめられていませんでした.
 1938年,興部図幅を調査した竹内嘉助は最下位に「古生層(日高系)」を定義.その上位に,基底礫岩を伴い不整合で「(時代未詳)中生層」が乗るとしました(竹内,1938).遠藤隆次・橋本亘は,その中生界の礫岩の礫から石灰岩の巨礫を見いだし,石灰岩からPseudofusulina??? sp., Nankinella sp.(以上紡錘虫), Gymnocodium japonicum Konishi, Gyroporella nipponica Endo et Hashimoto, Mizzia velebitana Schubert(以上藻類)などを鑑定した.これらの化石の産出から当該石灰岩礫は二畳系(ペルム系)からのものであり,「(時代未詳)中生層」とされた地層は古生代まで時代が下がる可能性を指摘しました.これに不整合で覆われる「古生層(日高系)」とされた地層はもっと古いだろうということですね(遠藤・橋本,1956).
 さて,この当時までに北海道から古生代の化石が産出した例があったのでしょうか.いくつかあるのですが,産出地が不詳だったり,化石の名前だけで記載がなかったり,二畳紀(ペルム紀)とされた化石と共産した化石が「中生代の指示者」とされたり,あいまいな点が多いと橋本(1953)には書かれています(三本杉,1938;竹内・三本杉,1938;杉山,1941;深田,1949).さて,確認しようと地質学会のHPにいってみたら,短報は公開しないという決まりでもあるのか,いずれも公開(pdf.化)されていませんので,なんとも.短報や訃報あるいはその他記事は,わたしのように地質学史を掘り下げようと思うものには宝の山なんですが,日本地質学会は掘り下げられたくないようで,そういった部分はごっそり抜けています.なんか,理由でもあるのでしょうかね.
 さてなんにしろ,産出地がはっきりしていて,なおかつ化石の記載もしっかり行われている報告となるとEndo and Hashimoto (1955),遠藤・橋本(1956)が最初だったということでしょう.

 すでに知られていたことは「空知層群」分布域の東にあって,粘板岩を主として“輝緑岩”を伴い,それに大小さまざまな石灰岩を介在するような地層が北海道中央部を南北に分布していること.この地層と「空知層群」との関係がわかる場所は見いだされていません.また,これらの石灰岩からは明瞭な時代を示す化石は発見されていませんでした.
 さらに,これらの地層の東側に“下部蝦夷層群”の砂岩頁岩互層とそっくりな互層や,粘板岩を主とする地層が分布します.まれに多種の礫を含む礫岩を介在し,こういった地層群は岩相分布すら捕らえられていないのに一括して“日高系or日高層群”とされていた時代でした.そしてあちこちに破砕帯が見いだされ,これが構造上の一大特徴とされていました.もちろんこれには理由があるのですが,あとでわかることでしょう.

樺戸山地のいわゆる古生層
 樺戸山地には「先第三系(いわゆる古生層)」とされる隈根尻層群(垣見・植村,1959)があります.これは岩相的に8区分されますが,これらの層位関係は必ずしも判っていません.しかし,垣見・植村(1959)によって最上位とされた神居尻山層の礫岩から橋本ほか(1960a)が紡錘虫の入った石灰岩礫を報告しています.
 これらは,ウーリスの核であるため,外形は壊れ保存も極めて悪いものですが,Nankinella sp., Schubertella sp., Schwagerina sp.が識別され,日本各地の下部ペルム系から産しているものに極めて近いといいます.また,ほかに小型有孔虫Bradyina sp., Cribrogenerina ? sp.なども発見され,前者は藤本(1936)が関東山地の下部ペルム系から報告したB. rotula (Eichowald)に近縁であるとされています.したがって,礫岩の礫ではありますが,下部ペルム系のものと推定されています.まあ要するに上記北見地域に露出する“日高層群”と類似であるとの考えですね.(のちの話ですが,近藤浩文(1991)によれば,この神居尻山層の礫岩のチャート礫からジュラ紀中期~後期の放散虫化石群が産出しています.

 地域は違っても,でる化石は「ペルム紀」のもの.ではいわゆる“日高層群”はペルム紀の地層それでいいのでしょうか.それはちょっと,いやかなり早いですね.これを決めるには1970年代前期のコノドント革命(猪郷,1972),1970年代後半の放散虫革命(中世古,1984)を経なければなりません.
 それではまた,上川盆地の当麻地域へと戻ります.
(つづく)


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