2017年5月30日火曜日

アイヌの伝説と火山(2)

アイヌの伝説と火山(2)

有珠山

有珠湾(松浦武四郎:東蝦夷日誌第二編より)

有珠岳の創成
毎年春になると,南の神様のところから北へ渡って来る燕が,今年もいよいよ北へ旅立つ時が来たので,神様にお別れの挨拶に行ったところ,神様がいわれるのには,「お前が北へ行く途中で一番気にいった場所があったら,そこへこれをおきなさい」といつって何かを燕にあずけられた.
燕はそれをしっかりと翼の間にはさんで,幾日も幾日も海を渡り遠い旅をつづけているうちにポノショロ(現在の有珠岳のところ)の風景が一番気に入り,それに翼も疲れて来たので,神様から預ってたものをここの地上においた.それが現在の有珠岳になったという.
(吉田厳氏輯「アイヌの伝説について」)
(更科源蔵「アイヌ伝説集」)

 有珠山は洞爺カルデラ(=洞爺湖)の南部にあります.
 いまから約十一万年ほど前に洞爺火砕流が噴出し,洞爺カルデラが生まれました.その後約四万五千年ほど前に中島火山噴出物が活動し,溶岩ドームができたことがわかっています(曽屋ほか,2007).
 その後,おおよそ一万五千年から二万年前に,有珠外輪山が活動を開始(有珠外輪山溶岩類とドンコロ山スコリア)しますが,その時期はよくわかっていません.層位学的な証拠からは,支笏火砕流(四万年前)より新しく,濁川テフラ(1.2~1.5万年前)ことがわかっているだけですが,曽屋ほか(2007)では「1~2万年前」と推定されています.
 有珠外輪山ではその後,「善光寺岩屑なだれ」と呼ばれる有珠外輪山崩壊が起き,善光寺海岸付近の風光明媚な地形をつくっていますが,この時代もよくわかっていません.上記,曽屋ほか(2007)では,七~八千年前と推定されています.
 そのあとは長い休止期に入り,歴史時代に入って外輪山内外での噴火が記録されています.

 さて,この「有珠岳の創成」伝説は,いつころできたものなんでしょうね.
 地質学的には有珠外輪山溶岩が示す時代(1.5万~2万年前)が,たぶん,有珠山ができた時期といってよいものなのでしょうかね.北海道からも旧石器時代の遺跡がいくつか知られているようですから,有珠外輪山の創成を旧石器時代人が見ていたとしてもおかしくはないですが,この頃の目撃談がアイヌの伝説となって残るというのは,ちょっと困難かと.
 してみると,噴煙を上げる有珠山をふくめた風光明媚な洞爺湖周辺の自然,それを愉しむだけでなく,その創成の由来をたずねたアイヌ民族なりの回答(=われわれのいう科学の一種)なんでしょうか.それにしても,詩的な科学です.


有珠岳の噴火口
昔この世界ができたときに,天の神様が地上の人間に幸福を授けてやろうと,沢山の木弊(イナウ*原著はイナワ)をつくって,それを頭に角のあるキラウシコロカムイ(角をもった神)という神様に持たし,下界につかわされた.ところがこのキラウシコロカムイは慾張って,幸福を独りじめしようとたくらんだので,神様が怒って懲しめのため,地下のポクナモシリ(地獄)に踏み落したので死んでしまった.そのキラウシコロカムイが地獄へ落ちて行つた穴が,有珠岳の噴火口になったのだ.
(吉田厳氏輯「人類学雑誌」二九巻一〇号所載)
(更科源蔵「アイヌ伝説集」)

 アイヌには,「あの世へ通じる穴」=「アフンパル」についての伝説がたくさんあります.ところで,それらの話を読むと「アイヌのあの世(ポクナモシリ)」=「和人が考える地獄(仏教的地獄)」とはなっていないので,この伝説はなにか奇妙な感じがします.また,ポクナモシリも「地獄」とするのは奇妙な話です.この話は「和人の価値観」がかなり混ざり込んでいるような気がします.
 それでも,(活火山の)噴火口=「異世界への入り口」というのは,いかにもありそうな話ではあります.


有珠岳の噴火
昔,十勝のコタンに,イモシタクルという名のアイヌが住んでいたが,子供の時から手癖が悪いので,皆に嫌われていた.その男がとうとう病気になって死んでしまったが,世の中にいたとき,あまり悪いことばかりしていたので,神様は彼をカムイモシリ(神の国)へ送ることを許さなかった.行く先のなくなったイモシタクルは,どうせ嫌われるなら,もう少し悪いことをしてやろうと,もう一度地上に舞い戻って,或る家の窓から中に入ろうとしたところ,その家の老婆に発見されて,へラで尻を叩かれたので,びっくりして逃げ出し,あっちこっちで悪戯をしようと,機会を狙ってうろつきながら,虻田の方までやって来たところ,有珠岳の麓で神様に見つけられ,物凄い勢いで蹴飛ばされたが,その神様の勢いがあまりに猛烈だったので,あたりがグラグラと揺れたはずみに有珠岳が抜けてしまい,物凄い噴火になったという.
(工藤梅次郎「アイヌの民話」)
(更科源蔵「アイヌ伝説集」)

 有珠山の噴火がモチーフとなった伝説ですね.火山の話だけにスケールがでかいですね.さて,これはいつころ生まれたものなのでしょう.

歴史時代の噴火活動
1663(寛文三)年:3日前から前兆地震あり.山頂噴火.火砕サージ発生.死者5.休止期:数千年.
17世紀末(地層解析):噴火地点,前兆現象,災害規模など一切不明.休止期:数十年.
1769(明和五)年:前兆あり,山頂噴火.小有珠生成.火砕流発生,家屋焼失.休止期:数十年.
1822(文政五)年:3日前から前兆地震.山頂噴火.オガリ山生成.火砕流発生,死者103名.休止期:52年
1853(嘉永六)年:10日前から前兆地震.山頂噴火.大有珠生成.火砕流発生.休止期:31年
1910(明治43)年:6日前から前兆地震.北麓噴火.四十三山(明治新山)生成.火口45個生成,死者1(熱泥流).休止期:57年
1943~45(昭和18~20)年:半年前から前兆地震.東麓噴火.昭和新山生成.火砕サージ発生,火口7個生成,地殻変動あり,村落損壊,死者1(窒息).休止期:33年
1977(昭和52)年:32時間前から前兆地震.山頂噴火.有珠新山生成.山麓一帯地殻変動,土石流発生,死者3.休止期:32年
2000(平成12)年:4日前から前兆地震.西麓噴火.西山高原・山麓・国道・金比羅山麓に変動.火砕サージ発生,火口(西山30個,金比羅山25個)地殻変動,全町避難.休止期:23年
(各種資料より編集)

 アイヌの伝説ですから,昭和以降は考えなくてもいいでしょう.また,明治の活動も可能性は少ないといえるでしょう.「有珠岳が抜けて」とありますから,やはり山頂噴火でしょうし.
 ということは,1663, 17c末,1769, 1822, 1853の五回の噴火のうちのどれかということになるのでしょう.そして,これらは数十年おきに,つまり世代が変わる前に起きている噴火ですから,以前の噴火の記憶がない1663(寛文三)年の噴火が一番可能性が高いということになりましょうか.


有珠岳の噴火
有珠岳の噴火で有珠の部落は全滅してしまったが,虻田でも長万部方面へ逃げた人達だけは助かった.
そのとき大酋長だけは最後まで部落を捨てず,祭壇に向って祈りつづけていると,イコリの神,レブンゲの神,ウェンシリの神とか赤岩の神*が,それぞれ刀を抜きそれを振りまわして応援にかけつけるので,刀の光が雷光のようにピカピカ光ってみえたが,大酋長は火にやかれて灰になったまま,坐って動かなかった.
噴火がおさまって長万部から戻って来た人が「長老(エカシ)どうした」といって肩に手をかけると,グサッと灰になった長老がくずれた.その後宝物を出して釧路や十勝から,アイヌを買って来て新しく有珠の部落をつくったので,有珠の人間はよくない者が多い,サカナという悪い老人もその一族だ.
(虻田町・遠島タネランケ姥伝)
(更科源蔵「アイヌ伝説集」)

 この噴火はいつのことなんでしょうか.
 この前のエピソードと同じく,五回の噴火のうちのどれかなのでしょうけど,有珠は全滅,虻田もほとんど全滅となれば,詳しく調べれば,特定できそうな気もします.有珠山噴火史上,最大級の人的被害を出した文政噴火が一番可能性が高いのでしょうか.

 それはともかく,エカシが灰となって崩れたというのは,凄まじい話です.
 火砕流というよりは火砕サージ**に直面したのでしょうか.ポンペイの住民の話を思いださせる伝承です.日本でも縄文時代や古墳時代の遺跡から火砕流に巻きこまれた遺体がでているそうですが,これらはみな火山灰の中に埋もれていたのがのちに発掘されたもの.大量の火山灰に埋もれたら,そのときにエカシの遺体は発見されなかったでしょうから.しかし,実際にこういう現象が起きるのかどうかは不明です.
 有珠山の噴火を押さえようとしてか,周囲の地形の神々が加勢した(この記述では,噴火に加勢したのか,噴火を止めようと祈るエカシに加勢したのか判断できませんが)ときに「刀の光が雷光のようにピカピカ光ってみえた」といいます.これはもちろん,いわゆる「火山雷」が観察されたということでしょう.

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* イコリの神,レブンゲの神,ウェンシリの神とか赤岩の神:イコリの神:イコリカムイ(ikori kamuy);イコリの意味は不詳.豊浦町礼文華の南に「イコリ岬」という岬がある.レブンゲの神:豊浦町礼文華のことと思われる.レブンゲの正確なアイヌ語も不明.ウェンシリの神:不詳.? wey-sir=水際の断崖絶壁(知里,1956)のことか.赤岩の神:不詳.いずれもアイヌにとってなにか特別な意味を持つものらしく「神」扱いされている.
 アイヌに食べ物をもたらす動植物を,神の化身とみなす考え方はよく知られているが,巨岩,崖なども神扱いするようだ.
 なお,有珠山のアイヌ語名を調べると,Ye kere use guru イェケレウセグル「軽石ヲ削リ出ス神(有珠ノ噴火山ノ名ナリ)」(永田方正,1891「北海道蝦夷語地名解」)とあり(ただし,これが当時の一般的名称なのかどうか不明.また,有珠山全体を指すのか,噴火中の山体を指すのかもはっきりしない),guru = kur(神,魔のちに人)であるから,有珠山もしくは噴火口も「神」扱いされていたことになる.
 しかし,上記の伝承では,有珠山を神扱いしているようには,受け取れない.

** 火砕サージ:火山灰・岩塊を主体とする火砕流より火山ガスを主体とする火山噴出物のこと.


2017年5月15日月曜日

アイヌの伝説と火山(1)

アイヌの伝説と火山(1)

駒ヶ岳噴火

噴火湾の人々
室蘭の岬の絵鞆部落(エトモコタン)に男三人,女三人の兄弟がいたが,生活が苦しいので噴火湾の対岸に移ろうと,ルクチ岳*を日当てにして舟を漕いでいると,突然に駒ヶ岳が爆発し,噴出した軽石が海上に浮んで,舟を動かすことができなくなってしまった.
(八雲・椎久トイタレケ翁伝)
(更科源蔵「アイヌ伝説集」)

 このあと話は続き,鯱神を呼んで助けてもらい,舟は訓縫と黒岩の間に着き,その後この人たちの子孫は「岬の族(エンルムウタラ)」と呼ばれ長万部や瀬棚の方まで広がって繁栄したといいます.
 でも,その話はわれわれには関係が無いので,駒ヶ岳噴火に集中します.

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北海道駒ヶ岳は3万年前より以前に活動を開始した.駒ヶ岳溶岩噴出後,3~4万年前頃に駒ヶ岳岩屑なだれが生じた.その後,2万年以上の休止期をおいて,約6000年前に降下火砕物と火砕流が噴出し,再び500年余りの休止期をおいて,約5500年前に降下火砕物と火砕流(Ko-f)が噴出した.更に5100年余りの長い休止期の後,江戸時代になって火山活動が再開した(宝田・吉本,1998).
気象庁HPより

 この話が3~4万年前のものとは思えないので,約6000年前からこちらの話なのでしょう.またアイヌの一族が世代を越えて繁栄したというのですから,明治以降も除外してもよいでしょう.
 そうすると,可能性のあるのは...,
1640(寛永十七)年 大噴火:山体崩壊.津波発生.
1694(元禄七)年 大噴火:軽石降下.火砕流発生.
1856(安政三)年 大噴火:軽石降下.火砕流発生.
くらいでしょうか...

 このうち,長期間の休止期を破って起こした噴火は山体崩壊を伴った大噴火となっています.岩屑なだれが起き,内浦湾では津波が発生(この時七百余名が溺死と伝えられる)していますから,舟で絵鞆から黒岩あたりに渡ることは不可能かと思われます.
 そうすると,元禄の噴火,あるいは安政の噴火ということになりますが,安政三(1856)年から,世代を越えて各地に繁栄したというのも考えにくいですね.つまるところ,この伝承ができたのは元禄の大噴火のときということになりましょうか....


---
*ルクチ岳:現在の八雲町黒岩は,昔はルクチと呼ばれていたらしい.その海岸に黒い岩があり,アイヌは「クンネ・シュマ(黒い岩)」と呼び「シュマ・カムイ(石神)」として崇めていたらしい.それで和人はこのあたりを「黒岩」と呼んだのだそうだ.
ところで,現在「ルクチ岳」と呼ばれる山はない.「ルコツ岳」がそうだという説があるが,「ルコツ」は「道のある沢」という意味で山の名ではないという(更科源蔵,1982).そうすると,この話の当時,その山が「ルクチ岳」と呼ばれていたというこの話には疑問が生じるが,詳細は不明である.


2017年2月3日金曜日

ヒト―異端のサルの1億年

 
ひさびさのヒット.
たぶん,再読することになると思われます.


人類史関係の本は何十冊と持ってますけど,また読むだろうと感じるものは少ないですね.

おすすめです

もっとも,人類関係の本は数年で陳腐なものになってしまう可能性が高いですが.
 

2017年1月17日火曜日

ブログ更新停滞中

まだ生きてますので,ご心配はご無用に.(^^;

Mac OSのv. upとアプリ販売方法の変化により,ブログ投稿環境が急速に悪化したためです.それを乗り越えて...という根性が...
それと,Facebookの利用が増えたため,わたしの「しゃべる」が満足されているため.(^^;

ご心配な方はFBを通じて消息をご確認ください.
 

2016年7月4日月曜日

思いだしたこと

 
ここ半月くらいの間で,上川盆地関連の論文を数十単位で読んだ.
そこで思いだしたことがある.

それは,化石が産出したぐらいでは地層の時代は決まらないこと.
大げさにいえば,すでに時代は「生層序学の終焉」を迎えていたということ.
それで,多くの生層序屋が限界を感じたんだな.

「オリストストローム」,「メランジ」,「付加体」…,これらの概念が生層序学を吹っ飛ばした.
たとえば,「Aという地層の中に含まれている石灰岩からαという化石を産出した」…むかしは,そのαという化石が示す年代をそのまま,「Aという地層」の年代としていた.
ところが上記の概念によって,その石灰岩は「別なところから運ばれてきた」ものであり,地層の年代は示していないという厄介なことになったのだ.

結局,その石灰岩は異質な岩体であるから,石灰岩の「母岩となっている地層と同時代の化石」を探さなければならないのだ.それには,緻密な地質調査とある程度の実験施設が必要になった.母岩を破壊し,中の微化石を抽出しなければならないからだ.
母岩から僅かな微化石が産出したとしても,対比すべきスタンダードが「正しい」のか再検討・確認しなければならないし….模式地の検討が遅れていれば,それで終わり….海洋底堆積物に含まれる微化石がスタンダードとなったが,それはせいぜいジュラ紀ぐらいまでしか遡ることは出来ないし….

つまるところ化石学は,アマチュアにはつまらない学問と化した.むかしは,アマチュアでも発見すれば科学に貢献できたのだが….
科学の他の分野では「ビッグ・サイエンス化」に伴う一般人の科学離れがおこっていたが,それとおなじことが化石の世界でも起こっていたわけだ.

しかし,よく考えれば,かなり以前から「タービダイト」という概念はあった.大陸棚にいったん溜まった堆積物やそこに生息していた生き物が大陸斜面を滑り落ち,そこに落ち着いたわけだから,厳密には地層が溜まった時代と化石の示す時代は…すでに同じではなかったわけだ.
同様に「現地性化石」,「異地性化石」という概念もあった.まあ,この場合だって「ほとんどの化石は異地性」だったし….
とはいえ,地質学的には,ほぼ同時代で済ましていたんだな.

古生代の化石が石灰岩とともに,白亜紀の地層に紛れ込んでくるとなると「だいたい同じ」ではすまないし….

さて,一番の問題はそういうところも含めて「ジオパークは面白い」と見せる(魅せる)ことができるかなんだが…(^^;;;.


 

2016年5月13日金曜日

「北海道地質総論」の用語

 
ブログ更新,とどこおってますが,ちゃんと生きてます.(^^;

現在,來曼(1878)「北海道地質総論」をテキスト化中.で,忙しいのです.d(^^)
ほかに,この地方には雪解けとともに片付けたり,準備したりしなけりゃならないものがたくさんありますもので.(^^;;

de,「北海道地質総論」
その中に,見慣れない用語がたくさん出て来ますので,ちょっと紹介.

まずは,「煤炭」.これは,現代の言葉で「石炭」のこと.
日本では江戸時代から「石炭」という言葉が使われていましたが,明治にはいって「煤炭」が用いられるように.これは中国の「煤炭[méi-tàn]」の借用語.なぜ,明治期に入って使われるようになったのかは不明ですが,すでにライエルの「地質学の基礎」が「地学浅釈」として中国語訳されてますので,その影響かも知れません.
つぎは「骨状煤炭」.
これは「bony coal」の和訳.なぜbonyなのかは置いといて((^^;),これは「劣質炭」を意味します.
蛇足しておけば,これは英語ではなく米の地質屋スラング.

さて,普通に出てくる堆積岩.細かい方からいくと….
「舎兒」.中国語では「家の子」という意味らしいですが,この場合は違います.
「舎兒」=「シャー・エル」つまり「シェール[shale]」のこと.語源はチョットわかりません.調査中です.
つぎに「坭石」.「坭」は「泥」の旧字.すなわち「坭石」は「泥岩[clay stone]」のことです.
も少し粗くなって….
「沙石」.「沙」は「砂」のこと.なお,英語版のLyman (1877)では「sand rock」になってます.
さらに粗くなって….
「粗糙(そそう)沙石」.「粗」は普通につかいますが,「糙」とは「黒米」のことらしいです.でも,この場合は「粒」を表してるんだろうとおもいます.つまり,「粗粒砂岩」のこと.英語版では「coarse sand rock」になってますね.
もっと粗くなります….
「石子」.「石子」ってなんだろうと少し悩みましたが,英語版を見ると「pebble」になってました.「小礫」のことでした.
面白いのが,
「豆大豆子層」.なんじゃろうと思いましたが,英語版では「Bean size pebble rock」.なるほど((^^;).

で,堆積物の中に「雲母[mica]」が目立つと…「枚格状=micaceous」とありました((^^;).

さて,色の道はむつかしい…((^^;)と,いいますが….
「銷泐變棕色」.わかんね~((^^;).読み方も,どこで切るのかすら?((^^;). 
では解析.
「銷」は音読みでは「ショウ」,訓読みでは「と・ける,け・す」と読みます.
「泐」は音読みでは「リョク,ロク」ですが,現代日本では使用しませんね.で,中国語辞典を見ると「石が筋に沿って割れる;書写する;彫る」など.
「變」は「変」の旧字です.
で,最後の「棕」ですが,「シュ」と読むらしいことはわかるのですが意味がわかりません((^^;).

でもなんとなく,「銷泐」が風化して脆くなったもの.「變棕色」は色らしい,ということは推測できます.
で,伝家の宝刀(でもないですが(^^;)を見ると該当する個所には「weathering brown」がありました.なるほど,“風化した茶色”ですか.


 

2016年3月30日水曜日

アラビア科学

 
以前から気になっていたアラビア科学ですが(実際に興味あるのは,歴史としての「イスラム地質学」ですが),チョットした取っ掛かりが見つかり,しばらくそこに没頭してました.

取っ掛かりとは,
伊東俊太郎(1978, 2007)近代科学の源流.
伊東俊太郎(1993, 2006)十二世紀ルネサンス.
伊東俊太郎・広重徹・村上陽一郎(1996, 2002)改訂新版 思想史の中の科学.

      


いろいろ興味深いことはありますが,まとめると….
「異文化は受け入れた方が発展するのであって,文化を守り始めるとあっという間に腐る.」


具体的にいうと,ギリシャ文化を受け入れ,ヨーロッパ・キリスト教世界で異端とされ,排除された耶蘇教各派を受け入れたアラビアは科学革命を起こす.アラビア世界はもちろん,当時,インドや中国とも交流があり,さらには日本にもそれらは輸入されている.
一方,ヨーロッパ・キリスト教団(カトリック)はどんどん硬直化し,ヨーロッパは中世暗黒時代を迎える.

その後,アラビアで発展した文化を受け入れたヨーロッパはルネサンスをおこし,一方の文化を守り始めたイスラムのためにアラビア世界は頑迷となる.で,現代に繋がるというのがアラビア科学史の顛末.

ということで,学校で「ルネサンス」を習ったときには,なんで「(文芸)復興(or 再生)」なのか,意味がわかりませんでしたが,「もともとギリシャにあった文化」がアラビア世界で発展し,ヨーロッパの一部まで拡大したアラビア世界から,ヨーロッパ世界がその文化を学び(つまり帰ってきた),ヨーロッパで更に発展したから「ルネサンス=再生」な訳ですね.


これらを読んで,入手したのが「アラビア科学」に関する”真面目な”研究の情報.
以前やってたときは,見つからなかったンですがねえ,
矢島祐利(1965)アラビア科学の話.
矢島祐利(1977)アラビア科学史序説.

      


1965は「岩波新書」で,1977は箱入りの立派な装丁です.
ちなみに,第一次オイルショックは1973年のこと.
それまで日本人はオイルをたくさん使いながら,そこから輸入しているアラブ世界のことなんか,これっぽちも考えていなかった.焦って研究者を探した結果が「立派な箱入り本」なのかな?

でも,1965も,1977も,アラビア科学に関する具体的な記述はほとんどなく,発見されてるラテン語本を英訳したもののリストに過ぎません.「アラビア地質学」までは,まったく到達しない.
まあ,「発見されたラテン語訳の本」,それを発見した「西欧の研究者の眼」さらに,それを研究しようとしている「日本人・科学史家の眼」,と,二重三重のフィルターを通しているわけで,”アラビア科学史”の概略すら「いまだに,わからない」のは,仕様がありません.ましてや,”地質学史”なんてね.(^^;;

そして,これ以降,アラビア科学史研究は,まるで見つからないのです.
オイルを断たれて真っ青になった日本人.その時だけは,アラブ世界に目を向けようとしましたが,オイルの安定供給が始まると,またすぐに「のど元過ぎれば…」だったようです.
日本人がアラビア世界を理解しようとしなかったことと(たぶん,同様に世界も),いま,イスラム過激派が世界を震撼させていることと,「関係がある」とはいえないでしょうけど,誤解がさらに悪い関係をまねくことは考えられることです.

さて,21世紀になってから,日本で出た本が一冊あります.それは…
ジャカール,D.(2005)アラビア科学の歴史(遠藤ゆかり,2006訳).
もちろん,日本人のオリジナルではありません.



「知の再発見シリーズ」のひとつとして創元社(大阪)が出版したものです.