2009年3月3日火曜日

資料探索・武田斐三郎の熔鉱炉

 

 武田斐三郎の熔鉱炉がなぜ失敗したのかが,まだ気になっていて,いくつか情報を集めていました.これに関する記述の大部分は,いわゆる科学論文ではないので,収集はなかなか困難なのです.

 たとえば,白山友正氏の「武田斐三郎伝」は「北海道経済史研究所」から出版されていますが,「北海道経済史研究所」なるものは現存しません.古書店の店主が初めて見たという,その「武田斐三郎伝」を入手して初めてわかったのですが,「北海道経済史研究所」というのは白山氏が北海道学芸大学(現・北海道教育大学;多分函館校)に在職中に設立した機関ですが,その業務は不明.唯一,「北海道経済史研究所・研究叢書」を出版していたことがわかっていますが,「武田斐三郎伝」はその叢書の第46編にあたります.それ以前のすべての叢書の著者も,白山友正しでした.
 つまるところ,「北海道経済史研究所」というのは,白山氏の著作を出版することが業務であったようです.形式上はともかく,自主出版に近い形だと考えられるのです.

 実は,入手したこの「武田斐三郎伝」の中には,切った原稿用紙に書いた「手紙」が挟まれていました.それには,相手が完成させた著書を一冊頂きたいということが書かれていました.一般に流通することが目的ではなく,このように,同じような研究者同士の名刺代わりのものだったのだろうことが推測できるわけです.
 つまるところ,できあがった印刷物の数は,数百がいいところで,地方都市図書館程度では所蔵しているところは無いと思われます.道立,函館,北大などでは所蔵していますが,当然のように禁帯出(もしくは貸出禁止).
 あれば見に行けばいいではないかと思われるかもしれませんが,実際に出かけていったとしても,一日二日で読み終えられるようなものではないですね.
 ならば,複写という手があるではないかと思われるかしれませんが,著作権をたてに半分までしか複写できないという妙なルールがあります(本当にそういうルールがあるのかどうかは知りませんが,現場ではそういわれます).「残りは,翌日どうぞ」というわけです(つまり,司書様たちは前日のことは覚えていないということです).まことに不思議なルールです.

 お目にかかるのは,けっこう大変なのですよ.

 この手の資料に関しては,現行の図書館は博物館の資料保存庫と変わりがありません.保存が目的であって,情報提供は目的外ということ.それでも,不思議なことに,関係者の閲覧および使用はフリーパスのようで,そこの図書館の司書が自分の著書に引用(写真や複写など)してたりするんですが….

 話がずれてしまいました.元に戻します.
 そんなわけで,形式上は「北海道経済史研究所」の出版物となっていますが,明らかに白山氏個人の自主出版物であると思われます.つまり,白山友正(1971)ではなく,白山友正(1971MS)に限りなく近いということですね.
 文系の人の文章は,一般的に理系の人間には読み難いということはありますが,それ以上に,この(MS)には編集者の手が入っていないので,いろいろ困ったことが起きます.一番困るのは,引用が不完全で,原著にあたるのがほとんど不可能であること.引用文献が明示してあるものでも,同人誌的な雑誌や手記,あるいはお宝的古書が多くてほとんどが入手,確認不可能になってしまいます.
 もうひとつは,やはり引用の仕方が不完全なので,著者個人の考えなのか,引用した人の考え(あるいは引用文献にそう書いてあるのか)なのか,あるいは一般的にそういわれていることなのか,の判断に苦しむことがあります.誰が先にそういったのかは,非常に重要なことなのですが,そこが曖昧になっているのですね.そこで,確認しようとすると第一の壁に当たってできないということがしばしばあるのです.これは,白山氏個人のことをいっているのではなく,一般的な現象のように思えます.


 斐三郎の熔鉱炉について記述している,白山氏とほぼ同世代の人がいます.
 それはペンネームを「阿部たつを」,本名を「阿部龍夫」という函館で医者をしていた人でした.
 彼の武田斐三郎もしくは斐三郎がつくった熔鉱炉に関する著作は,わかる範囲では以下のようなものがあります.

・阿部たつを「武田斐三郎と溶鉱炉」『函館郷土手帖』 1957
・阿部たつを「武田斐三郎は反射炉を作ったか」『道南郷土夜話』 1958
・阿部たつを「古武井溶鉱炉について」『北海道地方史研究』 1966
・阿部たつを「古武井溶鉱炉について(再論)」『北海道地方史研究』 1966
・阿部たつを「尻岸内溶鉱炉について」『道南の歴史』 1966
・阿部たつを「古武井溶鉱炉に関する研究を読む」『道南の歴史』 1967 

 しかし,これらは,現実に入手しようとすると大変な困難が伴います.
 どれもが,同人誌あるいは自費出版のたぐいで,現在では入手方法は,ほとんどないのです.
 前にも書きましたが,「大野土佐日記」のことを調べていて,阿部氏のその関連の著作が「函館郷土随筆」(北海道出版企画センター)に載録されているということがわかりました.しかし,この本は出版元である北海道出版企画センターでは,すでに絶版になっていて,入手不可能でした.たまたまある古書店にあることがわかり,入手できましたが,そのとき全く偶然に,武田斐三郎に関する上二作が「武田斐三郎と溶鉱爐」として載録されていることがわかったのでした.


 斐三郎の熔鉱炉に関する著述をしている人がもう一人います.
 高木幸雄という人で,たぶん北海道教育大学関連の人だと思いますが,こちらは「北海道學藝大學函館人文學會」が「人文論究」という名で出している雑誌ですので,一応論文誌の体裁をとっていて,近所の教育大学の図書室で入手可能でした.
 中身からみると,多分,査読者もレフリーもいない,投稿,即印刷という形式ではないかと思われます.
 妙な感じがするのですが,この高木氏の論文の著作が(1967).阿部たつを氏の一連の自費出版が,1957〜1967年.白山氏の「武田斐三郎伝」の出版が1971.ほぼ同時代に,侃々諤々の議論があったようなんですが,皆それぞれ別々の印刷物でやっています.
 不思議です.

 その後,1975年になって製鉄技術者である大橋周治が「幕末明治製鉄史」を発行しました.私が入手できたのは,これの改訂版である大橋周治(1991編著)「幕末明治製鉄論」なので,1975年時には斐三郎の熔鉱炉についてどういう風に書かれていたのかは,正確にはわからないのですが,一応役者がそろったようなので,斐三郎の熔鉱炉研究史について取りかかることができそうです.
 見直しですね.

 情報の壁は…,厚いですね.

 

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