2009年3月20日金曜日

赤目粉鉄

 

 単に,武田斐三郎の熔鉱炉が失敗した理由を知りたいだけだったのに,大変な大回り・遠回りをしています((^^;).
 「鐵の道」にハマり過ぎ((^^;)

 「真砂粉鉄」は「真砂から鉄穴流しで採集した粉鉄」という非常にわかりやすい定義を持っているのに対し,「赤目粉鉄」はそうではありません.

 ある研究者は明瞭な説明を回避し,結果として「銑を涌かすに適している」としているだけです.別の研究者は,「赤鉄鉱,褐鉄鉱が混じっている」ので,赤っぽくなる(と,関連づけて説明しているわけではないのですが,そう書いてある)と考えているようです.
 真砂から採取した「真砂粉鉄」でも,風化(酸化)が進んでいれば,「赤鉄鉱,褐鉄鉱が混じってい」てもいいんじゃあないかと思われます.しかし,そうすると「真砂」と「赤目」は対立する言葉ではなくなってしまいます.

 ある研究者は,「赤目粉鉄」は安山岩に由来すると考えているようですが(これも,明瞭にはそう書いていない),母岩である安山岩が火山灰であるにしろ溶岩であるにしろ,不透明鉱物がそう簡単に鉄穴流しによって分離できたとは考えにくいです.したがって,「赤目粉鉄」も真砂化した花崗岩(閃緑岩質でも真砂化していればかまわないとおもいます)から,鉄穴流しによって採集したと考えた方が自然です.
 「安山岩から赤目粉鉄が採集できる」と考える学者は,採取した赤目粉鉄を分析値と採集した地域の地質図を添えて提示すべきです.


 「無限地獄」の解釈はこれぐらいにして,オオモトになっていると思われる「鐵山必要記事」の記述に戻ってみましょう.

「備中の国にては、赤土の中より流し取粉鉄あり。あこめ粉鉄と申。実は少なけれとも性合能粉鉄なり。伯州も日野郡の内備中え近き所は取越て吹也。のほり押の粉鉄に是を用る也。」 
>【現代語訳】備中国(岡山県南西部)では,赤土の中から流し取る「粉鉄」がある.(これを)「あこめ粉鉄」という.量は少ないが,性質のよい粉鉄である.伯州(伯耆国:鳥取県中部西部)も日野郡のうち,備中に近いところでは採取して吹くそうである.「のほり押」の粉鉄にこれを用いる.

 備中国(のうち正確にどこなのかはわかりませんが)では,赤土のなかから採取する粉鉄があって,これを「あこめ(たぶん「赤目」をあてる)粉鉄」という.量(採取できる原料が少ないといっているのか,製品としての鉄の歩合が悪いといってるのかは判断ができません)は少ないが,性質の良い粉鉄である.伯耆国も日野郡のうち,備中に近いところでは,採取して吹くそうである(この記述から,「備中国」というのは,現在の阿哲郡神郷町-新見市北部あたりに限定できると思われます.また,伯州のほうは現在の日野郡日南町および日野町あたりをさしているのでしょう).

 「のほり押」はここでは説明がありませんが,たぶん以下を示していると思われます.
 窪田蔵郎(1987)には「たたら製鉄の操業」という節があり,そこには「鉧押法」と「銑押法」にわけて解説があり,銑押法には四つの行程があって,順に「こもり」,「こもりつぎ」,「のぼり」,「くだり」とされています.この三番目の行程のことをさしているものと思われます.しかし,銑押法にはこのような行程は示されていず,赤目粉鉄は銑押しに適するという話しと調和的ではありません.

つづいて,
「鉄吹やうも流し庭と申吹方にて、まさ砂粉鉄を吹とは違ふ也。刄金はなし。若刄金の如く吹けは不折也。」
>【現代語訳】鉄の吹き方も「流し庭」という吹き方で,「まさ砂粉鉄」を吹くのとは違う方法である.刃金(=鋼)はでない.もし,刃金を吹くように行なえば,「不折」となる.

 ここに出てくる「流し庭」という吹き方についての説明は見当たりません.土井(1983)の引用文では「流し座」になっていました.どっちにしても,説明は見当たりません.
 ここでは「まさ砂粉鉄」と表現されており,「真砂粉鉄」ではないですね.前提として「真砂」もしくは「まさ砂」から採取された「粉鉄」として,この言葉が使われているという傍証になるでしょう.
 「『真砂粉鉄』を吹く」つまり「鉧押法」とは違うやり方であるという意味でしょうか.そうすると,「銑押法で行う」という意味なのでしょうかね.あとに「鋼は出ない」とありますから,その可能性が高いでしょう.「不折」の意味はわかりませんが,何か特別な意味を持つ言葉のようです.

続いて,
「此不折重鉄をは切かね迚、延、刄金の如く切割て、又吹涌して小割鉄にいたし、」
>【現代語訳】この「不折」の重ね鉄を「切かね」として延ばし,刃金のように切り割って,再び吹き涌かして『小割鉄』にして,(以下論理つながらず.切る)

 前出の「不折」は,ここでまた出てきます.その行程はよくわかりませんが,「不折」は,少し手を加えると「小割鉄」という製品にできるようです.しかし,ここで文章は途切れ,このあとには,論理的にはつながらない文章が続きます.それは,

「播州、但馬、作州にては鉄砂と申。備、伯、雲、因、石の国にては粉鉄と申。」
>【現代語訳】播州(播磨国=兵庫県西南部),但馬(但馬国=兵庫県北部),作州(美作国=岡山県北東部)では『鉄砂』といい,備(備州=備前・備中・備後国=岡山県南東部+岡山県西部+広島県東部),伯(伯州=伯耆国=鳥取県中西部),雲(雲州=出雲国=島根県東部),因(因州=因幡国=鳥取県東部),石(石州=石見国=島根県西部)の国では『粉鉄』という.

 ということで,全体からは,いわゆる「山陽道-地方」では「鉄砂」といい,いわゆる「山陰道-地方」では「粉鉄」と呼んでいるという解説です.何か間の文章が欠けているのかもしれません.

 これだけです.
 もともと,「あこめ粉鉄」は島根県日野郡のあたり,岡山県阿哲郡のあたりで「赤い土」から産出する粉鉄を示す言葉でしたが,のちに,いろいろ解釈が加わるうちに「赤目」の字があてられ,そのため「あこめ粉鉄」自体が「赤い色」をしているとされ,その赤い色から,赤鉄鉱や褐鉄鉱が多く含まれているとされてきたと考えた方がいいような気がしますが,いかがでしょう.
 なお,「粉鉄」の見分け方の記述のときに,「色赤く成は銑に涌安し」という記述があります.もし,どこで産出したにしても赤っぽい粉鉄を「赤目粉鉄」というのであれば,なぜここで「これを赤目粉鉄という」と書いていないのでしょうかね.


 気になるのは,何かまだ表に出てきていない史料・資料があるのではないかということです.
 日本学士院編「明治前日本鉱業技術発達史」では,「鉄山必要記事」の解説のところで,「その概要を理解するうえで便宜上同書より後の時代に書かれた『鉄山略弁』の記述によってみる」とあります.後注によるとこれは「山田吉眭『鉄山略弁』(写本)参照」とあります.いろいろ調べてみましたが,この実態は不明でした.
 また,土井(1983)では「鉄山必要記事」には書かれていないような詳細な記述があるのですが,その文章の末尾に(「鉄山一統之次第」)と書かれています.ところが,不思議なことに,これは末尾の「参考文献」には示されていません.明らかな「引用」なので「引用文献」として明瞭に示すべきだと思いますが,「引用文献」という概念がないようです.これは「たたら」関係の本一般に言えることですが,「だれが,そういったのか」ということはたいていの場合,明らかではありません.
 もっとも,明示されていても,ほとんどが公刊・公開されていない「古文書」・「手記」・「社内誌(校内誌)」・「会誌」・「同人誌」なんですけどね.

 ほかにも,本文中に短文と書名のみが引用されているのに,引用文献としてリストされていないものがあります.これが普通にあるので,普通に「壁」になり,読み解くことが困難になっています.

 さて,もう,いい加減なところで切り上げて,本筋に戻らなくっちゃ((^^;).

 

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