2011年2月19日土曜日
笠巻袈裟男さん
先ほど,訃報がとどきました.
むかわ町穂別の住人,笠巻袈裟男さんです.
札幌の病院に入院していましたが,容体が急変し,昨日亡くなられたそうです.
遺体は献体なされたそうで,葬儀はおこなわれないもよう.
ご冥福をお祈りします.
わたしが穂別町立博物館(現・むかわ町立穂別博物館)に赴任したその日のことでした.
「おれは笠巻というもんだ」と,一見ヤクザ風の初老の男性が訊ねてきました.
“知人など一人もいないその町に赴任したとたんこれかい”と,正直な話,少しびびりました.
話をしてみると,ホベツアラキリュウ標本(長頸龍,長頸竜,首長竜,クビナガリュウ)の発掘も手伝ったという,奇特な御仁でした.
これが最初の出会いで,以後,わたしが穂別町を退職するまで,ほぼ毎日のつきあいでした.笠巻さん自身には,なんの得にもならないのに,「おい.山行くべ」と,つまらないデスクワークの合間に,化石採集へと誘惑します.
ホベツアラキリュウ発掘地にも,何度一緒に出かけたでしょう.
長和の奥のヒカリゴケ群生地にも.
穂別町の化石産地のすべてを案内してくださいました.
しまいには,館長から「親父(笠巻さんのこと)とばかり一緒にいると,ほかの協力会の連中から文句が出るから,やめてくれ」と脅されるほどでしたが,無償で博物館活動に協力してくれる人と,博物館からなにかを引き出そうとばかりしている人たちと,どちらをとるかといえば,考える必要もありません.
笠巻さんといえば,日本記録をもっていると思います.
1977年のホベツアラキリュウ標本の発掘,
1988年の小平町標本の発掘,
1993年の穂別町浅田の沢標本の発掘と,三度の長頸龍標本の発掘に立ち会っているのです.それも,ほぼ主要メンバーとして.こんな人は,日本人では一人もいないでしょう.しかも,かれは大学や研究所の職員でもない,普通の町民なのです.
ギネスに申請しても,いいぐらいでしょうね.
笠巻さん.あんたはいい人生を送ったよ.
羨ましいぐらいだ.
でも,もう,ゆっくりと休んでください.
いずれ,あちらの世界で,また一緒に化石の発掘をしようね.
さようなら
左後方の人物:1977年,ホベツアラキリュウ標本発掘「よみがえるクビナガリュウ」より
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2 件のコメント:
貴重なお話をありがとうございます。
私、ホベツアラキリュウについて調べていて、たまたまこの記事を読ませていただきました。
あの町にそんな人がいたなんて知りもしませんでした。
私の大好きな博物館には多くの協力者さんのお力添えがあったのですね。
そしてそんな魅力的な人とお知り合いになった貴方が大変に羨ましいかぎりです。
感動を覚えたものでついコメントしてしまいました。古い記事に申し訳ございません。
お目にとまりまして,光栄です.
さまざまなことを記録しておきたい.本当は,ペーパーにしておくべきなんですが,ご時世で,不可能なようです.
せめて,ブログで思いつくままに,想い出すままに,書き留めています.
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