前回,湊(1982)*におかしな点があるということで,限られた情報をもとに,下のように結論しておきました.
1909.02.24:知里真志保,誕生(0歳)
1915.04:真志保,上川第五尋常小学校入学(6歳)1921.03: 〃 ,豊栄尋常小学校(上川第五尋常小学校,改称)卒業(12歳)
1921.04: 〃 ,旭川北門尋常高等小学校・高等科入学(12歳)
1923.03: 〃 ,旭川北門尋常高等小学校・高等科卒業(14歳)
そのあとも,気になって,いくつかの資料を見比べていました.
まずは,本棚にあった「荒井源次郎遺稿 アイヌ人物伝」**に「知里真志保」の項があり,そこに略年譜が示してありました.それを比べると,湊(1982)とまるで同じですから,この時の結論としては,湊先生が引用したとする「知里真志保著作集」の年表が間違っているか,荒井さんが(引用元を明記していない)湊先生の間違いを,そのままコピペしてしまったかのどちらかになります.
そこで,しようがないので,湊先生が引用したとする「知里真志保著作集」を借りだし(市図書館としては珍しく,禁帯出ではないのがあった(^^;).
で,結論は,湊(1982)の「知里真志保著作集」からの引用間違いが明らかに.ほかにも,旭川との関わり合いがいくつか明確になりました.以下.
1909.02.24:知里真志保,誕生(0歳)
1915(T.04).04:真志保,幌別村登別小学入学(6歳)1921(T.10).03:真志保,登別小学校卒業(12歳)
その年,庁立旭川中学校を受験するも不合格.
1921(T.10).04:旭川北門尋常高等小学校***・高等科入学.
1922(T.11).xx:登別の尋常高等小学校****・高等科2年転入学.
1923(T.12).03:高等科卒.
1923(T.12).04:庁立室蘭中学校*****入学.
1927(S.2).02:旭川にて蓄膿症手術*******
1927(S.2).04:~一年間休学********
1928(S.3).04:復学
1929(S.4).03:室蘭中学,卒業.
かなり,複雑なので,省略があると前後関係がつかめなくなっても不思議はないですね.
1927(昭和2)年の旭川での蓄膿症手術のあと,一年間中学を休学していますが,この期間どこにいたかの記述は,今のところ見あたりません.ただし,藤本(1994)の伝記を読むかぎりでは,近文の金成マツのもとにいて,伯母・金成マツおよび祖母モナシノウクからアイヌ語およびユカルを学んでいたとすれば,その後の生涯が理解しやすいと思います.「休学あけ,2回目の5年生の学籍簿に「将来の希望」は「語学者」とある」(「知里真志保著作集」年譜より)
ただし,金成マツの近文・聖公会赴任については記述は普通にありますが,いつ登別に戻ったのかの記述は見あたらないですし,祖母の没年についても同様ですので,引きつづき確認作業を進めないと,確定はできません.
資料の拾い読みをしていると,エピソードにいくつか矛盾が見あたります.
たとえば藤本(1994)の室蘭中学でのエピソード.「室蘭中学の新入生百五十人中,知里君は第三位の合格点であった.従来のしきたりでは,成績のすぐれたものを二人ずつ各クラスの正・副の級長としていたので,知里君は第三組の級長になる順序.職員間では二,三人の反対者もあったが,私は彼を級長にした.別に支障はなかったように記憶する(福山********書簡)」
立派な校長事務取扱いの態度だが,知里真志保(2000)の「和人は舟を食う」中の「図書館通いー私の中学時代ー」の冒頭に,こうある.
「私が当時の室蘭中学校に入学したのは関東大震災の年,つまり大正12年のこと.登別の小学校から室中1年1組の副級長として中学生活の第一歩を踏み出した私は,現在振りかえってみてもあまり楽しい思い出をもたない.」
さても,歴史をふり返る作業は,まことに興味深いことが多い.
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* 湊正雄(1982):アイヌ民族誌と知里真志保さんの思い出(築地書館)の「略年譜」** 荒井源次郎(1992):「荒井源次郎遺稿 アイヌ人物伝」(加藤好男:札幌)
*** 旭川北門尋常高等小学校:現在は存在しない.1928(昭和3)年,新北門尋常小学校(現在の大有小学校)へ519名移籍.1932(昭和7)年,廃校.廃止と同時に旭川師範附属小学校(現在の教育大・附属小学校)として新築移転.
**** 登別の尋常高等小学校:原著にそうあるので,正式名称不明.また,転入学の時期については姉・幸恵が亡くなった9月18日の直後とされるが,記述のある資料が見つからない.このときは,旭川にいた期間は二年に満たないことになる.
***** 庁立室蘭中学校:現在の室蘭栄高等学校.
****** 蓄膿症手術:「知里真志保著作集」年譜では期日不明だが,藤本(1994)*******では2月となっている.
******* 藤本英夫(1994)「知里真志保の生涯」(草風館)
******** 福山惟吉:真志保入学当時の校長事務取扱い
1 件のコメント:
姉・幸恵が成績優秀で,普通ならば級長となるべきところ,辞退し続けている(させられている?).
それを知っている真志保が級長を辞退した(させられた)であろうことは推測がつきます.
それにしても,成績優秀者が辞退した級長の席を引き受ける子らも,しんどかっただろうと思う.
不幸な時代は終わったのだろうか….
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