(一)鉱業略沿革
〔1869(明治二)年〕
七月:開拓使が設置され,全道鉱山の事務を総轄することとなる.
八月:イワナイ石炭山*1に詰所を置き,これを管轄し,のちにイワナイ分署の所轄とする.
--
*1:イワナイ石炭山:イワナイは,もちろん岩内のこと.イワナイ石炭山は茅沼炭山のこと.現在は活動停止中の原発がある.
〔1870(明治三)年〕
十月:金銀鉱山については,外国人技術者を雇い,存在を調査し,これを鉱山司に報告することに決定した.同年:「カメダ郡*1エサン硫黄*2」の採掘を許可する.以来,断続的に借区*3が行われ,事業が行われた.
--
*1:カメダ郡:亀田郡,現在は七飯町一町からなるが,当時は亀田半島全域を含んでいた.
*2:エサン硫黄:恵山硫黄鉱床のある恵山火山は,現在函館市恵山町となっている.
*3:借区:鉱業法によれば,地下資源はすべて国が独占することを前提としている.個人・会社は国から地域を決め権利を借りることによって,採掘することが可能となる.これを「昔区」という(正確な法律文章ではない).
〔1871(明治四)年〕
七月:「カメダ郡イチノワタリ鉛鑛*1」及「ヤマコシ郡ユーラプ銀鉛鑛*2」および「同郡クンヌイ金鑛*3」を調査*4し,借区を許し,幾許もなくして之を止む.同年:釧路國クシロ郡オソツナイ石炭*5を採掘する.のち中止.
同年八月:雇アメリカ人トーマス・アンチセル,諸鉱山を巡検*6.
同年:トーマス・アンチセル,「イワナイ」炭山*7を蹈檢し,開採改良の議を呈す.
--
*1:イチノワタリ鉛鑛:市渡鉱山.大野鉱山ともいうらしい.福富忠男(1932)には,以下のようにある.
〇大野村の含銀・鉛
亀田郡大野村江差街道戸切地川の南渓に曾て市の渡鍍山あり。目下廢山潰滅して舊坑の位置探査すら容易ならず。「安政三年三月岩尾勝右工門及び石川仁吉兩氏發見し、幕府之を稼行して鉛を産せり」と傳ふ又曰く「此山往昔より開坑せしが、安政元年より幕府の直轄となり、石井平一郎之に長たり。關定吉、渡邊大助、同吉郎三人は佐渡の者にして採礦製煉を監督せり。坑夫一〇〇人雑夫六〇人あり。家屋二〇軒、水車一擣、礦杵九本、吹床二ヶ所毎日六〇貫の撰礦を吹き、二〇貫の鉛を得たり。
坑數七ヶ所毎日粗礦一〇〇貫餘を出せり。幕府業を廢する後二ヶ年は民坑と為れり。文久元年ブレーキポンペリーの兩氏巡視の時は、人夫一〇〇人を使役し、毎日の出鉛一〇貫目にして、惣入費五弗九八錢(原文の儘)なりし。此山の最も盛なりしは安政六年にして、毎日の出鉛高七五貫に達し、文久元年前三年間は六六噸の鉛を製出せりと。而して此山は永續すべきも大利なき旨明言せり」云々の記事あり。(明治二十四年三月二十八日北海道廳発行北海道鑛床調査報文参照)本山の位置は海抜八五米、渓口は第三紀黒色頁岩より成り、西南へ七〇度の傾斜を爲し渓頭は安山岩、鑛床は之等兩岩の接線に沿ふ裂罅充填鑛脈脈石は方解石を主とし、含銀方鉛鑛の外黄銅鑛硫化鐵鑛及び閃亜鉛鑛を交へたるが如し。因に明治四年鉛の外、銀の採取をも企て幾何もなく休山せりと傳へらる。
*2:ユーラプ銀鉛鑛:遊楽部鉱山(鉛川鉱山,八雲鉱山ともよばれた).
日高進(1950MS)北海道八雲鉱山付近の地質・鉱床.北大理地卒論,手記.
原田準平・日高進(1951)北海道八雲鉱山の鉱床の構造.地質雑,57(670): 269.
*3:クンヌイ金鑛:不詳.カニカン岳東麓から美利河にかけての利別川上流部が推定されている(寺崎,1996).
來曼ほか(1876)「大日本北海道登志別金田之地理及地質的略測之図」
*4:調査:1871(明治4)年7月といえば,アンチセルの巡検はまだ始まっていない.その頃ほかに地質調査が行われたという記録も見あたらない.もしかしたら,江戸時代末期のブレイクやパンペリーの調査のことか,あるいはその時に随行したといわれる日本人学生の誰かが,再度検分したものなのかもしれない.*5:オソツナイ石炭:現・釧路市益浦の海岸あたりをオソツナイ(岩見浜ともいうらしい)といい,この付近に石炭露頭が見られる.北海道最初の石炭採掘場ともいわれているが,試掘程度であり産業化には至らなかったと思われる.
*6:諸鉱山を巡検:「蝦夷地質学」参照.
*7:「イワナイ」炭山:「イワナイ」は現在の岩内であるが,「イワナイ」炭山は茅沼炭山のこと.
明治一〜五年は旧暦のため,算用数字ではなく漢数字で示す(2015.03.24:修正)
〔1872(明治五)年〕*1
五月:開拓使,四等出仕榎本武揚*2,七等出仕北垣國道*3,諸鉱山を巡視.同年:ヤマコシ郡「ワシノキ」*4「ヤマコシ」*5「イズミサワ」*6石油を採掘したが,のち中止.
同年九月:鑛山允許畧則*7を定めた.
---
*1:明治五年は十二月二日まで.翌日は明治6年1月1日になる(太政官布告337号).
*2:榎本武揚:蝦夷地質学参照.
*3:北垣國道:北垣国道(1836-1916);幕末反政府軍から明治政府へ.政治家としては高知県令,徳島県令,京都府知事,北海道庁長官,貴族院議員などを務めるが,技術者としての業績は不明.
*4:「ワシノキ」石油:鷲ノ木油田.
*5:「ヤマコシ」石油:山越内油田.
*6:「イズミサワ」石油:泉沢油田.
*7:鑛山允許畧則(鉱山許可略則):自今開坑を請ふ者は鑛脈の性質,鑛業成否及願人身元等を糺し,確實と認むるときは本使限り之を許可し,後開申すへき稟裁を經….
〔1873(明治6)年〕
2月:全道地質鑛物調査順序を協議し,雇米国人ライマン,マンローおよび助手*1をして地質鉱物を調査させることとする.同年4月:大主典石橋俊勝*2ほか三名を派遣し,「日高天鹽以北鑛山を蹈檢せしむ」.
同年:ライマン「ポロナイ」石炭山*3を調査,鉱業化可能と判断.
同年:渡島國ニシ郡クマイシ山石炭*4を採掘し,のち中止.
--
*1:ライマン,マンローおよび助手:蝦夷地質学参照.
*2:石橋俊勝:不詳.北大図書には石橋俊勝の肖像写真がある.また,十勝川から佐幌岳を通って空知川までの測量図が残されており,「三角術測量北海道之図」(1875(明治8)年発行)の当該部分のデータは石橋ほか三名の測量と思われる.これらから,石橋らは測量作業が中心であり,鉱山踏査はサブであったことが推測される.
*3:「ポロナイ」石炭山:幌内炭山.
*4:ニシ郡クマイシ山石炭:爾志郡熊石町(現:二海郡八雲町).石炭山については不詳.熊石町史に「見市川右岸の福山層 中に石炭層があり、一時採掘も行ったことがあるが、低品位のため中止」とある.
〔1874(明治7)年〕
6月:黒田開拓長官,ポロナイ炭山*1を巡視.同年8月:クシロ郡ハルトリ沼*2近傍石炭試掘を許可,しばらくして中止.明治20年,借区を再許可.
同年:ライマン,助手を「ポロナイ」煤田に派遣.地質調査,測量*3.
同年:サル郡*4ならびに「モロラン」郡*5に石炭を発見し,試掘を許可.のち中止.
--
*1:ポロナイ炭山:幌内炭山.上記参照.
*2:ハルトリ沼:現・釧路市春採湖附近.前記事「オソツナイ石炭」参照.
*3:派遣.地質調査,測量:この年,ライマンは石狩川を遡り,十勝川にでて,北海道略一周する調査行に.助手たちは二班に分け,一班はマンロー指揮下,一渡・広尾・歴舟地方の砂金地と幕別炭山を調査,もう一班は幌内炭山・幌内-石狩川間・幌内-空知間の地質測量を行っている(蝦夷地質学参照).
*4:サル郡:沙流郡.炭山については不詳.
*5:「モロラン」郡:室蘭郡.炭山については不詳.
〔1875(明治8)年〕
4月:全道の鑛物調査をほぼ終え,旧来の「開採畧則」を廃し,今後「日本坑法」に準拠すべきである旨決済をうけ,北海道庁において全道の鉱山を統括することとする.
同年7月:ライマン,イワナイ煤田*1を踏査し,開採改良を建議.
同年10月:ヒヤマ郡カミノクニ村石炭*2試掘を許可.のち中止.
同年:後志國セタナイ郡トシベッ砂金*3,採取を許可.のち中止.
--
*1:イワナイ煤田:既出.
*2:カミノクニ村石炭:桧山郡上ノ国村(現・上ノ国町).石炭は不詳(1/5万地質図幅未刊).褐炭があったという記録あり.
*3:トシベッ砂金:瀬棚郡利別川上流(現・今金町美利河付近).
西山ほか(1891)より
〔1876(明治9)年〕
3月:イワナイ郡硫黄山*1,試掘を許可.また借区を許可.硫黄鉱山は実測したところ「アブタ」郡*2に属していた.同年5月:鑛物開採は毎年4月より9月までを一期と定める.
同年7月:イワナイ炭坑*3を物産局所轄とする.
同年8月:太政大臣三條實美*4,北海道巡視の時,参議伊藤博文,山縣有朋*5,特に「ポロナイ」煤田*6を巡視.
同年9月:カワカミ郡クッチャロ村アトサノボリ*7および「シャリ」郡シレトコ山硫黄*8試掘を許可し,のち借区とした.
同年:ホロベッ郡字ノボリベッ山,硫黄*9試掘を許可,のち採掘中止.
同年:ライマン,「北海道地質總論」を出版.
同年:トーブイ郡ベルフ子川,砂金*10試掘を許可.のち中止.
--
*1:イワナイ郡硫黄山:不詳.記述からは虻田郡倶知安町と磯谷郡蘭越町にまたがる「イワオヌプリ(岩雄登)」かと思われる.
西山ほか(1891)より
*2:「アブタ」郡:虻田郡.
*3:イワナイ炭坑:既出.
*4:三條實美:幕末の反政府勢力,公家.いわゆる尊王攘夷派.明治政府成立後は議員・大臣などを歴任した.
*5:伊藤博文,山縣有朋:ともに長州藩士で幕末反政府勢力.幕末の動乱を生き延びて,政治家となる.
*6:「ポロナイ」煤田:「ポロナイ」既出.煤田は炭田のこと.現代的には「炭田」は石狩炭田,空知炭田などの広範囲を指すので少し用法が違う.もしくは,このときは「ポロナイ」を石狩炭田全域の代表名として使用していたのかもしれない.
*7:アトサノボリ:アトサヌプリ(跡佐登);現・上川郡弟子屈町.
西山ほか(1891)より
*8:シレトコ山硫黄:知床硫黄山の北西麓.
西山ほか(1891)より
*10:ベルフ子川,砂金:ペルプネイ(現・歴舟川)
〔1877(明治10)年〕
1月:カメダ郡シリキシナイ村コブイ硫黄*1,試掘を許可,のち中止.明治21年,再び試掘を許可.同年2月:オクシリ郡硫黄*2,試掘を許可.のち中止.同22年,再び試掘を許可.
同年11月:8年4月以来,日本坑法に準拠してきたが,(当地は)きわめて寒く,また積雪が多いために稼働日数が少なく「借区税」は当分のあいだ月割りで徴収するべき事を上申した.
同年12月:開拓大書記官,山内堤雲*3ら,ポロナイ炭山*4開採経費概算書を作成,開採を議決.同年:イワナイ炭山*5改良の議起り,山内堤雲ら経費概算書を作成.
--
*1:コブイ硫黄:古武井硫黄山
高畠(1952)より
伊木(1912)より
*4:ポロナイ炭山:既出.
*5:イワナイ炭山:既出.
〔1878(明治11)年〕
2月:これからの北海道坑区税は月割を以て徴収.
5月:「サッポロ」農學校敎師「ペンハロー*1」に「サッポロ」近傍の石材調査をさせる.
5月:「ポロナイ」炭坑開採.「イワナイ」炭坑*2改良の予算は別に予算を組むことを許可.
8月:アツタ郡石油*3試掘を許可.のち借区を許可.
9月:クナシリ郡トープッ村*4,ラウス山硫黄*5,試掘を許可.のち借区を許可.また,ヒヤマ郡キノコ村*6,石炭の借区を許可,のち採掘中止.
10月:煤田*7開採係を本庁に置き,山内堤雲*8を事務長とし,松本荘一郎*9を副長とする.
不詳月:フランス万国博覧会*10に各地の砂金・銅・石炭を出品.
---
*1:ペンハロー:David P. Penhallow (1854-1910):米国の植物学者.1976(明治9)年,W.S.クラークとともに来日したいわゆる“お雇い外国人の一人”.札幌農学校で植物学,化学,農学,英語を教える.1880年帰国.札幌硬石はペンハローの発見といわれる(未確認).
*2:「イワナイ」炭坑:既出.茅沼炭山のこと.
*3:アツタ郡石油:厚田郡の油田のこと.複数個所あることがわかっているので,特定できない.
*4:クナシリ郡トープッ村:国後郡東沸村.
*5:ラウス山硫黄:国後島・羅臼山周辺には昭和初期まで大きな硫黄鉱山があった.
*6:ヒヤマ郡キノコ村:桧山郡木ノ子村(現・上ノ国町木ノ子).石炭山については不詳(1/5万地質図幅未刊).褐炭(?)であった(商業上品質が悪い)とかいう情報があるものの,公式な論文・報告書の類は未見.
*7:煤田:既出(現在は炭田の意味:採炭可能な炭鉱が広域に期待できる地域;の意味で使う).
*8:山内堤雲:既出.
*9:松本荘一郎:(1848-1903)明治時代のテクノクラートのひとり.大学南校卒.土木工学専門.東京府,開拓使などをへて,鉄道庁へ(北海道では重要人物ではない).
*10:フランス万国博覧会:1878年パリ万国博覧会.パリで開催された万博としては三回目.
〔1879(明治12)年〕
2月:雇鉱山師米国人「レ子ー、グロウド、オル子、ゴウジヨー*1」を鉱山監督に任しアメリカ坑夫頭「エドワルド、パレー*2」及び「ヂョセフ,エッチ、ダウス*3」を雇入る.3月:千島國シャナ郡シャナ村チリプ山*4,硫黄試掘を許可.のち中止.
3月:ポロナイ炭山より「ポロナイブト°*5」まで鉄道線を測量*6.
7月:イワナイ炭山出張所ヘ電信を開く.
10月:千島國シベトロ郡モヨロ山*7,ならびに「エトロフ」郡ベルタルペッ山*8,硫黄試掘を許可し,のち中止.
12月:クナシリ郡ペトカ村イチビシナイ硫黄*9の試掘を許可.のち借区とする.
12月:ポロナイ炭山より「ポロナイブト°」に至る鉄道を延長し「エベッ」を経て「サッポロ」にあたり「オタル」港「テミヤ」に至らしむることを許可*10.
--
*1:レ子ー、グロウド、オル子、ゴウジヨー:Lene Claud Ernest Gaujot, 業績,人物とも不詳.
*2:エドワルド、パレー:Edward Parry,業績,人物とも不詳.札幌市教育委員会(1981編)によれば「イギリス人」とある.
*3:ヂョセフ,エッチ、ダウス:業績,人物とも不詳.札幌市教育委員会(1981編)によれば「米国人」らしい.
*4:千島國シャナ郡シャナ村チリプ山:千島国紗那郡紗那村・散布山;硫黄鉱山については不詳.
*5:ポロナイブト°:ポロムイブト(幌向太)の間違いか?
*6:鉄道線を測量:この測量はクロフォード,J. U. (1842-1924)による.
*7:千島國シベトロ郡モヨロ山:千島国蘂取郡蘂取村・茂世路岳(正確には,副峰の硫黄岳).硫黄鉱山に関しては不詳.
*8:「エトロフ」郡ベルタルペッ山:択捉郡留別村・ベルタルベ山.硫黄鉱山に関しては不詳.
*9:クナシリ郡ペトカ村イチビシナイ硫黄:国後郡米戸賀村一菱内(湖).硫黄鉱山に関しては不詳であるが,三井物産が経営していた.
*10:…ことを許可:当初の計画では,幌内から幌向太まで鉄道を敷き,そこから船で石狩港経由で小樽に運ぶ計画だった.しかし,クロフォードは幌内から江別までを鉄道,江別から石狩川を船で輸送することを提案した.3月の測量時には,その予定であった.ところが,四月下旬の雪解け水による大洪水で,石狩川利用の非現実性が浮上した.そのため,開拓使は幌内から手宮までの「幌内鉄道」案に改正.12月25日に許可された.(近藤喜代太郎,2005「幌内鉄道史」より)
〔1880(明治13)年〕
2月:クナシリ郡チッカリペッ村*1シュマノポリ山*2,硫黄試掘を許可.のち,借区とする.6月:鉱山試掘借区券書式を改正.
7月:セタナイ郡セタナイ村*3,瑪瑙マンガン*4の試掘を許可.のち,中止.
8月:メナシ郡ツチベッ山*5の硫黄試掘を許可.のち廃止.
12月:フルウ郡,銅鉛鑛*6の採掘に着手し,のち中止.同20年に再び試掘し,のち借区とする.
12月:第二回内国勧業博覧会に各種鉱物見本を出品.
不詳月:根室國メナシ郡ウエベッ村字チウンベッ硫黄*7の採掘を許可.のち中止.
---
*1:クナシリ郡チッカリペッ村:国後郡秩苅別村.
*2:シュマノポリ山:不詳.羅臼山付近の火山と思われる.
*3:セタナイ郡セタナイ村:瀬棚郡瀬棚村(発足当時の瀬棚郡は現在とかなり異なる).
*4:瑪瑙マンガン:不詳.メノウは利別川上流部.マンガンは利別川下流附近が有名であるが,この鉱山は特定できない.
*5:メナシ郡ツチベッ山:目梨郡.“ツチベッ山”は不詳.
*6:フルウ郡,銅鉛鑛:不詳.古宇郡にはこの当時も知られていた銅鉛鉱山は多い.しかし,明治13年に開坑し,また20年に再開した鉱山というのは該当するものが見つからない.
*7:根室國メナシ郡ウエベッ村字チウンベッ硫黄:不詳.知円別岳のことか?
8月:メナシ郡ウエベッ村*2,「トリポリ*3」試堀を許可.のち,廃止.
8月:アッケシ郡オッチシ村*4の石炭試掘を許可.のち廃止.
月不詳:ウラカワ郡キ子ウス村*5の石炭試掘を許可.のち廃止.
--
*1:カメダ郡下ユノカワ村,鉛鑛:不詳.銭亀沢鉱山のことか?
*2:メナシ郡ウエベッ村:目梨郡植別村(現:羅臼町)
*3:トリポリ:不詳
*4:アッケシ郡オッチシ村:厚岸郡落石村(現:根室市落石).炭山については不詳.
*5:ウラカワ郡キ子ウス村:浦河郡杵臼村(現:浦河町杵臼).炭山については不詳.
〔1882(明治15)年〕
1月:アッケシ郡チリプ村*1の石炭試掘を許可.のち廃止.1月:クナシリ郡字トクカリムイ*2,硫黄試掘ヲ許ス.
2月:開拓使,廃止.三県時代(札幌・函館・根室)となる.
月不詳:鉱山事務は開拓使廃止にともない工部省に所属となる.窓口業務は三県に分離.
---
*1:アッケシ郡チリプ村:厚岸郡散布(現:浜中町散布).石炭山については不詳.
*2:クナシリ郡字トクカリムイ:国後郡トッカリムイ.硫黄山については不詳.
〔1883(明治16)年〕
4月:鉱山試掘・借区出願人取扱手続を制定.8月:ヤマコシ郡オシャマムベ村クンヌイ*1の銅鉱試掘を許可.のち廃止.
11月:借区図の雛形を作成.
11月:借区税怠納者処分法を作成.
月不詳:ヨイチ郡ヨイチ川上字シロイカワ*2の銅鉱試掘を許可.のち廃止.
---
*1:ヤマコシ郡オシャマムベ村クンヌイ:山越郡長万部村訓縫(現:山越郡長万部町字訓縫).銅鉱山については不詳.
*2:ヨイチ郡ヨイチ川上字シロイカワ:余市郡余市川上字白井川.銅鉱山については不詳.
〔1884(明治17)年〕
5月:試掘借区願人身元並に資力調査法制定.6月:メアカン山*1の硫黄試掘を許可.
---
*1:メアカン山:雌阿寒岳.
〔1885(明治18)年〕
月不詳:オタル郡アサリ川奥*1の銀鉱試掘を許可.のち廃止.1月:ルルモプペ郡*2の石炭山試掘を許可.のち廃止.
---
*1:オタル郡アサリ川奥:小樽郡朝里川.
*2:ルルモプペ郡:留萌郡.
〔1886(明治19)年〕
1月:札幌,函館,根室三県を廃止,北海道庁を置く.3月:借区税怠納または一ヶ年以上休業および試掘期限経過のため証券引揚処分を受けたものの処分法制定.
4月:借区税徴収後,廃坑または減坪にかかわる既納税金は返却しない旨通達.
3月:試掘借区願は本庁においてこれを審査し,のち監督官庁に開申する.
11月:サッポロ郡ツキサプ村字ツキサプ山*1の石油試掘を許可.
月不詳:地質鉱山調査を起業する.主任・山内徳三郎*2,工學士・大島六郎,桑田知明*2などが従事.また,ソラチ煤田*3調査を開始.山内徳三郎が主任となり,工學士・大日方一輔,工學士・米倉清族,前田精明*4が従事.
月不詳:フルビラ郡字イナクライシ銀銅山*5試掘を許可.のち,廃止.22年,再び試掘を許可.
---
*1:サッポロ郡ツキサプ村字ツキサプ山:札幌郡月寒村字月寒山(現:札幌市豊平区月寒).
*2:山内徳三郎,桑田知明:地質測量生徒の地質学(その2)参照.
*3:ソラチ煤田:空知炭田.
*4:前田精明:地質測量生徒の地質学(その3)参照.
*5:フルビラ郡字イナクライシ銀銅山:古平郡稲倉石銀銅山(現:古平町稲倉石).
〔1887(明治20)年〕
4月:鉱山事務取扱手続を制定.4月:空知郡ホロムイ川上字ナヱベツ*1の石油試掘を許可.
11月:クナシリ郡ペトカ村字イワオイ*2の硫黄試掘を許可.
12月:アカン郡テツベツ村メアカン山*3の硫黄借区を許可.
月不詳:ソラチ煤田*4調査を地質調査に合す.又,西山正吾を増員,該事業に従事せしむ.
---
*1:空知郡ホロムイ川上字ナヱベツ:空知郡幌向川上字.ナヱベツは不詳(現:栗沢町上志文を流れる苗川,もしくは美流渡を流れる石油の沢のことか?).
*2:クナシリ郡ペトカ村字イワオイ:国後郡米戸賀村,字イワオイは不詳.
*3:アカン郡テツベツ村メアカン山:阿寒郡徹別村雌阿寒山(現:足寄町雌阿寒岳)
*4:ソラチ煤田:空知炭田.
〔1888(明治21)年〕
1月:ヨイチ郡オキ村ユーナイ*1の銅銀鉱試掘を許可.2月:イワナイ郡カヤノマ村*2の石炭山借区を許可.
5月:フルウ郡オキシナイ村*3の銅鉱試掘を許可.のち試掘延期を許可.
5月:セタナイ郡トシベッ川*4ほか六ヶ川において砂金採取を許可.
5月:アツタ郡字モーライ*5の石油試掘を許可.
7月:クナシリ郡ペトカ村ポントー*6の硫黄借区を許可.
7月:山内徳三郎,林務に転出.理學士・河野鯱雄,これに代る.
7月:ソラチ郡ポロナイ村イクシユムベッ炭鑛*7の借区を許可.
7月:クナシリ郡トープッ村字トクカリモイ硫黄*8の借区を許可.
9月:ソラチ郡ソラチ石炭*9試掘を許可.
10月:フルウ郡サンナイ村*10の銅鉱試掘を許可.
11月:アツタ郡各村,石油試掘を許可.
12月:マツマイ郡アカガミ村*11の銀鉱試掘を許可.
12月:オクシリ郡アオナイ*12の石炭試掘を許可.
12月:カヤベ郡オサッベ村*13の硫黄試掘を許可.
12月:オクシリ郡ツリカケ村*14の硫黄試掘を許可.
月不詳:地質鑛山調査に阪市太郎*15・石川貞治*16・神保小虎・加藤清を増員し,該事業に従事せしむ.
---
*1:ヨイチ郡オキ村ユーナイ:余市郡沖村湯内(現:余市町豊浜町湯内川上流).
*2:イワナイ郡カヤノマ村:岩内郡茅ノ澗村(現:古宇郡泊村茅沼).
*3:フルウ郡オキシナイ村:古宇郡興志内村(現:古宇郡泊村興志内).
*4:セタナイ郡トシベッ川:瀬棚郡利別川(現:今金町利別川).
*5:アツタ郡字モーライ:厚田郡望来(現:石狩市厚田区望来).
*6:クナシリ郡ペトカ村ポントー:国後郡米戸賀村ポントウ.
*7:ソラチ郡ポロナイ村イクシユムベッ炭鑛:空知郡幌内村幾春別炭鉱(現:三笠市幾春別).
*8:クナシリ郡トープッ村字トクカリモイ硫黄:国後郡東沸村.トクカリモイは不詳.
*9:ソラチ郡ソラチ石炭:空知郡空知石炭(現:歌志内市の元空知炭鉱).
*10:フルウ郡サンナイ村:古宇郡珊内村(現:古宇郡神恵内村珊内村).
*11:マツマイ郡アカガミ村:松前郡赤神村(現:松前郡松前町赤神).
*12:オクシリ郡アオナイ:奥尻郡青苗(現:奥尻郡奥尻町青苗).
*13:カヤベ郡オサッベ村:茅部郡尾札部村(現:函館市尾札部町)
*14:オクシリ郡ツリカケ村:奥尻郡釣懸村(現:奥尻町釣懸)
*15:阪市太郎:坂市太郎の誤記.地質測量生徒の地質学(その2)参照.
*16:石川貞治:石川貞治・横山壮次郎の地質学(1)~(7),増補,参照.
〔1889(明治22)年〕
2月:カメダ郡トドホッケ*1,アカイ川*2の硫黄試掘を許可.3月:大日方技師*3,非職となり民間に転職.
4月:ヨイチ郡サンドー村*4ならびにシロイカワ銅鑛*5の試掘を許可.
4月:クシロ郡コンブモリ村カツラコイ村*6の石炭試掘を許可.
4月:カバト郡トク川*7の石油試掘を許可.
4月:ユーバリ郡*8の石炭試掘を許可.
4月:余市郡シカリベッ*9銀鉱,試掘を許可.
4月:ヨイチ郡ヌツチノ澤*10,シロイカワ三ッ俣*11の金銀銅鉱試掘を許可.
4月:ソラチ郡ホロムイ川支流ナエベッ*12の石油借区を許可.
4月:ヨイチ郡ヲキ村ユーナイ*13:銀鉱借区を許可.
4月:ヤマコシ郡ヤクモ村ユーラプ村*14の銀鉛山試掘を許可.
5月:タカシマ郡シクヅシ村字ヤマナカ*15銅鉱試掘を許可.
5月:米倉*16・桑田技師*17,退職し民間へ.
6月:ウス郡オサル村*18ニシモンベツ村*19マレプ村*20の銀銅鑛試掘を許可.
6月:アツタ郡モーライ村「フラトマリ」*21,の石油借区を許可.
6月:アツタ郡モーライ村シュンベッ*22,シャッカリ*23,コタン村*24の石油試掘を許可.
--
*1:カメダ郡トドホッケ:亀田郡椴法華(現:函館市新浜町,新八幡町,元村町,銚子町など)
*2:アカイ川:不詳.
*3:大日方技師:大日方一輔(長野出身).
*4:ヨイチ郡サンドー村:余市郡山道村(現:余市郡仁木町).
*5:シロイカワ:余市郡余市川上字白井川.
*6:クシロ郡コンブモリ村カツラコイ村:釧路郡昆布森村(現:釧路町昆布森)・桂恋村(現:釧路市桂恋)
*7:カバト郡トク川:樺戸郡徳富川.
*8:ユーバリ郡:夕張郡.
*9:余市郡シカリベッ:余市郡然別(現:仁木町然別).
*10:ヨイチ郡ヌツチノ澤:余市郡ヌッチノ沢(現:余市郡ヌッチ川)
*11:シロイカワ三ッ俣:余市郡余市川上字白井川三俣.
*12:ソラチ郡ホロムイ川支流ナエベッ:空知郡幌向川支流ナエベツ(現:岩見沢市上志文町,苗川).
*13:ヨイチ郡ヲキ村ユーナイ:余市郡沖村湯内(現:余市町豊浜町湯内川上流).
*14:ヤマコシ郡ヤクモ村ユーラプ村:山越郡八雲村遊楽部村(八雲村までは記録にあるが,ユーラプ村/遊楽部村は記録が見つからない;誤植か?)
*15:タカシマ郡シクヅシ村字ヤマナカ:高島郡祝津村字山中(現:小樽市祝津)
*16:米倉技師:米倉清族(佐賀県出身:以下不詳).
*17:桑田技師:桑田知明(既出);技師たちの移動が激しいが,これは事務官偏重・技官軽視の上に,帝国大学出身者が増え学閥ができたため(ともに現代に続く悪しき伝統)といわれる.さらに,当時は薩長閥偏重という背景もあった(官員録,出身などを調べれば明らかになるかとは思う.いずれ調べてみたい).
*18:ウス郡オサル村:有珠郡長流村(長流村は,現在伊達市と壮瞥町に分割されている).
*19:ニシモンベツ村:西紋鼈村(現在地は不詳).
*20:マレプ村:稀府村(現:伊達市北稀府,中稀府.南稀府)
*21:アツタ郡モーライ村「フラトマリ」:厚田郡望来村フラトマリ(現:石狩市厚田区望来フラトマリ)
*22:アツタ郡モーライ村シュンベッ:厚田郡望来村春別(現:石狩市厚田区望来春別).
*23:シャッカリ:厚田郡望来村知津狩(現:石狩市厚田区望来知津狩).
*24:コタン村:厚田郡望来村古潭(現:石狩市厚田区望来古潭).
0 件のコメント:
コメントを投稿