2015年4月16日木曜日

「北海道鑛山畧記」:(三)石炭の「ポロナイ石炭」(地形〜地質まで)

 
(三)石炭
●ポロナイ石炭 (明治廿年の報告に因る)
(地形)
ポロナイ煤田は石狩國ソラチ郡ポロナイ村に在り(「ポロナイ」の上流渓水二派相合する處に在り渓水一を「タキノサワ」と云ひ一を「ホンサワ」と云ふ兩處とも採炭場なり).北緯凡そ四十三度拾三分東經二度十一分「サッポロ」の北七十三度東直徑十三里一分(鐵道線路に沿ひ「サッポロ」停車場より「ポロナイ」役處に至るの距離三十四哩と二千七百廿一尺)の處とす.其地形たるや海面を抜くヿ三百拾貳尺六寸三分五厘(本坑々口)にして,廣袤*1里餘,僅に西一角を開ひて「サッポロ」に通し,三面は山峯回繞す.一の小水あり「ポロナイ」川*2と名く.渓間を迂曲して流下するヿ一里許「ポロナイブト°」(「ブト」はアイヌ語にて水の流れ入る口を云ふ「ポロナイブト°」は「ポロナイ」の川口なり)に至り「イクシュンベッ」の流*3に入る「イクシュンベッ」は「ホロムイ」川*4と合して「ホロムイブト°」に至り有名なる「イシカリ」川*5に注く.
「ポロナイ」周年の氣候,雨雪多くして晴天其半を減ずべし.温度は最高華氏九十度内外にして,最低五度に至る.戸数三百戸許.人口千三百有餘.各渓間に沿ふて櫛比居住す.坑業に就て生活する者,十中八九とす.煤田用地は八千六百八十五萬五千八百拾貳坪九合貳勺七才にして用地内に三煤田あり.即ち「ヌッパオマナイ」*6「イクシュムベッ」及ひ「ポベツ」*7是なり.而して「ポロナイ」煤田坑區は六拾貳萬坪なり.
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*1:廣袤:「廣」は東西の,「袤」は南北の長さ>巾と長さであるから,すなわち「面積」.
*2:「ポロナイ」川:幌内川.
*3:「イクシュンベッ」の流:幾春別川.
*4:「ホロムイ」川:幌向川.
*5:「イシカリ」川:石狩川.
*6:「ヌッパオマナイ」:抜羽の沢川(幾春別川支流).
*7:「ポベツ」:奔別.


(発見)
舊開拓使報文に依り「ポロナイ」煤田發見を尋るに,明治元年石狩國イシカリ驛の木村吉太郎なる者,「オタル」港本願寺出張所建築に用る木材を「ポロナイ」近傍の山に於て伐採せしとき,適煤炭の露出するを見る.然れとも未だ其何物たるを詳にせず.
翌二年,下山の時其片塊を採り携へて歸り,之を人に示す「シママツ」驛の獵夫紺野松五郎,之を見て其煤炭たるを知り,仝四年特に該山に行き炭塊數個を採り,之を「サッポロ」開拓使廳に呈す.然るに當時,使廳多事にして未た之を踏檢する能はす.
翌明治五年,「サッポロ」の住民早川長十郎なる者,其發見の事を聞き,亦特に行て炭塊を採り來り.具さに本廳に報す時に,開拓使四等出仕榎本武揚*1,本廳に在り.親しく其景況を長十郎に質し,其炭塊を分折せしに,其質肥前高島産に伯仲す.
因て仝六年,「アメリカ」人地質學士「ベンヂャミン、スス、ライマン」*2をして該地方を巡視せしめしに,「ポロナイ」を見て開坑適當の地となせしにより,仝七年ライマン及其助手數名をして該煤田を實測せしむ.
仝十二年十二月十八日,始めて開坑に着手し,仝十四年,更に詳細の測量をなす.
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*1:榎本武揚:榎本釜次郎(1836-1908).
*2:ベンヂャミン、スス、ライマン」:Benjamin Smith Lyman,邊治文,士蔑治,來曼 (1835.12.11-1920.08.30).


(沿革)
抑も此炭坑の業は明治十二年開拓使の創始に係り,十五年二月,移て工部省に屬し,十六年三月に至り,更に農商務省の管轄に付せられ,十九年一月,廢縣置廳*1となり三月より北海道廳炭礦鉄道事務所に於て管理し來り,仝九月,之を「ソラチ」監獄署の支配*2に移し以て今日迄繼續せり.
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*1:廢縣置廳:廃県置庁.1882(明治15)年,開拓使廃止にともない函館県・札幌県・根室県が設置.1886(明治19)年,北海道庁の設置と同時に県区分は廃止された.
*2:「ソラチ」監獄署の支配:囚人労働の様子は後出.


(地質)
「ポロナイ」煤田地質は水成岩にして夾煤粘土砂石シェール及蠻岩石*1より成る者とす.其煤炭は瀝青非焦煤質*2にして,一大鞍狀をなせり.明治十四年の地貭測量報告によれば,其機軸の長三十二町にして,北五十度東に向て走り「ポロナイ」と「イチキシリ」*3分水嶺(鉱區内最も高き山頂)の近傍より漸々左右に低降せり.而して層の傾斜に於る鞍状の西北側は稍や緩慢にして,十八度乃至二十五度なりと雖とも,南側は甚た急にして五十度乃至六十度なり.

断層夥多にして,其小なる者は寸餘に過ぎすと雖とも,大なる者に至ては數十尺に及ぶ.抑断層は坑業上許多の妨碍をなす者にして,其之あるは甚た憂ふべきの事なれとも,「ポロナイ」煤田に於は,是か爲め却て實業上好都合を得るヿあり.何となれば本抗水準上の炭量,之か爲に多額なるの一事にして,即ち炭層將に低降せんとして断層の爲に再三昂起するを以なり.若し断層なくんば,三番層以下の炭層は坑區内東南の方に於て見るヿ能はざるべし.之に反し若し該方面に於て之を見るヿを得ば,前條に陳べたる分水嶺の近傍に於ては四層の良炭は早く既に地表に出て去るべし.其然らずして現今の位置に存在する者は,眞に断層の賜と云べし.又,炭層中より多量の可燃ガスを發生し,屢々爆發の災に罹る.

炭層を包括する處の地は六十二萬坪餘にして,内に大小二十餘個の炭層ありと雖とも,當今開採に適する者と認定する者は四層(一番層二番層三番層四番層なり.但し該番號は地質年期に基き下部より上部に至る)にして,本坑(炭層鞍状西北側に開坑せし大坑道にして炭層に直角をなす坑道なり)水準下五百尺間迄を計算せば,其炭量一千百八拾五萬貳千噸なりとす.即ち左表(下表)の如し.


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*1:蠻岩石:「礫岩」のこと.
*2:瀝青非焦煤質:瀝青(天然アスファルト・コールタール・石油アスファルト・ピッチなど),焦煤(中国語.日本語訳は「粘結炭」).
*3:「イチキシリ」:市来知.
 

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