2009年4月4日土曜日
砂鉄“研究”史(1)
●「地学雑誌」時代
そもそも,最初に砂鉄が学術的に述べられたのは,「地学雑誌」(1895(明治28)年6月10日発行)に「中國砂鉄に付て」という無署名の記事でした.以下に関係分を示します.
【産地】
記事には「雲伯芸備*」に数百もの砂鉄産地があると書かれています.
しかし,砂鉄産地は伯耆沿岸(=大山の沿岸部)の「浜砂鉄」を除けば,陰陽両道の分水嶺付近の山中に限定されるといいます.
*「雲伯芸備」=(雲州=出雲国=島根県東部)+(伯州=伯耆国=鳥取県中西部)+(芸州=安芸国=広島県西半部)+(備州=備前国+備中国+備後国=岡山県南東部+岡山県西部+広島県東部)
【成因】
「浜砂鉄」を除けば,この地方の砂鉄は深成岩類に含まれる不透明鉱物が風化作用によって現れるものであるとしています.それは,これら岩石が粗晶質であることと,この地方の厳しい気候が原因だとしているわけです.現地残留鉱床として,あるいは段丘堆積物もしくは(山間部の)現河床堆積物として残るものを「山砂鉄」と呼んでいます.また,これら砂鉄が流れ出し下流の平地に堆積したものを「川砂鉄」と呼んでいます.
【川砂鉄】
陰陽両地方の「川砂鉄」には,ほとんど差がありません.川砂鉄には「磁鉄鉱」・「鏡鉄鉱」・「チタン鉄鉱」・「有色鉱物」などに「細粒の珪石」が混在したものであるとしています.したがって,「たたら製鉄」ではその半分以上は「銑鉄」にならず,「鋼鉄」になる傾向があるそうです.
また,「川砂鉄」は「山砂鉄」より熔融しにくい傾向がある.と,しています.
【山砂鉄】
「山砂鉄」は「アコメ,モミヂ普通砂鉄,黒砂鉄,青砂鉄」に分けられています.ここで,「普通砂鉄」という用語がなぜ入っているのか不明ですが,以下に説明が続きます.
「アコメ」は水酸化鉄を混じ褐色を帯びている.
「モミジ」は赤鉄鑛を混じ,細粒で紅葉色を帯びている(「普通砂鉄」については説明がない).
「黒砂鉄」はチタン鉄鉱の混在量が前者より多いようである(とあるが,「前者」とは何をさしているか不明.「アコメ」と「モミヂ」のことか).
「青砂鉄」は重珪酸化合物鉱を多量に交え,チタン鉄鉱を含有する黒砂鉄によく似ている(「重珪酸化合物鉱」という言葉は現在使われていない.「重鉱物」のことか.重鉱物がほとんどを占める「砂」を「砂鉄」と呼ぶのは問題はないか).
【山陰と山陽の砂鉄の相違】
花崗岩からは種々の砂鉄が産出するため,一概にはいえないが,下記の違いがあるようだ.と,しています.
「山陽砂鉄(+分水嶺付近)」vs.「山陰砂鉄」
多い >二酸化鉄> 少ない
多い >水酸化鉄> 少ない
銑鉄 >製品鉄質> 鋼鉄
熔融しやすい>熔融しづらい
しかし,山陰砂鉄でも「有色鉱物」を混在するものは熔融しやすく,銑鉄製造に適するものもあるとしています.
また,以上の花崗岩のものに比して,閃緑岩から産出する砂鉄は,角閃石やチタン鉄鉱を含みますので,製銑の歩留まりが悪く,鉄質も劣るのが普通であるそうです.
【歩留まり】
山砂を流して得られる砂鉄の量は,1/100~8/10,000ですが,通常は5/1,000~1/1,000程度.その砂鉄からつくられる銑鉄は,3.5割~1.5割程度であるそうです.
[解説]
この著者は「河砂鉄」と「川砂鉄」の両方を使っていますが,私の解説では「川砂鉄」で統一します.また,本来は「鐵」ですが,これもこの著者は「鐵」と「鉄」の両方を使っています.こちらも,私の解説は「鉄」で統一します.
中国地方の砂鉄は,かなり特定の地域でしか産出しないとされています.ここでは,「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」は単に存在する場所を現しているだけで,「分類用語」として機能しているわけではないようです.
「鉱山必要記事」では「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」ではなく,「山粉鉄」・「川粉鉄」・「浜粉鉄」を使用しています.私はある理由で「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」という用語は不適切と考えています.なぜなら,この著者も書いているように,これらには「磁鉄鉱」・「赤鉄鉱」・「チタン鉄鉱」のほかに,相当量の「有色鉱物」と「無色鉱物」が含まれており,しかも「たたら製鉄」には,この「無色鉱物」が非常に重要な働きをするからです.純粋に近い「鉄鉱物」のみでは「たたら製鉄」はできないからです.「石英」・「長石」の混在を前提とする混合物に「砂鉄」という言葉を使うのはおかしいでしょう.「鉱山必要記事」に使われたとおりに「粉鉄」を使うべきだと思います.
「川砂鉄」が銑鉄にならないで鋼になるというのは「鉱山必要記事」の記述とは全く逆です.また,「『川砂鉄』は『山砂鉄』より熔融しにくい傾向がある」というのも「鉱山必要記事」の記述とは全く逆です.どちらかの記述が間違っているか,或は本来そのような違いはないのかもしれません.なお,管見(調べた)の範囲内では,「川粉鉄」と「山粉鉄」を用意して,双方の熔融温度を比較したという実験は見当たりませんでした.そもそも,「川砂鉄(川粉鉄)」と「山砂鉄(山粉鉄)」の定義が曖昧なので,実験材料すら用意できないのでしょう.山中の川から採取した砂鉄や山間部と平野部の境界あたりで採取した砂鉄はなんと呼ぶのでしょうね.
また,この部分の記述では「川砂鉄」・「山砂鉄」という用語に,産地以外の違い(=熔融温度の差)があることを匂わせていることになります.しかし,その詳細については触れていません.「傾向がある」といっているだけです.
また,この記事は,基本的に「鉱山必要記事」の記述をふまえて論じているようですが,「鉱山必要記事」には「山砂鉄」が上記のように分けられるという記述はありません.出典はなんなのでしょう.また,ここで示された分類はこのあと引用されたことはないようです.
前記,無署名記事の二年後,今度はTS生(1897)という名で,「藝、備、石地方の砂鐵に就て」という記事が掲載されました.
【地域】
まずは,その地域のついての説明です.これは,無署名記事より少し限定されていて,山陰山陽の境界部とその山陰方面側が中国砂鉄産地の主要な地域であるとしています(つまり,山陽側の大部分は入れられていないか,主要ではない地域として入れられている).
【分析値】
ここで,史上はじめて日本の“砂鉄”の化学分析値が示され,日本の「砂鉄」は母岩に副成分鉱物として存在する「磁鉄鉱」と「チタン鉄鉱」の混合物であることを明らかにしています.しかし,残念なことに,この分析した標本は複数の地点からの“砂鉄”を精選の過程で混ぜ合わせたものらしく,「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」,「アコメ」あるいは「真砂」のいずれとも,示されていません.
硅酸 9.80
礬土 1.75
第一酸化鐵 24.10
第二酸化鐵 54.48
石灰 0.80
苦土 0.52
酸化満俺 0.92
硫酸 0.02
燐酸 0.07
ちたん酸 5.80
熱灼減量 1.50
鉄化合物総量で8割近くを占めるものの,珪酸分が約一割を占めています.
鉱物としての存在比を示しているわけではないので判断できませんが,こういう値は,産地,精選の方法・程度によって変わってくるので一義的な意味は持っていません.ただ,最初におこなわれた化学分析であるということと,どうやら,いわゆる“砂鉄”には大量の鉄の酸化物とわずかなチタンの酸化物が含まれているということだけです.
また,この分析値からは鉄酸化物が「磁鉄鉱」であると判断することはできないと思いますが,私はこういう分析値の“専門家”ではないのでよくわかりません.
【母岩】
“砂鉄”の母岩はおおむね「閃緑岩」・「花崗岩」・「花崗(質)斑岩」の三つであるとしています.具体的な数値は示していませんが,砂鉄の含有量は「閃緑岩」にもっとも多く,「粗晶の花崗岩もしくは花崗斑岩に少」とし,その量は通して6/1,000以下であるとしています.
【精選】
「たたら製鉄」所では,上記微量の“砂鉄”を65%まで精選したものを用い,そこからつくられる銑鉄は25%前後であると記述しています.
これは,語るに落ちるで,分析値として示された標本は,異常に鉄分を高く精製したものだということがわかります.実際に使われる「粉鉄」中の「砂鉄」の割合はそんなに高くないわけです.
【砂鉄の種類】
砂鉄には二種類あるとしています.以下,
アコメ(目細:メゴマ):大部分は閃緑岩および“角閃花崗岩”から生じ,小粒の真砂および水酸化鉄を含む砂鉄からなるとしています.これは,もっぱら銑鉄の原料に使い,備後の国恵蘇郡・三次郡,安藝国粟屋および石見国漁山付近の地方に多いとしています.
荒真砂(アラマサ):荒真砂は大粒の砂銑(ママ)であり珪石粒を含むとしています.主として製鋼用に使用され,石見国邑智郡に多いそうです.川砂鉄の一部もまたこれに属しているとしています.
現在の岩石学では“角閃花崗岩”という用語はありません.「角閃石」と「角閃岩」は全く異なる概念なので,「角閃」という使い方は現在はしません.
マフィック鉱物の存在を意図的に示す場合,「角閃石花崗岩」ということはあります.しかし,通常「角閃石」が含まれる花崗岩には,当然「雲母」も晶出しているはずなので,「角閃石-黒雲母-花崗岩」もしくは「黒雲母-角閃石-花崗岩」となるはずです.しかし,「黒雲母-角閃石-花崗岩」なら「閃緑岩」といった方が早いでしょう.
「アコメ」もしくは「目細」と呼ばれる“砂鉄”の鉄鉱物は「小粒の真砂」と「水酸化鉄」からなるとしていますが,「小粒の真砂」の定義がどこにもありません.この時点では「真砂」はまだ俗語であり定義がありませんから,「水酸化鉄」と並置するのはまずいでしょう.
「荒真砂」は「大粒の砂銑」と「石英長石類」からなるとしています.「砂銑」は「砂鉄」の誤植だと思われます.そうであれば,先に砂鉄は「磁鉄鉱」と「チタン鉄鉱」と定義されているから,「荒真砂」は一応定義された用語として扱うことができます.
なお,後に,これを引用したのかそうでないのかはわかりませんが,あいまいな「アコメ“砂鉄”」・「(荒)真砂“砂鉄”」という用語が使われることがありますが,ここでは両方ともに「砂鉄」ではない珪石が相当量含まれるのが普通であるので,“砂鉄”をつけて使うのは科学的とは言い難いと思います.あくまで「鉄山必要記事」で使われた「粉鉄」を使うべきで,「アコメ(赤目)粉鉄」・「(荒)真砂粉鉄」が使われるべきです.
論文はこのあと,「砂鉄」そのものではなく,製鉄に関する記述となるので,以下は省略します.
「地学雑誌」には,この後,砂鉄に関する論文は見当たりません.
蛇足しておけば,この当時の「地学」はまだ未分化の状態で,決して現在の「地学」と同じ意味ではありません.強いていえば,現在のナショナル・ジオグラフィック協会のようなもので,地質学を含むいわゆる地学に,自然地理や民俗学・民族学,さらには考古学的記載まで加えたものでした.
したがって,地質学あるいは鉱物学・鉱床学の専門家が書いた記事との前提で議論するのはまずいのかもしれません.
注:この時代の文章は現代の私たちにとっては,まだ古文書解読のような手間がかかります.どちらにでも解釈できる複合的な文章が使われていたり.「そうだ」といっているのか,「そうではない」といっているのか判断できない場合も多々あります.現代的な科学論文と見なすのは無理があるのかもしれません.
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