2009年4月15日水曜日

砂鉄“研究”史(2)付録

 
・たたら製鉄復元計画委員会・日本鉄鋼協会(1971編)「たたら製鉄の復元とその鉧について」.日本鉄鋼協会,特別報告書第9号,137頁.

 本書は,大正末期に消滅した「たたら」を実際に復元し,その鉧を実際に科学的に分析してみようという試みの記録です.「村下三人寄れば話しが違う」という困難な状況下,実際にたたら製鉄を復元した関係者の苦労は,たいていのものではなかったと思います.「技術(art)」である「たたら製鉄」を「科学(science)」の言葉で語る試みは成功したかどうか,私には判断ができませんが地質関係のことなら多少の評価はできると思います.

 なお,この本は北海道には存在せず(旭川市立図書館の判断),広島県立図書館から相互貸借によって借り出したものです.したがって,借用期間が短く十分な検討はできませんし,もう返却してしまいましたので間違いがあっても再確認はできません.
 あしからず.

 3章に「たたら炉復元のための基礎工事および築炉」という部分があります.
 ここに私の興味のほとんどが書かれていますが,ここを見ての私の正直な気持ちは「がっかり」です.この事業,この本の編集には地質学関係者,もしくは地質学の素養のある人物は関わっていなかったと判断できるからです.

 冒頭に地質図が一頁,凡例らしきものが二頁にわたって掲載されています.
 まず,地質図ですが,これは「島根県水産商工部工業開発課発行」とある.引用ですね.図の表題は「中国地方地図」になっています(「地質図」ではないのが不思議).しかし,示されているのは島根県の西部の一部のみであり,「中国地方地(質)図」ではありません.
 原版は多色刷りらしいのですが,白黒複写のため,地質区分がさっぱりわかりません.地質学関係者がスタッフにいれば白黒印刷用にトレースしなおすなど,地質屋なら誰でもできることなので,いなかったと判断できます.これでは,砂鉄採集地点と地質を比べることなど不可能なので,地質図を引用・掲載する意味がありません.

 もっとまずいのが,二頁にわたって掲載された「凡例のようなもの」です.地質屋なら絶対にやらないことがやられています.通常,その地域の地質の概略を示すために「模式柱状図」もしくは「地質概念図」が示されるのが普通です(これには付属していませんが).その場合,地質屋には不文律があって,古い地層が下に,新しい地層が上に表示されます.地質学の根本法則「地層累重の法則」にのっとり,古い地層は下にあり,新しい地層は上にあるからです.この法則を知らないものは,地質屋とはいえません.

 凡例もこれに準じます.
 「凡例のようなもの」といったのは「凡例」として示されていないからですが,第四紀の地層の上に,新第三紀の地層が乗り,その上に「先武寒紀(ママ:たぶん先寒武利亞紀の間違いでしょう)」や上部石炭紀(ママ:「上部」なら「石炭系」であり,「石炭紀」を使うなら「後期」であるはずです)・二畳紀の地層が乗り,さらにその上に白堊紀の地層が乗っています.
 あり得ない.

 悲しいのは,凡例のトーン(地質図上に表される模様・色など)と地質図のトーン(色・模様)とがマッチしていないので,凡例の役をほとんど果たしていないことです.
 なお,縮尺や真北・磁北も記されていません.

 あとは,推して知るべきなのですが,地質屋には理解できない用語と文章が続きます.
 以下,どうやって紹介しようかと悩むところですが,とにかくやってみようと思います.

 たたら製鉄復元計画委員会(1971)の砂鉄の分類に関する見解は以下のようです.

山陰の砂鉄は,産状および品質から,海浜砂鉄,第三紀層砂鉄,川砂鉄(噴出砂鉄),真砂,赤目(第一次)砂鉄に分類することができる.」そうです.
 しかし,これらの用語の定義もしくは解説はありません.
 その上で,(砂鉄が)もっとも集中している地域は「島根県・鳥取県境付近の山地」と,「島根県江津市付近」で,「(この地域の)浜砂鉄は江川上流 邑智郡出羽地区(現:邑智郡邑南町出羽:広島県との県境あたり)から出たものである.」としています.
 さらに「この地方」(この地方とは,島根県・鳥取県境付近を示すのか,島根県と広島県との県境あたりを示すのか,あるいは両方をさすのかは不明です)の砂鉄は以下のように分類できるそうです.

(1)山砂鉄…残留鉱床…(a)真砂砂鉄(第1次)
            (b)赤目砂鉄( 〃 )
(2)第三紀層砂鉄(噴出砂鉄)
(3)浜砂鉄
(4)川砂鉄


 いずれの用語も定義も解説もありませんが,特に,ほかではみられない「第1次」や「噴出砂鉄」という用語の定義も説明もありません.もちろん,地質図にも「第三紀層砂鉄」という区分はありません.その上で,(2)の「第三紀層砂鉄(噴出砂鉄)」は「全国各地に存在する砂鉄鉱床とほとんどことなることはない」そうです.残念ながら,私は「噴出砂鉄」という言葉は聞いたことがありません.

 (1)および(3),(4)に関しては「本邦における特殊な鉱床形態を示している」のだそうですが,「特殊」だという割には定義も解説もありません.
 以下,地質学的解説と思われる解説が続きますが,突っ込みどころが満載で面白いのですが,本質的でないので大部分省略します.

 「真砂砂鉄の原岩(ママ)」は「花崗岩類」だそうで,「大部分は黒雲母花崗岩に属するが,ところにより角閃石黒雲母花崗岩または,角閃石花崗岩となっている」そうです.
 これが,現在の通常の花崗岩の記載法に従っているとすれば,普通の花崗岩は,大部分黒雲母花崗岩でところにより角閃石-黒雲母花崗岩です.前者はマフィック鉱物が黒雲母のみの花崗岩を表し,後者はマフィック鉱物として角閃石と黒雲母を含みますが,黒雲母より角閃石が少ない花崗岩です.
 しかし,「角閃石-花崗岩」となると話しが違います.
 マフィック鉱物として,雲母を含まず,角閃石が大部分を占める花崗岩は,通常,閃緑岩です.つまり,真砂粉鉄の源岩は花崗岩および閃緑岩であると読めます(これは,長谷川熊吉(1926)および俵国一(1933)の記述とは異なります).
 では他地域で発達する花崗岩および閃緑岩からは真砂粉鉄は産しないのでしょうか.然り.真砂化していない花崗岩類からは「真砂」は産しません.したがって,真砂粉鉄も産しない.つまり,真砂粉鉄の源岩を説明するのに花崗岩の岩石学的性質を説明しても意味がないのです.

 続けていいます.
 「真砂の産地」は「鳥取県の日野川の西岸,島根県斐伊川の東岸,舟通山の三角地区」であり,「印賀地区」と呼ばれています.一方,「赤目砂鉄」の産地は印賀地区の西方「斐伊川中流地区の仁多町付近」であるとしています.
 下原重仲の「鉄山必要記事」では,「赤目」は備中の国からとれる粉鉄でした.日野郡では備中の国から取り寄せるという記事があり,この記述とは矛盾します.これは元々,下原重仲がいうように「備中産粉鉄」のあるものに対して固有名詞として与えられたものを,のちの研究者もしくは村下が,外見が似ているからという理由で「赤目」と呼び始めたのが混乱の始まりであると考えるとわかり易いです.
 一度これが始まると,はるか離れた地域の,異なる源岩からの粉鉄も同じものと見なされるようになります.しかし,のちにおこなわれる関東地域の砂鉄製鉄研究でも岡山地域の砂鉄製鉄研究でも「真砂」や「赤目」という用語は使われません.当たり前の話しですが,「真砂」や「赤目」は真砂化した花崗岩からしか産出しないからです.

 また,赤目砂鉄の「鉱床の母岩は…混成岩であ」ると書いてあります.この混成岩は「閃緑岩ないし次第に塩基性を増して来る混成岩である」としてあります.混成岩とはマグマと別な岩石が反応して両者の中間的な化学組成を持つ岩石のことですが,その意味で使っているのでしょうか.また,昔はミグマタイトのことも“混成岩”といいましたが,こちらのことなのでしょうか.
 また,「この赤目粉鉄は,真砂砂鉄にくらべて,反応性がよいとされている」としているが,「何の反応性がよい」のか書かれていません.不思議な記述が延々と続きます….

 1970年代に入っても,たたら研究者の「砂鉄鉱床」に関する認識は,この程度のものでした.

 

0 件のコメント: