2009年5月29日金曜日

ゾンビ・ハンティング

 

 先日,地団研の研究誌「地球科学」が届いた.
 かなり前から,JGL [Japan Geoscience Letters ]というのが添付されている.
 その記事からは,地質学が滅び,地球物理学に吸収されて,“地球科学”になってゆくのが実感されていた.
 最新のno. 2 (May, 2009)に面白い(興味深い)書評が載っている.
 評者は上田誠也,本は泊次郎著「プレートテクトニクスの拒絶と受容」である.

 この本の存在は以前から知っていたが,どうせ,ウッド(1985)「地球の科学史—地質学と地球科学の戦い—(谷本 勉,2001訳)」(朝倉書店)の焼き直しだろうと思い,買う気も起きなかった.
 前にもどこかで,「プレートテクトニクスの拒絶と受容」の書評を見たが,先入観に訂正を加えるような記述は,なかった.今回,上田の書評を見て,私の先入観より,もっとひどいことを実感した.

 明らかなゾンビ・ハンティングである.
 これが,雑誌「地球科学」に添付されていることに,思わず笑ってしまった.

 上田は「ぜひ英語版も出していただきたい」と結んでいるが,もしそうなったら.日本の井尻正二は,旧ソ連のレーニンやスターリンと並び称せられることだろう.

 私は,学生時代を井尻正二氏の盟友である湊正雄先生の下で過ごした.
 学生時代にも,上田誠也の「新しい地球観」(岩波書店)ほかのPT普及書を興味深く読んでいたが,「読むな」と注意されたり,本を取り上げられたなどということはなかった.授業では,湊先生は南部北上山地や日高山脈での知見に基づく地向斜造山運動論を展開されていたが,先輩に聞くと,昔よりはトーンが落ちていて,(心の中では)PTに理解を示しているようだ,とのことであった.

 大学院時代のことだが,卒論学生で南部北上山地の古生界-中生界の古地磁気についての予察的研究をおこなったものがいた.だいたい,当時の卒論は,教官の指導が間に合わなくて,卒論発表直前になって,大学院生がよってたかって“でっち上げる”というのがパタンだったが,その学生さんも,同様だった.

 彼の集めた試料による古地磁気のデータは,非常に面白いものだった.
 南部北上山地は,古生代には南半球にあったが,中生代のうちに赤道を越え,北半球にやってきたと解釈できるものだったのだ.一晩のうちにそういう発表になった.これには,湊先生の最後の弟子といわれている,現・北大のK氏の指導力が大きかった.
 卒論学生さんは事態をよくわかっていないようであったが,我々大学院生は,湊先生がどんな反応を示すか,恐いもの見たさというか,興味津々であった.結果はあっけないものだった.ほとんど何の反応もなかったのだ.(我々は,湊先生が怒鳴りだすのを,ある意味,期待していたのだが)むしろ,反応は卒論学生の努力に好意的だったとも思える.
 事実は,ゾンビ・ハンターがいうような,単純な「善悪二元論」で割り切れるようなものではないのである.

 井尻正二は地団研の中で,絶対的な権力を振るっていたそうである.
 井尻氏は,当時はしばしは北大に出入りしていて,時々(授業ではない場合も多かったが)教室で講演をなされることがあった.私がまだ三年目の学生だった頃だと記憶するが,井尻氏が野尻湖での発掘について講演なされた.
 講演の最中に,井尻氏が気になることを言われた.
 それは,野尻湖人のキャンプと象の道の位置関係についてだった.そこを目指して次回の発掘をする(だったか,「した」だったか,今はもう憶えていないが)というので,当時まだ学生で,井尻氏が「日本のスターリンだ((^^;)」とは知らなかった私は,つい質問してしまった.「野尻湖人のキャンプがそこにあったら,象はそこを通らないのではないか」と.井尻氏は,あたふたと言い訳を始めたが,納得できるような説明ではなかったと思う.
 私は,別にシベリア送りにはならなかったし,教官たちの中にも「お前の言う通りだ」といってくれた人もいた.
 私は,井尻氏を悪鬼のような人だったとは思ってないし,日本のスターリンだとも思っていない.むしろ,一つの信念を持った立派な人だったと思っている.現在の知識や常識から見て正しかったのか正しくなかったのかは知らないが,現在の知識や常識で,過去の人を甦らせて退治するのは「卑怯だ」とは思う.


 今は知らないが,当時の大学院生は議論好きで,何かにつけて酒を飲みながら議論した.私が博士課程に進んだ頃は北大地鉱教室でも,普通にPT論をぶつ人が多かった.彼らは,湊先生の講座にいる大学院生は,やはり“一種の敵“((^^;)と見なしているようで,よく議論したものだった.
 私は別に,地向斜造山運動論者でもなかったし,PT論を邪説だと思っていたわけでもなかったが,おもしろ半分に相手をした.
 その頃から,PT論者と話すときに違和感を覚える「言い方」あった.
 それは,彼らは「信じる」・「信じない」という言い方をすることだ.現在でも,彼らは「改宗」とか「調伏」とかを平気で使う.

 昔,八木健三さんが何かのエッセイに書いていたのをまだ覚えている.八木さんが海外留学していた頃,ことあるごとに「お前は,PT論を信じるか,信じないか」と問われたという.
 最近,ようやくわかってきたのだが,PT論の背後にはキリスト教の影響が見え隠れしているようだ.そう考えると,「地質学者vs.地球科学者」を論じる地球科学史家が,善悪二元論で「地質学者」を斬って捨てるのも,何となく理解できるというものだ.

 少なくとも科学を「信じるもの」((^^;)は,「地向斜造山論では説明できない事実がPT論では大部分説明できる」という言い方をしてほしいものだ.どっちにしても,これらは「仮説」にすぎない.自然をより多く説明できる方がより真実に近いとは言えるが,「真実だ」とは誰も言えない.PT論が未来永劫真実であると言える人がいるか.
 現在は「間違っている」とされる過去の知識も,その当時は「巌のような真実」とされていたことは例に挙げるまでもないだろう.
 まさに「神のみぞ知る」だ.

 現在,地質学は滅びてしまって,地質学者を名のる人はいない.
 大学や公立研究機関で生き延びている人たちは,皆「地球科学者」を名のっている.ちょっと前まで,「勝ち組」・「負け組」という分け方が流行っていたが,これに近いものだ.大勢は「勝ち組」に乗るだけのことだ.

 同様なことが,地団研にもある.
 私と同じような世代の人で,昔は地団研会員で,今はアンチ地団研という人も多いことだろう.実は,私の学生時代にも「そうなるであろう」と思われたひとたちがたくさんいた.大学内で指導者層に地団研会員が多いからという理由で地団研会員だったひとたちだ.もう一つの体制内でうまく生き延びるために(仮に)地団研会員だったひとたちだ.地団研の勢力が弱まれば,宗旨替え((^^;)は何ほどのことではない.これが(生き延びた)科学者の実態だ.

 実際に,これはどちらでもよかったのだと思う.
 例えば,地質学雑誌に「地向斜造山運動論(あるいはPT論)は真実だ」という論文が載ったことがあるだろうか.「自然科学は小さな事実の記載の積み重ね」というのが私の持論だが,その通りのことがおこなわれている.地域の地質であり,そこに胚胎する化石や岩石・鉱物であり,一時的な自然現象であり,そういったことの記載だ.
 様々な地質現象の記載が基本であり,全てだ.現在でもそうだと思う.
 パラダイム論が「地質学雑誌」に載ることはない.どうやら,これを称して「地質学会にPT論が受け入れられなかった」と言っているようだが,それだったらお門違いだと思う.今だって,「仮説」を論文として掲載することはないと思う.考察の一部に言及することぐらいはあるだろうけど.
 そんなわけで,ほぼ99%の地質学者は「地域の地質」や「化石」や「岩石」や実際に起きた「自然現象」に興味があっただけで,「地向斜造山論」や「PT論」に興味があったわけではないと思う.
 実際に「地向斜造山論」あるいは「PT論」が基本になければ困る論文が,地質学雑誌の歴史の中でいったい,いくつあったのだろう.

 おっと,話がどんどんズレていきそうだ.
 ホイッグ史観を科学史と称するのは止めてほしいと思うものだが,きっとまた勝利の雄叫びをあげる“科学史学者”がでてくるんだろうなあ…((--;).
 

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