2009年5月1日金曜日
砂鉄“研究”史(4)の4
地質学分野の「砂鉄研究」(4)
●チタン成分の見直し
一方,砂鉄研究の進行とほぼ同時か少し遅れて,砂鉄のチタン成分の論文が増加し始めます.これまでは砂鉄中の主な部分である「鉄」を取り出すことが最重要課題だったのですが,その「鉄」を取り出すことの障害になっていた「チタン成分」の「チタン」そのものが素材としての重要性が指摘され始めたのです.
原田準平(1951)「チタニウム」(北海道地質要報).
原田準平(1953)「チタニウム資源とその利用」(北大鉱床研究会会報).
菊地 徹(1953)「北海道のチタニウム資源」(北大鉱床研究会会報).
これに先行する,斎藤正次(1942)「チタン鉄鉱資源,特に鉱床の性質に就いて(1-2)」(地学雑誌)もありますが,1953年から,目に見えてチタン関連の論文が増え始めます.平社敬之助(1955)の雑誌名を見ていただくとわかるように,なんと「チタニウム」という研究誌があったようです.残念なことに,この実態は全くわかりません.
ほかにも「北大鉱床研究会」なるグループがあったようですが,こちらも実態がよくわかりません.北大地鉱教室の歴史は,これからも追い続けてゆくつもりですので,なにか判りましたら,お知らせしましょう.
高沢松逸(1953)「北見紋別志文のチタン鉄鉱床」(北大鉱床研究会会報)
地質調査所北海道支所探鉱課(1955編)「北海道のチタン資源 第1報」(地質調査所報告)
平社敬之助(1955)「北海道における含チタン砂鉄について」(チタニウム).
平社敬之助(1955)「北海道産含チタン砂鉄処理に関する調査研究報告書」(北海道商工部資源課).
平社敬之助・田中時昭(1955)「北海道産含チタン砂鉄の磁性に関する研究」(鉄と鋼).
番場猛夫・五十嵐昭明(1956a)「北海道茅部郡鹿部村含チタン砂鉄鉱床調査報告」(地質調査所月報).
松村 明(1956)「北海道上川郡下川町の含チタン砂鉄鉱床調査報告」(地質調査所月報).
番場猛夫・五十嵐昭明(1956)「北海道室蘭鉱山の含チタン砂鉄鉱床調査報告」(地質調査所月報).
松村 明(1956)「北海道川上郡下川町北部地区の砂チタン鉱床調査報告」(地質調査所月報).
梅本 悟・松村 明(1957)「北海道勇払郡穂別および紋別市志文含チタン砂鉄鉱床調査報告」(地質調査所月報).
野口 勝・中川忠夫(1958)「北海道勇払郡穂別含チタン砂鉄鉱床試錐調査報告」(地質調査所月報).
藤原哲夫(1960)「オホーツク海と根室海峡沿岸地域の砂チタンおよび含チタン砂鉄鉱床について」(北海道地下資源調査所報告).
地質調査所(1960)「本邦の含チタン砂鉄および磁硫鉄鉱資源」(地調報告,特別号).
北海道立工業試験場(1960)「北海道における含チタン砂鉄の性状試験」(昭和34年度 選鉱製錬試験資料).
北海道立工業試験場(1961編)「北海道における含チタン砂鉄の性状」(選鉱精錬試験報告書).
藤原哲夫・二間瀬洌(1961)「北海道の砂チタンおよび含チタン砂鉄鉱石(1)-特に化学組成について-」(北海道地下資源調査所報告).
加藤金二(1961)「北海道産チタン砂鉄の研究(第2報)」(チタニウム).
服部富雄(1962)「本邦砂鉄の構成鉱物と粒度分布について一本邦の含チタン砂鉄資源補遺一」(地質調査所月報).
藤原哲夫(1962)「北海道の砂チタンおよび含チタン砂鉄鉱石」(北海道地下資源調査所報告).
藤原哲夫・渡辺卓(1962)「長万部町北部および黒松内町東部鉄鉱床調査報告」北海道地下資源調査資料,No.75.
不思議なことに,1962(昭和37)年以降,チタン鉄鉱を含めて砂鉄に関する報告は,全く影を潜めます.
東京オリンピックの開催が1964年.「もはや戦後ではない」といわれたのがこの頃でしょうか.平和で経済的に豊かに.このことは,国内の地下資源に関する研究を不要のものとしてしまいます.やがて,鉄以外の金属鉱山も,炭坑も,日本から姿を消してゆきます.
「これでよかったのか」というような問いはしないことにしましょう.
ともかくも,砂鉄や砂チタンは人の都合には関係なく,まだそこにあります.必要になれば,使うことを,また考えるでしょう.
これらの成果について,いくつか記しておきたいことがあるのですが,知り合いに頼んだ文献がまだ到着していないので,これらは検討を済ませてから,後日また触れることにしましょう.
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