2009年5月1日金曜日
砂鉄“研究”史(4)の3
地質学分野の「砂鉄研究」(3)
●復興のために(砂鉄の復権)
1946年,極東国際軍事裁判,開廷.同年,日本国憲法公布.
1947年,日本国憲法施行.
1948年,極東国際軍事裁判,判決でる.
1950年,朝鮮戦争勃発.“特需”が増大.警察予備隊設置.
1951年,“糸ヘン景気”好調.
1952年,“三白景気”
1953年,「朝鮮休戦協定調印」
1956年,“神武景気”高潮
1957年,“なべ底景気”到来
1959年,“岩戸景気”
1961年,株式大暴落.
1964年,東京オリンピック開催.
1965年,米軍のヴェトナム北爆開始.
1967年,鉄鋼業界の景気回復始まる.
終戦直線から始められた砂鉄鉱床の精査は,「戦時」には間に合いませんでした.しかし,終戦後,少しの休止期をおいて再開されます.
1950年代から始まる復興-好景気は,朝鮮半島で起きた動乱がきっかけになっていなかったとはいえないでしょう.この好景気を背景に,砂鉄鉱床の調査が進められます.
総合的な調査としては,1953(昭和28)年~1954(昭和29)年にかけて,地質調査所・北海道支所・探鉱課が斎藤正雄・番場猛夫らを首班とし道内全域にわたる調査を行いました.これらは,地質調査所(1955)「北海道のチタン資源」(地調報告,165号)として公表されています.
一方,1954(昭和29)年から日本全国を対象とした「未利用鉄資源」の調査が進められ,これらの成果は,地下資源開発審議会鉱山部会・未利用鉄資源開発調査分科会(1955~1962編)「未利用鉄資源.第1~9輯」(日本鉄鉱連盟)として出版されています.
同様のことは,北海道独自にも行われ,北海道大学・地質調査所北海道支所・札幌通産局・道立地下資源調査所・道立工業試験場などが北海道各地の砂鉄鉱床について明らかにし,北海道未利用鉄資源開発調査委員会(1955~1962編)「北海道の未利用鉄資源調査報告 第1~9輯」(北海道未利用鉄資源開発調査委員会)として出版されました.
個別の論文としても,大町北一郎・鈴木淑夫・早川 彰(1955)「北海道苫小牧市を中心とせる海浜砂鉄鉱床について(I-II)」(岩石鉱物鉱床学会誌)などがあります.
こういった,総合的な砂鉄鉱床の調査に並行して,砂鉄そのものの鉱物学的検討も進められます.
種子田定勝(1949)「磁鐵鑛に關する岩石學的一考察(1~2)」(地質学雑誌)
岩崎岩次(1950)「火山岩中の所謂磁鉄鉱の化学組成とその母岩の岩漿の時期(1 ~ 3)」(九州鉱山学会誌)
渡辺万次郎・苣木浅彦・山江徳載(1951)「金属鉱物相互の固溶及び離溶とその選鉱製錬上の意義について」(東北大学選鉱製錬研究所彙報)
竹内常彦・南部松夫・岡田広吉(1954)「砂鉄中のマグヘマイトについて」(東北大学選鉱製錬研究彙報)
竹内常彦・南部松夫(1956)「砂鉄中の含水酸化鉄について」(東北大学選鉱製錬研究所彙報)
平社敬之助・田中時昭・栗原二郎(1956)「北海道産砂鉄の性状並びに化学組成に関する研究(I-II)」(北大工学部研究報告)
竹内常彦・南部松夫・岡田広吉(1956)「砂鉄の性状に関する研究」(地下資源開発審議会).
平社敬之助・田中時昭・栗原二郎(1959)「TiO2-Fe2O3-FeO系人工砂鉄に関する研究」(日本鉱業会誌).
服部富雄(1962)「本邦砂鉄の構成鉱物と粒度分布について」(地質調査所月報)
こういった研究のいくつかを実際に読めば「砂鉄は真砂と赤目に分けられる」などという話しは,いかに現実離れしているかということはわかると思います.悲しいかな,私にはこういう鉱物学的な話しをわかり易く伝える能力がありませんので,目についた論文を揚げるだけでお茶を濁しておきます.
一方で,以下のような,研究史や総合的な解説なども現れてきます.
大町北一郎(1953-1954)「北海道の鉄鉱床と製鉄史について(1~4)」(北海道鉱山学会誌)
渋谷五郎(1954)「磁鉄鉱の問題」(北海道地質要報).
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