2012年3月2日金曜日

限界

何日か前のことだが,道新の「読者の声」欄に,ある民生委員からの投稿があった.
確か「民生委員はボランティアだから,結果について責めないでください」ということだったと思う.

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もう何年前になるか,私が町内会の総務部長をしていたとき,町内会費を集めていたある班の班長が「○○さんの言動がおかしいので心配だ」という.
「○○さん」というのは独り暮らしのおばあさんである.

「お金がない」
「泥棒が(しょっちゅう)入る」
「ものがなくなる」
その他,よく意味がわからないことを口走る.

私は,その足で,近所の民生委員のお宅にお邪魔し,その状況を説明した.
その民生委員は,すぐにいって調べてみるということだったので,ひとまず安心して,その場は終わった.

数日後,近所についでがあったので,その民生委員のところに行って状況を聞いてみようと思った.
町内会として,できることはないかと思ったからである.

ところが,民生委員の態度が一変していた.
「プライバシーのことは一切話せない」の一点張りである.
おまけに,“あなたは町内会費がほしいのかもしれないけど,民生委員には関係がない”というようなことまでいう.
私は,会費のことをいっているのではなく,同じ町内会に住むものとして心配だから,「どうだったのか」,「どう判断したのか」,「これからどうなるのか」が知りたいだけだし,「町内会に住むものとしてなにかできることはないか」が知りたいだけだといったが取り合わない.

まったく話にならないので「『町内会でできることは一切ないので,関わらないでくれ』という意味と解釈していいのか」といったら,目を丸くしていた.
たぶん,こんな失礼なヤツにはあったことがないのだろう.

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後日,町内会長にそのことを報告したら,「そうなのよ.あの人たちは,プライバシーを楯になにも話してくれないし,どうなったかも教えてくれないのよね.」「なにもしてないのかもしれないし…」ということだった.
世間知らずのわたしは知らなかったが,民生委員というのはそういうものというのが世間の評価らしい.

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なにがまずいのか.
答は簡単である.
民生委員がボランティアであることが,マズイのだ.

コミュニティ内の構成員が,なにかマズイ立場にいるようなとき,これからマズイことがおきそうなとき,市民が一番最初に思いつくのは「民生委員」だ.
その民生委員が,ただのボランティアで,どんな資格や能力があるのかもわからない人たちなのだ.
起きるかもしれない事件が,民生委員の性格や能力がボトルネックとなって,見過ごされてゆく.

行政の中にプロがいれば,簡単に,未然に防ぐことができる事件が放置されている.その行政側の楯になっているのが「ボランティアの民生委員である」といえるかもしれない.

米国の映画やドラマには,「ソーシャルワーカー」なる職業の人がでてくることがある.
彼,彼女らは資格と,ある程度の権力を持って,困っている人を助ける仕事をしているらしい.
日本にはそんな制度や資格者がいるのかどうか知らないし,見たこともないが,ボランティアの民生委員などなくして,ちゃんと仕事をすることが求められるプロをおくことが先決だと思う.
そうすれば,電気もガスも止められたまま餓死するなんてことが,起きるはずがない.


あれから,数年が過ぎた.
「○○さん」は,もう,この街にはいない.
どうなったのか気にはなるが,(行政から「ボランティア」という称号すらもらっていない)ただの市民には何ほどのできることもない.
プライバシーを楯に(誰のプライバシーだか…(--;),なにかできるはずのことが,することを許されない.
 

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