2019年4月2日火曜日

北海道地質学史に関する文献集(09)

 
山根・三土(1954)わが国の地質調査事業の沿革

 山根新次・三土知芳は二人とも,地質調査所・所長を務めた人物である.
 山根は鉱床学が専門らしい.地質調査所を退職後,島根大学に移り「地学概論」と「鉱床学」を講義している.のちに,初代学長を務めたらしい.
 三土の略歴・業績は地質学雑誌98巻に追悼文がある.地質調査所・所長と東京大学教授を務めた.石油地質学を専門とした.

 山根・三土(1954)は,日本の地質調査史を以下の六つに分け,詳述した.これは「日本地質調査史」であるが,日本という国の中で,北海道の地質がどのように扱われたのかが判るだろう.

第1期:わが国の地質調査事業が開始された明治10年前後より,日清戦争直前まで.
第2期:日清戦争より日露戦争直後に至るまで.
第3期:日露戦争直後より関東大震災に至るまで.
第4期:関東大震災より満州事変頃まで.
第5期:満州事変より太平洋戦争終結まで.
第6期:戦争終結より現在に至るまで.


 第1期は,わが国に地質調査事業が誕生し,生育した時代である.
 第2期は,国内においては,事業は守成の時代に止まつたが,両度の戦役にともない,事業の外地への進出が始まつた時代である.
 第3期は,国力の充実とともに,またその後期は欧州大戦後の一般の好況につれ,国内の事業の進展も著しく,外地の発展も眼覚ましかつた時代で,国の版図と勢力範囲との廓大にともなつて外地の地質調査事業が組織化して行われた時代である.
 第4期は,世界的不況により,内地の事業はその進展をはばまれたが,外地の事業はさらに進展した時代である.
 第5期は,その前期においては,満州事変および支那事変にともない,支那大陸に大きな進出が行われ,その後期には,大平洋戦争にともない南方にも進出した時代である.この期から物理探査および試錐が,地質調査に普通に用いられるようになり,地質調査は,専門化の傾向が著しくなつた.
 第6期は,敗戦による版図および植民地の喪失により,戦争の打撃を克服しつゝ,より精確な調査により,国内を再検討せんとする時代である.

参照した主な文献
井上禧之助:地質調査所の沿革及び事業,地質調査所報告,第3号,明治40年(地質調査所,1907)
遠藤隆次:満州に於ける地質研究略史,東亜地質鉱産誌,M-I-I
小倉 勉:満州国地質調査所の沿革,東亜地質鉱産誌,M-I-7
木村六郎:満鉄の満州地質鉱産調査史,東亜地質鉱産誌,M-I-2b
坂本峻雄:南満州鉄道株式調査局鉱床地質調査室の調査史,東亜地質鉱産誌,M-I-2a
立岩 巖:朝鮮に於ける地質研究の歴史,東亜地質鉱産誌,K-I-1
地質調査所:地質調査所一覧,昭和8
日本地質学会:日本地質学会史,昭和28
三田正一:全満州鉱業開発株式会社鉱産資源調査所の沿革,東亜地質鉱産誌,M-I-3
望月勝海:日本地学史,平凡社,東京,昭和23

 

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