2008年5月7日水曜日

石狩炭田の興亡

没ネタは,一応12で終わりです.
ただ,データを並べただけにすぎませんが.

昔,シムシティーとか言うゲームがあったと思います.初期値を与えておけば,人が集まってきて文明を生み出し,最後は宇宙へ向かって旅立つとか(私はやったことがないのでよく知りませんが).

こうやって,データを並べてみると…,
アイヌが時々,猟にやってくるほかは誰もいなかった山中に,ある日,ハンマーの音が響き渡り,また静かになります.
しばらくすると,ガヤガヤと人がやってきて,鉄道を造り,町を作り,石炭を掘り出し,あっという間に都市ができあがります.
しかし,まだ石炭を掘り尽くしてもいないのに,どんどん人がいなくなり,廃墟だけが残される.

要するに初期値を間違えたのでしょうけど.残るは「諸行無常」.
なにか悲しい.
こちらをうまく表現できると,いいんですけどね.

真谷地・登川付近の炭鉱と鉄道




没ネタ,その12です.

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真谷地・登川付近の炭鉱と鉄道

「真谷地炭鉱専用鉄道」
・真谷地炭鉱には,国鉄沼ノ沢駅から北炭・真谷地炭鉱専用鉄道が分岐,真谷地炭鉱から石炭を搬出していました.

1905(明治三十八)年 沼ノ沢貨物駅新設.
  ・翌年,追分~夕張間が買収・国有化され官設線となりました.その翌年,官設鉄道の紅葉山~楓間が開通しました.
1905(明治三十八)年 北炭,クリキ炭鉱を買収.これを「夕張第二礦」と呼ぶ.
  ・同年,夕張第二礦(真谷地坑と楓坑)の開発に着手.
1913(大正二)年 沼ノ沢~真谷地間に専用鉄道を開通.
1919(大正八)年 北炭,三井鉱山から登川坑を買収.
1978(昭和五十三)年 北炭再建に伴い,北炭・真谷地炭鉱として分離,独立.
1987(昭和六十二)年 北炭・真谷地炭鉱閉山.
  ・同年,北海道炭礦汽船・真谷地炭鉱専用鉄道,廃止.

「夕張線・登川支線」
・この地域には,三井鉱山専用線として敷設された鉄道があり,のちに国鉄・夕張線・登川支線になりました.登川炭鉱・楓炭鉱の石炭を搬出していました.

1910(明治四十三)年 “登川炭鉱”開坑.
  ・翌年,三井鉱山が登川鉱区を買収し,登川炭鉱の開発に伴い,三井鉱山専用線(登川~楓間)が開通.
  ・1916年に三井鉱山専用線が国鉄に譲渡され夕張線・登川支線となりました.
1919(大正八)年 北炭,登川鉱区を買収.真谷地礦の楓坑と共に操業.
1953(昭和二十八)年 登川炭鉱,廃止.北新工業と新北海鉱業が旧登川本坑で採炭.
1981(昭和五十六)年 石勝線開業準備のため,夕張線・登川支線,廃止.
  ・同年,楓駅移転.登川駅廃止.石勝線営業開始.紅葉山駅を新夕張駅と改名.

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2008年5月6日火曜日

夕張川流域の炭鉱と鉄道





没ネタ,その11です.


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夕張川流域の炭鉱と鉄道

「大夕張鉄道」
・夕張川上流域沿いには,大夕張鉄道があって,付近の石炭を搬出していました.

1907(明治四十)年 大夕張炭鉱会社,設立.
  ・1911年には,大夕張炭鉱専用鉄道(清水沢~二股:のち南大夕張間)が開通します.
  ・1916年,三菱合資会社が大夕張炭鉱会社を買収.二年後には,三菱合資会社の鉱山部が独立して三菱鉱業株式会社を設立しました.
1929(昭和四)年 炭鉱の北部展開に伴い専用線を延長.
  ・南大夕張~通洞(のちの大夕張炭山)間が延長されました.
1944(昭和十九)年 北炭,遠幌鉱区で遠幌斜坑の開発を開始.
  ・1951(昭和二十六)年 清水沢斜坑が遠幌斜坑と開通.翌年,清水沢坑と遠幌坑を統合し,清水沢炭鉱と改称しました.
1950(昭和二十五)年 三菱鉱業,美唄鉄道を買収.
  ・三菱鉱業・大夕張鉱業所・鉄道課による三菱鉱業・大夕張鉄道となりました.
1966(昭和四十一)年 三菱鉱業・南大夕張鉱が新鉱開削に着手。
  ・1970(昭和四十五)年,三菱南大夕張炭鉱,操業開始.
1969(昭和四十四)年 三菱鉱業,石炭部門を分離.
  ・鉄道は三菱大夕張炭鉱株式会社大夕張鉄道となる.
1973(昭和四十八)年 三菱石炭鉱業・鉄道となる.
1975(昭和五十)年 北炭・夕張新炭鉱の営業出炭を開始.
  ・夕張新炭鉱は1970年から清水沢方面で開発されていたものです.
1973(昭和四十八)年 三菱大夕張炭鉱,閉山.
  ・同年,南大夕張~大夕張炭山間,廃止.同年,三菱大夕張炭鉱は三菱石炭鉱業となり,鉄道名は三菱石炭鉱業鉄道となりました.
1980(昭和五十五)年 北炭・清水沢炭鉱,閉山.
1987(昭和六十二)年 三菱南大夕張炭鉱の合理化で鉄道廃止.
1990(平成二)年 三菱南大夕張炭鉱閉山.

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2008年5月4日日曜日

志幌加別川・阿野呂川付近の炭鉱と鉄道





没ネタ,その10です.


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志幌加別川・阿野呂川付近の炭鉱と鉄道

「夕張鉄道線」
・夕張鉄道線は野幌~新夕張(のち夕張本町)間に敷設され,主に北炭・夕張炭鉱からの石炭を輸送していました.途中の新二岐駅からは角田坑・専用線が分岐し,角田坑の石炭も輸送していました.
・夕張鉄道は,室蘭本線の栗山駅と連絡し,函館本線の野幌駅とも連絡していました.

1890(明治二十三年) 北海道炭鉱鉄道会社,夕張炭鉱の開坑に着手.
  ・夕張郡志幌加別に夕張採炭所を設置.(のちの)夕張第一礦を開坑.
1892(明治二十五)年 夕張炭鉱(本坑,のちの第二礦)の採炭を開始.
  ・同年,北海道炭鉱鉄道(追分~夕張間)により,鉄道開通.
1897(明治三十)年 落合徳,新夕張炭山開坑に着手.
  ・新夕張炭山は何度か所有が替わり,谷新夕張炭山,新夕張礦と名称を変え,1920年に北炭の所有となり,1938年から夕張三礦と呼ばれるようになりました.
1926(大正十五)年 夕張鉄道,開業.
  ・当初は,栗山~新夕張(=のち夕張本町)間が開業し,四年後に野幌~栗山間が延伸開業されました.
1954(昭和二十九)年 北炭・平和炭鉱,本格出炭開始.
  ・平和炭鉱は,石狩石炭を買収したもので,かつては若菜辺礦とよばれていました.
1971(昭和四十六)年 夕張鉄道線(鹿ノ谷~夕張本町)間,廃止.
  ・1975年には夕張鉄道線(野幌~鹿ノ谷)間が廃止され,夕張鉄道線は消滅しました.
1975(昭和五十)年 北炭・平和炭鉱閉山.
1980(昭和五十五)年 石炭博物館開館.
1982(昭和五十七)年 北炭・夕張新炭鉱,閉山.

「角田炭鉱専用鉄道」
・夕張鉄道・新二岐駅からは角田炭鉱専用鉄道が分岐し,角田坑から石炭を搬出していました.

1933(昭和八)年 北炭,角田炭鉱を直営とする.
  ・それまで下請けに採掘させていた角田炭鉱を角田坑として夕張鉱業所の所管としました.
1934(昭和九)年 北炭角田炭鉱専用線(角田坑~新二岐間),開通.
1954(昭和二十九)年 北炭・角田礦,廃止.
  ・同年,角田炭鉱株式会社・新二岐炭鉱として再生.新二岐駅接続の北炭角田炭鉱専用鉄道を角田炭鉱株式会社に譲渡しました.
1970(昭和四十五)年 角田炭礦・新二岐礦,閉山.角田炭砿・専用鉄道廃止.

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2008年5月2日金曜日

幌向川流域の炭鉱と鉄道



没ネタ,その9です.






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幌向川流域の炭鉱と鉄道

万字線
・万字線は,万字炭鉱から石炭を搬出するために,万字軽便線として敷設されました.
・1892年,北海道炭鉱鉄道の岩見沢~室蘭間が開通.その後,志文~万字炭山間を結ぶ軽便鉄道が1914年に開通しました.途中の美流渡駅から,美流渡坑・専用線が分岐し,美流渡炭鉱の石炭を搬出していました.美流渡炭鉱閉鉱後,1967年に美流渡専用線が廃止.万字線も万字炭鉱閉山後,貨物輸送が廃止され,やがて全線が廃止されました.

1905(明治三十八)年 北炭,万字坑を開削開始.
  ・四年後,万字坑の出炭開始(架空索道により夕張第一鉱・選炭場へ搬出).
1914(大正三)年 万字軽便線(志文~万字炭山間),開業
1918(大正七)年 北炭・美流渡炭鉱,開削開始.
  ・三年後,専用鉄道(美流渡炭鉱坑口~美流渡),開通
1922(大正十一)年 万字軽便線,万字線と線名改称.
1960(昭和三十五)年 万字炭鉱,北炭から独立し万字炭鉱株式会社となる.
  ・同年,美流渡炭鉱も独立し美流渡炭鉱株式会社・美流渡鉱業所となりました.
1966(昭和四十一)年 北星炭鉱が美流渡炭鉱の経営を引継ぐ.
  ・しかし,すぐに採掘中止.翌年,美流渡専用線,廃止.
1971(昭和四十六)年 北海栗沢炭鉱,閉山(開鉱年不詳).
1974(昭和四十九)年 朝日炭鉱,閉山(明治末期から運営されていたとされる).
1976(昭和五十一)年 万字炭鉱,閉山.
  ・1985年,万字線は全線廃止されました.
  ・北星炭鉱撤退後,伊藤炭鉱が美流渡炭鉱跡に進出し,露天掘りをおこなっていました1988年に中止されました.

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幾春別川流域の炭鉱と鉄道





没ネタ.その8です.





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幾春別川流域の炭鉱と鉄道

幌内鉄道
・幌内鉄道は,幌内炭田からの石炭輸送のためにつくられました.のちに,幾春別まで延長され,百年以上にわたって石炭を運んでいました.

1878(明治十一)年 幌内炭鉱,開坑に着手.
  ・順次,坑道を整備し,本格的な出炭は1882年から.
1880(明治十三)年 嶋田純一・山際永吾が幾春別及び奔別にて炭田を発見.
  ・5年後,官営幾春別炭鉱の開坑に着手.中断を繰り返す.
1882(明治十五)年 手宮~幌内間鉄道開通.
  ・1888年,幌内鉄道,延伸(幌内太:のちの三笠~郁春別:のちの幾春別)開業.
1889(明治二十二)年 北海道炭鉱鉄道会社(以下,北炭と略す),設立.
  ・幌内炭鉱・幾春別炭鉱と幌内鉄道も北炭に譲渡されました.
1902(明治三十五年) 奔別炭鉱(1902~1928),開坑.
1905(明治三十八年) 唐松炭鉱(1905~1943),開坑.
1906(明治三十九)年 幌内鉄道,国有化.
  ・1909年に名称が国有鉄道幌内線となり,1943年に幌内太駅を三笠駅と改称しました.
1914(大正三)年 弥生炭鉱(1914~1960),開鉱.
1928(昭和三)年 住友,奔別炭鉱を買収.
  ・住友奔別炭鉱は,1960年に弥生炭鉱も買収,1970年まで住友奔別炭鉱・弥生坑として出炭していました.
1931(昭和六)年 昭和鉱業・新幌内坑,開鉱.
  ・昭和鉱業は1941年に北炭に売却され,北炭・新幌内鉱業所となりました.
1953(昭和二十八)年 北炭・幾春別坑,採掘中止.
  ・四年後,北炭・幾春別坑,廃止.
1971(昭和四十六年) 住友・奔別炭鉱,閉山.
1973(昭和四十八)年 新三笠炭鉱,閉山.
1976(昭和五十一)年 桂沢で「エゾミカサリュウ」発見.
1987(昭和六十二)年 JR・幌内線,廃止.
1989(平成元)年 北炭・幌内炭鉱,閉山.

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2008年5月1日木曜日

美唄川付近の炭鉱と鉄道




没ネタ,その7です.

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美唄川付近の炭鉱と鉄道

「三菱鉱業美唄鉄道線」
・美唄市東方の美唄川には,三菱鉱業美唄鉄道線があり,周辺の炭田から石炭を搬出していました.当初,美唄軽便鉄道(美唄~美唄炭山)が運営開始し,のちに三菱鉱業専用鉄道(美唄炭山~北二ノ沢)が営業開始します.これらは,美唄鉄道によって買収され経営が一本化されて,美唄川流域の中小の炭田を含むたくさんの炭山から石炭を供給しました.のちに三菱鉱業が美唄鉄道を買収し,三菱鉱業美唄鉄道になります.

1914(大正三)年 石狩石炭,美唄軽便鉄道(美唄~美唄炭山)の運輸営業を開始.
  ・翌年,美唄鉄道が美唄軽便鉄道を買収.
1915(大正四)年 三菱合資会社,飯田美唄炭鉱(1913~1915)を買収.
1919(大正八)年 三菱鉱業専用鉄道(美唄炭山~北二ノ沢),運輸開始.
1924(大正十三)年 美唄鉄道,三菱鉱業専用鉄道を買収.
  ・美唄鉄道の買収によって経営が一本化され,常盤台駅を設置し,美唄炭山~常盤台間の営業が始まりました.
1941(昭和十六)年 三井美唄,新美唄炭鉱(1915~1941)を買収.
  ・新美唄炭鉱は,もとは徳田炭鉱(1910~1915)と呼ばれていました.
  ・三井新美唄炭鉱をへて,1951年,三井美唄炭鉱・第二坑に改称されました.
1950(昭和二十五)年 三菱鉱業が美唄鉄道を買収.
  ・三菱鉱業美唄鉄道事務所が運営する三菱鉱業美唄鉄道となります.
1952(昭和二十七)年 北菱産業,我路炭鉱を開坑.
  ・我路炭鉱はこの地域の炭山としては最後になる1973年まで営業していました.
1972(昭和四十七)年 三菱美唄炭鉱が閉山.
  ・同年,美唄鉄道線,廃止.

「南美唄支線」
・美唄川支流・南一の沢には,南美唄支線が敷設されていました.南一の沢から奥には複数の炭鉱がありましたが,三井美唄炭鉱に吸収され,南美唄支線から石炭を運び出していました.

1915(大正四)年 沼貝炭鉱,開坑.
1924(大正十三)年 光珠炭鉱,沼貝炭鉱を買収.
1928(昭和三)年 三井美唄炭鉱,創立.光珠炭鉱を買収.
1931(昭和六)年 南美唄支線(美唄~南美唄間),開通.
1962(昭和三十七)年 三井美唄炭鉱,子会社・三美鉱業を設立.
  ・三美炭鉱は三井美唄炭鉱の一部を引き継いで操業を開始し,翌年,三井美唄炭鉱は廃業しました.
  ・三美鉱業は1970年に露天坑を開設,1973年まで出炭していました.
1973(昭和四十八)年 三美炭鉱,閉山.
1973(昭和四十八)年09月09日 南美唄支線,廃止.

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