2010年11月29日月曜日
バージョンアップって
最近,愛機Macの調子が今ひとつだったので,どうせならと思い,レパード(OS 10.5)からスノーレパード(OS 10.6)に入れ替えました.
メモリ管理もよくなっているという話だったので.
一時的に動作は安定しましたが,すぐに,鈍くなりました.
アクティビティ・モニタで観察していると,どうやら,ブラウザとウィルス・ワクチンソフトでほぼメモリを食い尽くしている様子.
ほかのソフトを立ち上げようとすると,メモリ不足になり,邪魔をするんですね.
ネットでいろいろ調べながら,ワープロで記録なんて,単純なことがやりにくくなってきた.
画像ソフトなんか立ち上げると,しばしば立ち止まります.
なんだかなあ
OSをバージョンアップすると,アプリが(未対応で)使えなくなり,アプリをバージョンアップするとメモリが足りないと不平を言う.
やっぱ,OSのver. up.なんて,するモンじゃあないのかな.
それにしても,レパードからスノーレパードなんて,ただのバグアップだと思っていたら,相変わらず,インストール時からアクセス権の不備があり,これは修正ができません.
なんなのこれ.意味ないじゃん.
そのくせ,64ビット化とかで,新しいアプリはメモリをたくさん要求するし,インストールに必要なディスク容量も倍々ゲームで増えてゆく.データファイルも共通ではなく,しょうがないので書き換えると,ファイルサイズが三倍近くに一挙に増える.
軽い動作のver. upを売り物にするアプリメーカーはないものでしょうかね.
タイムマシンはやたら動きが活発になり,毎回Gバイト単位でバックアップやってるので,当分のあいだ持つだろうと踏んでいたバックアップ用の外付けHDもすぐに一杯になりそう….
えーい.こうなったら,新しいマックを….
あ,メーカの思うつぼだ(^^;
2010年11月6日土曜日
マラリア
北海道におけるマラリア発生数(明治43~大正2年)
年度 人口 患者数 死亡者数 人口対患者数(%)
大正 二 1,803,181 6,440 9 0.357
大正 一 1,739,099 9,794 2 0.563
明治四四 1,667,593 12,559 14 0.753
明治四三 1,610,545 11,748 48 0.357
(西島浩,1967「北海道開拓と虫害(二)」より)
一時期,「地球温暖化が起きると,日本でもマラリアなど南方の伝染病が流行るであろう」というキャンペーンがありました.最近はあまり聴きませんけどね.
この話は,なにかおかしいな.と,思っていたのですけど,この資料を見つけました(実際には,数年前に見つけていたんですが,その後,入院したりなんだりで,失念してたヤツです).
この記録によると,明治末期から大正にかけて,北海道の開拓が本格的に始まった時期ですが,死者が出るほどマラリアが流行っていました.
もちろんこれは,公式な記録がとられ始めてからのものということで,実際には,明治の初めから発症の記録があるそうです.
媒体であるハマダラカは北海道の気候に適応して生きていたということが記録されています.当時の北海道は,現在よりはるかに寒かったのにもかかわらず.
北海道におけるマラリア発生数(昭和22~38年)
年度 患者数 罹患率 死者数 死亡率(%)
昭和
38 1 0.0 1 0.0
37 - - - -
36 - - - -
35 - - - -
34 - - - -
33 - - - -
32 4 0.1 2 0.0
31 17 0.4 1 0.0
30 9 0.2 - -
29 12 0.3 - -
28 5 0.1 3 0.1
27 7 0.2 1 0.0
26 21 0.5 2 0.0
25 18 0.4 2 0.0
24 47 1.1 3 0.1
23 111 2.8 6 0.1
22 186 7.4 11 0.3
(西島浩,1967「北海道開拓と虫害(二)」より)
別表ですが,昭和に入ってからも,北海道ではマラリアによる死者があったということです.昭和28年はわたしが生まれた年ですが,この頃になっても,まだ死者がいました(@_@;).
この間,いま売れっ子である「戦場カメラマン」がいってましたが,現在の日本にはマラリアを治療できる施設がないそうです.たった半世紀でそうなってしまった.
昭和32年以降は死者が記録されていませんので,この頃になってようやくマラリアの恐怖から脱したということになります.意外と最近まで,マラリアは流行っていたんですね.
日本で,マラリアが流行しないのは,流行源であるハマダラカが生息しにくい環境を作りあげてきたためで,沼地・藪などを放っておけば,(別に温暖化などなくても)流行しているはずだということです.気温には関係がない.
いまだに,不勉強なマスコミ関係者がポロッと「温暖化が進むと日本でもマラリアが流行る」などと平気でいってるのを聴きますが,歴史は「それはウソだ」ということを教えてくれています.
なお,昭和38年に死者が一名出ているのは,敗戦後の南方からの復員兵であり,例外です.
2010年11月4日木曜日
旭川市長選
まことにつまらない話題ですが,旭川市長選が始まりました.
「アイディア園長>アイディア市長?」で触れたようなことにはなりませんでした.
小菅さんが立候補を取りやめたのです.
先日,「広報」が配布され,「公約」なるものが一般公開されました.
候補者は政治屋と業者という,まことにつまらない争いになりました.
期待していただけに,反動で興味が全くなくなりました.
少しは文化的な街になるかなという期待を持っていたのですが,また同じです.
同じでは,この街は後退するばかりということが,政治屋と業者にはわからないようで.
小菅さんが立候補を取りやめたのは,(本当のところはわかりませんが)ja民党の影がちらほらし,市民を基盤とした運動にならなかったからだともいわれています.
そら,そうだわなァ.
「文芸復興」を看板に掲げてくれれば,全面的に協力できるけど(わたしの協力があっても,意味ないか(^^;),背後にja民党の影があったら,小菅という人物は,ただの「人寄せパンダ」だものなあ.
市長選が終わるまでは,広報をとっておこうと別にしておいたのですが,いつの間にか古新聞と一緒になってました(象徴的).
そうだわな. “公約”らしきものが,書いてないもの.
ないに等しい業績を強調する人と,“公約”というものがわかってない人と,相変わらずの「あれもやります.これもやります」タイプと….
不毛の選択というヤツですね.
ところで,首長の「育児休暇」が流行ってるとか.
いいなあ.長女が生まれたとき,上司に育児休暇のことを話したら,無視された.してみると,首長というのは,田舎町の学芸員より「必要ないもの」なのですかねェ(時代もありますけどね).
そうだろうなあ.日本では,いろんなレベルで,お役所公務員が“優秀”だから,首長が首長らしいことをやる機会なんて,ほとんどないですモンね.
もっと必要ないのが,市町村議会の議員ですね.
なにしてるかわからない無駄の最たるもの(市政のダニとまではいいませんが).
ボランティアの町内会長で十分代用がきくと思いますね(議会開催時の日当だけ払えばよい).
全面廃止がいいと思いますが,即刻半数に減らしてもかまわないでしょう.
ああ.つまらないことを書いてしまった(-_-;
2010年11月1日月曜日
小山内煕さん pt. II
小山内煕さんの業績リスト(とりあえず,ネット上で検索できるものと,北大関係だけです)
1950:
小山内煕(1950MS) 胆振国洞爺湖西部及び西南部の地質.北大理地進論,262号.
日高進・澁谷五郎・森脇孝洋・小山内煕・秋葉力・山田與ニ(1950)洞爺湖周辺の地質.新生代の研究,(2): 23.
1951年卒業
小山内煕(1951MS) 石狩国樺戸山地東部周縁の地質.北大理地卒論,号.
1951:
小山内煕(1951)石狩国樺戸山地東部周縁の第三系.地質学雑誌,57(670): p. 281.
1952:
長尾捨一・小山内熙・ 酒匂純俊(1952)石狩国上川郡南富良野村・金山鹿越および幾寅附近の石灰石鉱床.北海道地下資源調査資料,(4): 1-14.
斉藤昌之・小山内煕(1952)西南北海道東部地域の地質(第1報 登別泥流についての2,3の問題).北地要報,20号,1-6頁.
1953:
小山内熙・酒匂純俊(1953)五万分の一地質図幅「室蘭」および同説明書.札幌-第69号,北海道立地下資源調査所.
1954:
長尾捨一・小山内煕・酒匂純俊(1954)五万分の一地質図幅「大夕張[石狩鹿島]」および同説明書.札幌-第24号,北海道開発庁.
小山内煕(1954)五万分の一地質図幅「稚内」および同説明書.旭川-第3号,北海道立地下資源調査所.
斎藤昌之・小山内熙・酒匂純俊(1954)五万分の一地質図幅「登別温泉」および同説明書.札幌-第61号,北海道立地下資源調査所.
勝井義雄・石川俊夫・鈴木淑夫・秋葉力・酒匂純俊・小山内熙・木崎甲子郎(1954) 大雪火山熔岩の岩石学的特性(講演要旨).地質学雑誌,60: 320.
柴田松太郎・小山内煕・藤江 力・松井 愈・三谷勝利(1954)天北炭田・知来別川上流における宗谷爽炭層と鬼志別層との関係についての一観察ー炭田における海成層と非海成層の関係についての考察.新生代の研究,(19): 360-366.
1955:
酒匂純俊・小山内熙(1955)五万分の一地質図幅「下川」および同説明書.網走-第12号,北海道開発庁.
1956:
小山内煕・杉本良也・北川芳男(1956)五万分の一地質図幅「札幌」および同説明書.札幌-第21号.北海道地下資源調査所.
長尾捨一・小山内熙・三谷勝利(1956)金山炭田調査報告.北海道地下資源調査資料.(19): 1-30.
1957:
小山内熙・三谷勝利・石山昭三(1957)五万分の一地質図幅「知来別」および同説明書.旭川-第5号,北海道開発庁.
1958:
小山内煕・長尾捨一・三谷勝利・長谷川潔・橋本亘(1958)五万分の一地質図幅「石狩金山」および同説明書.札幌-第25号,北海道開発庁.
三谷勝利・小山内煕・橋本亘(1958)五万分の一地質図幅「足寄太」および同説明書.釧路-第19号,北海道開発庁.
1959:
小山内熙・三谷勝利・北川芳男(1959)五万分の一地質図幅「宗谷・宗谷岬」および同説明書.旭川-第4号・第1号,北海道立地下資源調査所.
長尾捨一・小山内煕・石山昭三(1959)五万分の一地質図幅「恵庭」および同説明書.北海道開発庁,31p.
小山内熙・武田裕幸・石山昭三(1959)北見国中頓別町の石灰石.北海道地下資源調査資料.(55):27-38.
小山内煕・松下勝秀(1959)日高山脈西縁の白堊系.1 双珠別・千呂露・シビチャリ地域の白堊系の層序.北海道地下資源調査所報告,(21): 17-28.
長尾捨一・小山内熙(1959)勇知油田調査報告.地下資源調査所報告,(21):42-45.
小山内熙(1959)枝幸町管内の石灰岩.地下資源調査所報告,(21): 59-60.
酒匂純俊・藤原哲夫・松下勝秀・小山内熙・斎藤昌之・武田裕幸(1959)士別市の地質と地下資源.地下資源調査所報告,(21): 065-094
1960:
小山内熙・松下勝秀(1960)日高山脈西縁の白亜系 2右左府,糠平川,新冠川,宿主別川,イドンナップ川,アブカサンベ沢,高見,三石,鳧舞川地域の白亜系の層序. 地下資源調査所報告,(24): 19-37.
小山内熙・三谷勝利・高橋功二(1960)五万分の一地質図幅「共和」および同説明書.旭川-第26号,北海道開発庁.
小山内煕(1960)美瑛町白金温泉付近地質調査報告.地下資源調査所報告,(24): 67-72.
長尾捨一・小山内熙・三谷勝利・斎藤尚志(1960)奥尻島ホヤ石川支流の石炭地下資源調査所報告,(24): 74-74.
1961:
小山内煕(1961MS)日高山脈西縁に発達する蝦夷層群の研究 : 特に堆積相・表質構造の考察.北海道大学理学部,博士論文4029.
橋本誠二・鈴木守・小山内煕(1961)五万分の一地質図幅「幌尻岳」および同説明書.釧路-第50号,北海道立地下資源調査所.
小山内熙・三谷勝利・松下勝秀(1961)五万分の一地質図幅「厚岸」および同説明書」.北海道立地下資源調査所.
鈴木守・小山内煕・松井公平・渡辺順(1961)五万分の一地質図幅「イドンナップ岳」および同説明書.釧路-第56号,北海道開発庁.
小山内熙・松下勝秀(1961)日高山脈西縁の白亜系3 堆積相の考察・地質構造・総括.地下資源調査所報告, (25): 79-107.
長谷川潔・小山内熙・鈴木守・松下勝秀(1961)北海道中軸地帯の先エゾ層群-地層区分の提案-.地下資源調査所報告, (25): 108-115.
小山内熙(1961)三石町三石川の石灰石鉱床.地下資源調査所報告,(25): 158-158.
小山内熙(1961)浦河町春別川の石灰石鉱床.地下資源調査所報告,(25): 158-159.
1962:
三谷勝利・斉藤尚志・小山内熙(1962)増幌背斜-天北油田北部-地域の石油および天然ガス.北海道地下資源調査資料.(79): 1-16.
酒匂純俊・小山内煕(1962)五万分の一地質図幅「千呂露[千栄]」および同説明書.釧路-第40号,北海道立地下資源調査所.
小山内熙・早川福利・大井戸恭(1962)幌別川工業用水ダム地点地質調査報告.地下資源調査所報告, (27): 49-60.
1963:
小山内煕・三谷勝利・石山昭三・松下勝秀(1963)五万分の一地質図幅「中頓別」および同説明書.北海道開発庁, 58p.
三谷勝利・斉藤尚志・松下勝秀・小山内熙(1963)増幌川源流および南部-天北油田北部-地域の石油および天然ガス.北海道地下資源調査資料,(88): 1-18.
松下勝秀・小山内熙・鈴木 守(1963)北海道爾志郡乙部村字豊浜に発生した『地すべり』について-豊浜地すべりの地質的考察-.地下資源調査所報告, (31): 31-40.
小山内熙・斎藤尚志・石山昭三(1963)遠別町の天然ガスおよび温泉.地下資源調査所報告, (31): 58.
土居繁雄・小山内 熙・松下勝秀(1963)美深町の地質.美深町,35p.
1964:
小山内煕・斎藤尚志・石山昭三(1964)遠別町の天然ガスについて.地下資源調査所報告,(32): 63-70.
小山内熙・石山昭三(1964)穂別町福山の石灰石.地下資源調査所報告, (32): 78-79.
1965:
小山内熙・庄谷幸夫(1965)五万分の一地質図幅「恩根内」および同説明書.旭川-第27号,北海道開発庁.
小山内煕・石山昭三・松下勝秀(1965)上富良野町十勝岳温泉について.地下資源調査所報告,(34): 53-58.
三谷勝利・小山内煕・松下勝秀・鈴木守(1965)五万分の1地質図幅「函館」および同説明書.32p,北海道立地下資源調査所.
1966:
斎藤尚志・内田豊・小山内煕・石山昭三・竹林 勇・鈴木豊重(1966)遠別町の天然ガスについて (第2報) -旭地区のボーリングおよびその結果-.地下資源調査所報告35,北海道立地下資源調査所.
1967:
小山内煕・石山昭三・松下勝秀・三谷勝利・高橋功二(1967)石狩炭田南部穂別炭鉱地域の地質.北海道地下資源調査資料, 109号,1-18.
酒匂純俊・小山内煕・松下勝秀・金山喆祐(1967)五万分の一地質図幅「落合」および同説明書.札幌-第28号,北海道開発庁.
松下勝秀・平田一三・小山内煕・石山昭三(1967)五万分の一地質図幅「標津・野付崎」および同説明書.網走-第63・64号,北海道立地下資源調査所.
1968:
小山内煕・酒匂純俊・松井公平・松下勝秀(1968)五万分の一地質図幅「西達布」および同説明書.釧路-第15号,北海道開発庁.
1969:
小山内熙・三谷勝利・松下勝秀・石山昭三(1969)留萌炭田住吉炭鉱地域の地質.北海道地下資源調査資料,(117): 19-27.
1970:
小山内煕・松下勝秀・長尾捨一(1970)五万分の一地質図幅「士別」および同説明書.旭川-第36号,北海道立地下資源調査所.
1971:
高橋功二・小山内熙・松下勝秀・三谷勝利・中村耕二(1971)五万分の一地質図幅「蕗之台」および同説明書.旭川-第31号,北海道開発庁.
1972:
松下勝秀・藤田郁男・小山内煕(1972)札幌・苫小牧低地帯およびその周辺山地の形成過程.地質学論集 (7): 13-26.
1973:
小山内煕ほか(1973)八雲町の地質.八雲町(→1974).
1974:
小山内煕・鈴木守・松下勝秀・高橋功二・山岸宏光・山口久之助・国府谷盛明・寺島克之・横山英二(1974)八雲町の地質.八雲町,75頁.
小山内煕, 長谷川潔(1974)札幌ー定山渓地質案内 : 地質巡検案内書.日本地質学会北海道支部,32頁.
1977:
松下勝秀・寺島克之・小山内煕(1977)五万分の一地質図幅「剣淵」および同説明書.旭川-第40号,北海道立地下資源調査所.
1978:
長谷川潔・小山内煕 (1978)国富ー定山渓地域の地質と鉱床ー地質構造発達史を中心として—.北海道立地下資源調査所調査研究報告,5: 1-37.
2010年10月30日土曜日
小山内煕さん
例によって,古いノートを整理しています.
穂別地域の地質についてメモしているノートが出てきました.
最初に書いてあるのが,つぎの論文でした.
小山内煕・石山昭三・松下勝秀・三谷勝利・高橋功二(1967)石狩炭田南部穂別炭鉱地域の地質.
北海道地下資源調査資料, 109号.
報告書の内容は,表題の通り,穂別炭鉱付近の地域地質について,です.
この地域は,地質学史から見ても重要な地域です.まだうまくまとまっていませんけど.
わたしが学生のころ,小山内さんにはアルバイトで大変にお世話になりました.
アルバイトの雇い主でした.
このころは,某・地質コンサルタントの偉い人でした.古いタイプの地質屋の臭いのする人で,とてもすてきな人でした.地質屋には,こういう魅力的な人たちがたくさんいたので,わたしは一生地質にかかわって生きていたいと考えてたんですけどね….
小山内さんは,この報告書のころは,道立地下資源調査所(現・道立地質研究所)にいらしたのですね.どうして,地質コンサルタントに転職されたのでしょうか.北大で教授をやってても不思議はない人だと思いますけどね.
亡くなられてから,もうだいぶ経ちますね.生没年もわからない….地質図の生みの親といわれるスミスと英国地質学会の関係を想い出します.
どうせなら,小山内さんの業績をまとめておこうと,論文・報告書などを検索すると…,出るわ出るわ,凄まじい量です.簡単にはまとまりそうもない.これは,おいおいやってゆくことにします.
小山内さんは,道内のたくさんの五万分の一地質図幅および説明書に関係していらっしゃいますし,地下資源調査所の報告書類も毎年のように出されています,そのどれもが北海道の地質にとって重要な資料です.それは「論文」ではなくて「報告書」.いかにも北大地鉱教室出身.ライマンの末裔ですね.
たぶん,これらをまとめたら,北海道の一時代の地質研究史が浮かび上がってくると思います.楽しみのひとつです.
あるとき,小山内さんがポツリと,こうつぶやきました.
「俺は,息子に裏切られた」
“へ?”と思いながら,小山内さんの顔を見ると,別に裏切られて悔しいと思っている人の顔ではなかったような気がしますが….
そのときのわたしには,それがどういう意味だったのかは,理解できませんでした.
いまは,なんとなく.
小山内さんの息子さんは,現在,某大学大学院の教授をなさっています.日高山脈中軸部の変成岩類の研究で著名な方です.
「日高造山運動」なるものは存在せず.
日高山脈は,ただ,プレートのせめぎ合いによって偶然できたものに過ぎないと塗り替えられていった時期に,日高山脈の地質を研究されていた方です.いまも生き残っているのだから,どういう立場の人かは理解できるでしょう.
そして,小山内・父といえば,湊・舟橋両教授の健在なころの北大地鉱教室出身.もしかしたら,親子二代で地向斜造山論からPT論への葛藤があったのかもしれません.
小山内・父子は二人とも日高山脈周辺の地質を研究されてますからね.
そのあたりは,小山内・ジュニアに記録を残しておいてもらいたいものです.当分,公表はしないにしても….
わたしは,小山内さんがうらやましいです(わたしには,路を開いてくれた親もいなければ,志をついでくれる子もいない:雑草は雑草ということ).
地質学に一生を捧げられただけではなく,親を乗り越えてゆく立派な息子まで育てたのですからね.小山内さんの「俺は,息子に裏切られた」という言葉は,むしろ,「息子は俺を越えていった.その息子を誇りに思う.」という意味だったのかもしれません.
2010年10月28日木曜日
「お馬鹿タレント」と「東大タレント」続き
大学入試は制度疲労をおこしてるみたいですが,大学そのものも制度疲労をおこしているようです.
歪んだ大学入試が高校の授業を歪め,たくさんの教科が選択になりました.
そのため,ほとんどの大学では,第一年目の学生に高校の補習授業を行っているそうです.なぜって,なんの話をしても,「あ,日本史とってない」とか「あ.世界史とってない」とか,「あ,物理とってない」とか,「あ,生物とってない」という学生が必ずいて,授業にならない(もちろん,地学を選択した学生なんて皆無に等しい).
学生のレベルを合わせないと,大学でやるような多少なりとも専門的な授業は不可能ということです.
某大学で,しばらくの間,地学系の授業の非常勤をしてましたが,近代地質学の成立の話をしたら,授業についてのアンケートに「なんで,地学で歴史の話をするのか」と抗議の声がありました.
わたしとしては,「西欧では産業革命が近代地質学を成立させた」,「日本に近代地質学が入ってきたのは,明治維新前のことで,この北海道が最初である」という話を授業のイントロに使ったつもりですが,高校では歴史が選択科目になってるので,基礎知識がなく,感情的に拒否反応を起こしたものらしいと,いまは思っています.
たぶん,それとおなじ様なことが,すべての分野で起こっているのでしょう.
大学レベルの授業を行おうとしたら,まず,高校程度の授業をやりなおして,学生のレベルをそろえてからでないと授業にならない,ということなんでしょう.
就職氷河期といわれてい久しい現在,酷いことに,大学生は四年生になると,大学の授業なんかそっちのけで就職活動をはじめるそうです.
つまり,四年生大学で大学レベルの授業を行えるのは,たった二年間ということになります.大学の短大化ですか.
やってたのが非常勤で,それをしなくなってからも久しいので,実情は噂で聞くばかりですが,なにか,大学で授業をするというのは,わたしにとって非常に「おもしろいこと」だったのですが,「また機会があったらやってみたい」というその「欲」がなくなっている自分に気付きました.
と,いいつつ,たのまれればなんでもやりますけどね((^^;).
2010年10月27日水曜日
「お馬鹿タレント」と「東大タレント」
一時期の「お馬鹿タレント」ブームは過ぎ去ったようですが,「お馬鹿タレント」といわれた人たちは,相変わらず活躍してるようで,ご同慶の至りでございます.
って,私の方には関係ないか((^^;).
彼らは,「お馬鹿」といわれている割には,才能豊かで,頭の回転も速く,「頭がよいとはどういうことか」を考えるについての,すごく良い材料だと思いますね.
彼らは,本当は「頭がいい」のだと思いますね.
あの,頭の回転の速さは,だだものではありませんね.
ただ,「学門方面」については,ほとんど訓練がなされてないので,その回転の速さも正解に結びつかず,突拍子もない結論に結びつき,そのギャップが笑いを誘うということですかね.
彼ら,あるいは彼女ら自身が好きなことについては,とんでもない知識を持っていそうです.ただ,TV(こちらこそ「お馬鹿TV」ですよね)では,それを披露しても,うけそうもないので,やらないということですか.
小学校・中学校時代は,どのように過ごしていたのでしょうか.気になるところです.
彼らは,一種の天才なので,普通の授業では,頭に入らなかったのかもしれません.現在の義務教育の画一的な授業のあり方を考える材料にもなりそうです.
さて一方で,我が国の“最高学府である東大”の学生あるいは卒業生がTVタレントとして,時々出ているようですが,彼らの,思ったより(東大ということで)頭の回転の悪さ,常識のなさに,「オヤッ」と思った人はいないでしょうか?
最近は,特にその思いを強くしています.
これは,大学の入試制度のせいだと思います.
現行の入試制度は,受験生の現在の能力を測るものではなく,受験生の将来性を測るものでもないからです.
ひたすら,受験テクニックを「細かく」測定するものでしかないのですね.
それは,親が金をかけて,家庭教師を付けたり,塾に通わせたりすれば,身につくものです.本人の素質ではない.
共通一次やその末裔が,学問の滅びにいたる道筋をつけている.しかも,今やかなり巨大な路になっている.
そんな感じですね.
もうすでに,かなりの数の,受験テクニックだけで東大に入り,お役所に入って,高級官僚になった人が出ているはずですから,お役所,国のやることがちぐはぐなのも….
悲しいね.間違いであって欲しい.
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