2019年3月20日水曜日

北海道地質学史に関する文献集(05)

 
坂市太郎(1918)北海道の開發と石炭鑛業.

 ライマンの弟子・坂市太郎による回顧談.回顧談の講演録なので,文脈を把握しにくいところもあるが,当時の「北海道の開発と石炭鉱業」の現場の様子がよくわかり,非常に貴重な証言である.
 (04)の神保がドイツ流&帝大流地質学の雄なら,坂市太郎はもう一方のアメリカ流実用地質学の雄である.ライマンが日本人未踏の地を探検・調査したように,坂も(もちろん,ほかの多くのライマンの弟子たちも)実際に歩いて探検し,正確な地質図を作り,石炭開発に役立てていった.

 坂の講演は「私の講演は石炭礦業が北海道開發の先驅となり又北海道將來の運命を定むるものなりと云ふ趣意を述ぶるのであります。」から始まる.
 維新後,専門知識の無い元・武士のみから構成された開拓使には,開拓能力が無いことは明らかで,米国から開拓顧問を呼ぶこととなった.開拓顧問・ケプロンが最初に始めたのは「教育機関」の設置し,専門能力のある学生を育てることであった.坂は,その一環として米国から呼ばれたライマンについて鉱山学を学んだ.炭田開発とは炭田を発見することだけではなく,産出した石炭の輸送路・積出港を整備することも考慮することが必要であり,長期的な見通しが必要であることが説かれている.詰まるところ,北海道開拓の百年の未来を考えた見方が必要なのだとしている.そして,大筋ではそのように進んで行くのだが,鉄道布設などは政治的に,あるいは有力者の都合の内に決められて行くこともある.その間に起きた道庁理事官・堀基の件は,のちの鉄道払い下げの遠因かと疑わせる出来事が示されている.

 「其他政事家も實業家も現在主義一點張の人のみで、歐米の文明國人の如く國家の將來と云ふ考を持つ人に乏しきは帝國の將來大いに憂ふ可きものにして遣憾千萬に思ひます。
 目的は北海道の開發なのだが,短期的な利益,個人の利益に流される政財界人.…このあたりは,いつまでたっても変わらないようだ.

 

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