2011年1月10日月曜日

蝦夷地,最初の炭鉱 pt.9 補遺

 
 1890(明治二十二)年,多羅尾忠郎・編「北海道鉱山略記」より

シラヌカ石炭
開拓使事業報告ニ曰ク,「シラヌカ」舊石炭坑ハ上古ノ石炭ヲ含ム岩石ト變シ坑ノ前邊灰色シェールノ近代ニ成ル岩層ノ一端アリ.坑上灰色砂石ハ此岩層ニ連續スル如クナレトモ坑近傍ノ岩石ハ其質甚堅硬ニシテ数多ノ黒斑アリ.往年開採ノ跡ヲ見ルニ岡麓ニ一ノ坑質アリ.坑口土石崩落匍匐シテ入ルニ凡八碼許ニシテ土石充塞シ進ムヘカラス.又其側面ハ板張ニテ岩層ヲ見ス.層厚サ半尺ヨリ四五尺ト云フ.坑外堆積中良質ト見ユル拳大ノ岩塊アレトモ,概子破砕シテ多ク「スレート」ヲ
混ス.炭質良ナルカ如シト雖モ,開採ニ堪ヘサルヘシ.
東蝦夷日誌ニ曰ク「シラヌカ」石炭ヲ掘出ス.其稼方九洲邊ノ掘方卜異ナルヿナシ


 多羅尾忠郎という人物は,北海道庁属だそうです.どういう職なのかはわかりません.しかし,「灰色シェール」などという用語をつかうところからみて,地質学的知識をもった人物とみて差しつかえないでしょう.「開拓使事業報告ニ曰ク」という言葉遣いが気になりますね.二次資料中の引用不詳の部分でこの「開拓使事業報告」にあるという付記をしている文章がしばしばありますから,もとはこの「北海道鉱山略記」なのかもしれません.

 なお,多羅尾忠郎は千島探検の記録も残してます.
 

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