大岸の金敷岩
室蘭本線大岸駅の近くオプケシ川の川口に,鍛治屋の金敷のような岩かある.
この岩は附近の人々の崇拝しおそれていた岩で,昔本州から一人の旅人が来て,この川の奥から鉄鉱をとって来て,この岩を金敷にして刃物をつくっていた.ところがこの旅人というのが実は疱瘡の神で,アイヌに疱瘡を流行させる為に来たのであった.その為たちまち部落には疱瘡が蔓延し,ここにあった大きな部落がすっかり死絶えてしまったという.
(鵡川町・山下玉一郎氏輯)
不思議な話です.
まずいくつか説明を加えておかなければなりません.
第一に,「大岸」というのは由緒のある地名ではなく,もとは「小鉾岸」とかいて「おふけし」と読んでいたそうです.この名は,そこを流れる川の名前に残っています.
もともとは,もちろんアイヌ語なのですが,これにはいくつか説があります.
更科源蔵編著「アイヌ語地名解」では「オプ・ケシ」=「鉾の石突き」説と,永田方正「蝦夷語地名解」の「オプ・ケスペ・シレト」=「鉾の石突きに似た岩のある岬」説を紹介し,「他の説もあって問題の多い地名」としています.
前説では「川尻のところが鉾の石突きのところのように,二股になっている」という説明が加えられていますが,「鉾の石突き」なるものがどのような形をしているのか現代人にはイメージ不能です.「鉾の石突き」がすべて「二股になっている」のかどうかは判りませんが,とりあえず「二股になっている」のだと考えておきましょう.
現在の「小鉾岸川」の河口は二股にはなっていませんので,なんですが,二股になってるだけで「鉾の石突き」を連想するものでしょうかね.
後説では,“小鉾岸”は「鉾の石突きに似た岩のある岬」ですから,現在も残る岬(国土地理院の地形図では無名)のことかと思われます.
そうすると,伝説の「岩」は「岬の岩」なのかもしれません.
現地に行けば解決するかもしれないですけどね.
さて,当初この伝説を見つけたときには,噴火湾沿いにしばしば存在する「砂鉄鉱床」のことを示しているのかと思いましたが,旧地質調査所や旧道立地下資源調査所の鉱床図には,それに該当する鉱山・鉱床はありません.
「川の奥から鉄鉱をとって来て」とありますので,川の上流部に鉄鉱床があるのかと思いましたが,これも該当するものがありません.
この川の奥には,金銀鉱床ならあるのですけれどね.
ということで,地質学的にはまるで説明が付きません.
もしかしたら,「地名」が間違って伝わっていて,別な場所のことなのかもしれないですね.
蛇足しておくと,この物語の後半部は,当時は渡り歩く冶金職人もしくは刀鍛冶・野鍛冶(正確にはなんと表現していいのか分からない)がいたことを示しているのだとおもいます.「当時」というのがいつのことかは判りませんけどね.
コシャマイン蜂起の原因は,志濃里の鍛冶とアイヌの青年とのいざこざから始まっていますから,アイヌ居住地を旅する“渡り鍛冶”は相当数いたことを示しているのでしょう.
さらに蛇足しておくと,この野鍛冶は「(実は)疱瘡神であった」とされていることについてです.
アイヌは,こういった病気に免疫がなく,感染した和人がアイヌのコロニーに入りこめば,あっという間に伝染病が蔓延し,一つの部落が全滅などということはしばしばあったということです.
つまり,この伝説は,和人=「危険な病気を持ち込む連中」ということについての警告となっているわけですね.
しかし,鉄鉱石との関係は,謎のままです.
探索は続きます….
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