2012年8月19日日曜日

アイヌ伝説と宝玉

染退川の鐘乳石

染退川の支流メナシュベツが更にペンペツとパンペツとに分れる近くにポルウシュナイという小川がある.鉱坑のある沢で,ポルとは洞窟のことで,洞窟のある沢というのである.
昔,この土地にいた神様が,或る日のこと何ということなしに足もとの土を蹴ったところ,土の中から白く輝く宝物が出てきたので,さっそくそれを天上の神様のところへ差上げたところ,天上の神様は大変それを喜ばれて,宝物を発見した神様に地中の宝玉を司ることを命じられたという.初めて地中の宝玉を発見した土地というここには,川の中に石英の鐘乳石がある.
(永田方正「蝦夷語地名解」.中田千畝「アイヌ神話」)


「染退川(しべちゃりがわ)」は現在の「静内川」のこと.
「染退」のもとはアイヌ語ですが,すでに原語が失われていて,語源には多数の説があります.

メナシュベツ・ペンペツ・パンペツもすでに該当する沢名が残されていません.

メナシュベツについては,静内川上流部の高見湖の直下に「目梨別橋」という橋があり,この付近にあった川なのかと思わせますが,染退川上流部を「メナシュベツ(メナシベツ)」というという説もあり,よくわかりません.
蛇足しておけば,「メナシ(manasi)」は「東」のことで,確かに,この付近では東から流れています.

これが正しいとすれば,「ペンペツ」は高見湖中央から分岐する「ペンケベツ沢」のことで,「パンペツ」は高見湖から北へ分かれる「パンケベツ沢」のことなのかと思わせます.
そうすると,「ポルウシュナイ」はこの付近の沢ということに.

さて,染退川上流の本流筋にはいくつかの鉱山が知られています.
有名なのはペラリ山周辺の蛇紋岩帯に胚胎するクロム鉱床で「静内クロム鉱山」と呼ばれていました.また,このそばの本流には石綿鉱床の「農屋鉱山」もありました.
もう一つ,高見湖のはるか上流に静内鉱山と呼ばれるアンチモニー鉱床があったらしいのですが,こちらは位置がはっきりしません(五万分の一地質図幅「農屋」には,図幅の東端とあります:地質図そのものを所持していないので確認できない).

ところが,高見湖附近には鉱山の記録はありません.

結論として,染退川上流部には確かに鉱山があったのですが,伝説にいう地域とは微妙に一致していません.
また,いずれの鉱山も昭和の中ごろの操業ですから,この伝説が採録された永田方正の時代とは整合しません.そうすると,江戸時代から明治の初期にかけてのいずれかの時期に坑道を掘って何らかの鉱石を採掘していた可能性があることになりますが,上記の鉱床では,当時としてはあまりにも魅力に乏しい.


なにかが違う.
そこで,最後の行に注目してみます.「川の中に石英の鐘乳石がある」という言葉.これは,地質学的には字義通り受けとると「ナンセンス」のひと言です.
石英はSiO2が成分であり,鍾乳石は(通常)CaCO3の層状成長したものだからです.

もう少し柔軟に考えてみます.
これは“白い宝玉”だったわけです.何かそれに該当する可能性のあるものは無いかと地質図幅説明書(松下・鈴木, 1962)を読んでいたら,興味深い記述を見つけました.
先ほどの「ペラリ山周辺の蛇紋岩は,…『優白岩』によって貫かれている」とあります.続けて「この接触部では,優白岩によって接触変質を受け,…ひじょうに硬質になっている.…(中略)直閃石の放射状集合から成り立っている球顆が,多数みとめられる」とあります.
この“球顆”の大きさの記述はありません.
付図の球顆は顕微鏡レベルの大きさですが,もし眼に見えるような大きさものがあったなら,アイヌにとっては宝玉にも等しいものとして扱われたかもしれません.

これが,もしかしたら「伝説の正体」だったのかもしれませんね.


蛇足しておきます.
染退川下流部には砂金鉱床がありました.
シャクシャイン蜂起」に関する記述を読んでいると,多数の和人の砂金掘りがアイヌ居住地に入りこんでいたことがわかります.しかし,それと対照的に,アイヌには「金」にまつわる伝説は見あたりません.アイヌは,金には興味が無かったようです.
歴史の本を読んでいると,アイヌ蜂起は和人とアイヌの「金争い」に原因があったかのような記述をみることがありますが,「砂金伝説」がないことから,これは和人側の都合にたった小規模な歴史の捏造と判断するべきでしょう.
軋轢は,砂金そのものでは無く,砂金掘りによって荒らされた河床にあると思われます.そこは,アイヌにとっては「神の魚(カムイチェプ)」が遡上する場所だったからでしょう.
 

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