2012年8月6日月曜日

アイヌ伝説と化石(2)

小山になった鯨と鯱


穂別市街から穂別川に沿うて六,七百㍍のぼると,厚真町へ越して行く間道にそうて,パンケオピラルカの流れが穂別川にそそいでいる.この落口の近くにフンベ(鯨)という鯨の形をした小高い丘があり,穂別川をはさんでこの丘の対岸の畑の中にレブンカムイ(鯱)という高みがある.
昔,この附近まで一帯の海であったときに,鯱に追われた鯨が逃げ場を失って,陸の上にのしあがってしまい,そのままフンベの丘になってしまったが,鯱は鯨が陸へあがっておりて来ないので,鯨のおりて来るのを見張りながら待っているうちに,あたりの海の水がなくなって,これも小さな丘になってしまって,今でもまだにらみ合っているのであるという.
この附近は山が穂別川にせりだして急傾斜になっているが,ここをフンキとよんでいる.フンキとは海岸の崖のことである.
(穂別町・種田角蔵老伝)

パンケオピラルカ沢と穂別川の合流点は標高60m程度あるので,ごく最近(考古学的歴史上)このあたりまで海だったことは考えられません.
海岸地域であれば,クジラが上陸するということは希にあることなので,鯱に追われた鯨が…という話は,あっても不思議はないのですが,なぜこのような内陸部に「鯨が上陸」した話が残っているのでしょうかね.

でも,いまだに鯨と鯱がにらみ合ってるなんて,面白い話です.
残念ですが,フンベ*,レブンカムイ**,フンキ***という地名は今は確認できません.

この伝説は,学芸員時代に苫小牧民報の記者の人に聞いたことがあるんですが,その時はあまり興味が持てませんでした.ところが,そのあとで興味深い体験をすることになります.
じつは,私が発見したホベツケントリオドンは,この鯨がいたというパンケオピラルカ****沢の支流,穂別川合流部にごく近い博物館の裏山にあったものです.

もしかしたら,この丘がフンベの丘だったのかも.
そうすると,アイヌの伝説は真実を語っていることになります.
ただし,ケントリオドンの海は約1,500万年前のことですけど….

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* フンベ(humpe)(ふぺ):クジラ
** レブンカムイ(rep-un kamuy)(レぷン・カむィ):「沖の」+「神(魔)」≒「シャチ」
*** フンキ(hunki)(ふンキ):①浜から上がってくると一段高くなってハマナスなどが生えている地帯.②海岸の砂丘.③小山,丘.
**** パンケオピラルカ:不詳;pán-ke=「川下の」
以上,知里真志保著「地名アイヌ語小辞典」より

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