2008年5月28日水曜日

バーサス

J. L. パウエル(1998)「白亜紀に夜がくる(寺島英志・瀬戸口烈司,2001訳)」青土社

R. M. ウッド(1985)「地球の科学史=地質学と地球科学の戦い=(谷本勉,2001訳)」朝倉書店

 「白亜紀に夜がくる」は,ご存知「隕石衝突説」の本です.あ,白亜紀末の恐竜を含む「大絶滅」の原因論のことですね.あらすじはもう,現代人の常識と化していますので,解説する必要もないでしょう.
 「面白いな」と思ったのは,この本の「帯」にかかれているコピー(キャッチフレーズ)のことです.「〈たわごと〉はいかにして〈定説〉となったか」とあります.どこかで,聞いたようなフレーズです.

 「地球の科学史」のサブ=タイトルに見られるような「地質学と地球科学の戦い」ということを話題にするときには,しばしば用いられています.「大陸は移動する」という〈たわごと〉は,いかにして〈定説〉となったか….

 「地球の科学史」の原題は" The Dark Side of the Earth "といいます.訳すると,「地球の暗黒面」(!).
 要約すると(要約すると必ず不正確になるもんですが(^^;),「地球の暗黒面を扱ってきた“(錬金術にも等しい)地質学”は滅びて,“(真の科学である)地球科学”の時代がやってきた」ということです.
 皮肉なことに,日本にプレートテクトニクスが普及することを10年以上に渡って遅らせてきたと言われている地団研の出版している雑誌の名前が「地球科学」です.
 「10年以上に渡って遅らせてきた」と言えば,日本では「地団研」が犯人だそうですけど,海外でも(真実の普及を)「10年以上に渡って遅らせてきた」犯人がやっぱりいるそうです((^^;).「地球の科学史」の「序」に,そう書いてあります.
 「悪」は洋の東西を問わず,常にいるもののようですね((^^;).

 閑話休題
 この手の科学史には,一つのパターンがあります.結果として“勝利した”側を“正義”ととらえ,それまで主流だった(つまり“負けた”)側を“悪”と呼ぶことです.まるで,キリスト教が進出していった地域に元々いた“古い神々”を,キリスト教徒が“悪魔”と呼ぶみたいなことです.
 こういう善悪に二分する欧米的な世界観は,もともと日本人には会わないと思うのですが,“グローバル化”という(じつは)“欧米化”の著しい現代,いつの間にか私たちも,こういうパターンに疑問を持たなくなっています.

 現在の我々は,地質学者(=地向斜造山論者)と地球科学者(プレート論者)が論争して,地質学者が負けたということがあったように思っていますが,そんなことはありませんでした.
 こういう二つの理論があって,一方が生き延びて,もう片方が顧みられなくなることを「パラダイムシフト=パラダイムの転換」と呼ぶそうです.このパラダイムシフトという用語も“勝った側”の好きな言葉ですね.上記,二著者ともこの言葉で説明しています.
 調べてみると,この「パラダイムシフト」という用語も,非常に曖昧なもので,“勝った”側を正当化するために,編み出されたものかしら? と,思うぐらいです.

 さて,今を去ることン十年前.
 ちょうど,有珠山が噴火した年ですから,1977年ですか.北海道大学で地団研の総会が開かれていました.テーマは,「北日本中生代以降の造山運動の諸問題」でしたか.
 当時,私は修士課程に入ったばかりで,層位学をやりながら微化石の研究をしたいなどと,曖昧なことを考えていたお気楽な学生でした.微化石をやっているのに,本人の意思に関係なく,やがて「地向斜論者」と「プレート論者」に色分けされてしまうとは考えていなかった.ただ,北海道で地質学をやっている限りは日高山脈がなぜできたのか,には興味がありました.

 さて,シンポジウムの会場では,聴衆側の席の真ん中あたりで,大声でみなを非難する若者がおりました.若者は「地向斜造山論」を否定し「プレートテクトニクス論」を布教しているようでした.
 お分かりでしょうか?
 当時の北大で,地団研の日高山脈に関するシンポジウムの最中に,「PT論」をぶつ若者がいたのです.あり得ないことなのです.
 多分それは,今の東京工業大学教授・丸山茂徳氏だったのだろうと思います.
 お気楽な私は,その内容を覚えていませんが,こんなことを考えていました.「すごい人だなあ」,「この人,きっと湊正雄の若い頃にそっくりなんだろうなあ」と.

 さて,論争の結果はどうだったのでしょう?
 何も起きませんでした.論争自体が起きなかった.話は噛み合なかったのです.
 科学史上の論争なるものを,後追いすると,いつも似たようなことが起きているようです.二つの理論は噛み合ない.論争によって勝った負けたが決まるのではなく,いつの間にか,結果として勝った方につく研究者が増え,そうでない方は支持者がいなくなっていく.
 そしてある日,「地向斜造山論」に基づく論文は,斯界の雑誌への掲載を拒否されるようになる.
 実は,こういうことが説明できないので,「パラダイムシフト」なる便利な言葉が発明されたようです.

 お気楽な私としては,全く違う立場があれば,“その論争で,地質学自体の質が高まる”などと考えていたので,時代に取り残されることになります.言っときますが,「私は地向斜造山運動論者ではありませんよ((^^;)」.
 どちらの話も面白いと考えていた.言ってみれば,第三者的なところがありますね.
 「無責任だ」って? そんなことはありませんよ.「微化石の研究」と「造山論」とどうやって結びつけます? 地質学をやっていた人の大部分が同じ立場だと思いますね.

 昔,中国で,全く政治とは関係のない古生物の記載論文の冒頭に,毛沢東主席の肖像と彼への賛辞が書かれていました.そうしないと,印刷してもらえなかったようなのですね.かくて,日本でも,冒頭でプレートテクトニクスへの賛辞を述べないと,論文が掲載されない時代がやってきました(嘘ですよ:(^^;).
 でも,いろいろな立場で地球を考えることは,やはり許されないようです.現代科学は欧米に端を発するとはいえ,様々な立場の存在が許されないのは,やはり,キリスト教が根本にあるからなのでしょうか.
 そして,“負けた”方が,暗黒面に封じ込められる….
 悪魔の戯言だと決めつけられる….

 東洋人の考え方だと,「因果は巡る」のですけれどね.

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