2010年5月3日月曜日

小さなツルの挑戦

 
小さなツルの挑戦=「アネハヅルの進化」

草原に春がやってきた.
海を越えてやってきた小柄なツルの「つがい」に卵が産まれ,やがて雛が孵る.
雛は,順調に生育し,夏が過ぎる.
雛は,秋には海を越えた南の島まで遠征できるような,たくましい若鳥に成長する.

繰り返す,生命の営み.
繰り返す,地球の公転.
繁殖の春が来,成長の夏が過ぎ,渡りの秋を迎え,暖かい南の島で冬を過ごす.
繰り返す,生命の営み.
繰り返す,地球の公転.


海は,恐龍が闊歩する時代からそこにあった.
やがて,巨大な恐竜たちはすべて滅び,チョコチョコと走り回る哺乳類の時代になった.
恐龍の末裔である鳥類は,一時的に勢いを失っていたが,展開する哺乳類と同様に,新しいタイプの子孫たちを生み出し,やがて地上に空に,広がっていった.
そして,この小さなツルの最初の仲間が誕生した.

大洋は海峡に変わり,そして浅い海へと変わっていった.
春から秋にかけて,北の草原で卵を産み,雛を育て,そして,南の島で冬を越す.
繰り返し.繰り返し.
そして,永い時が過ぎた.

小さなツルの仲間は気付かなかったが,彼らの旅はわずかづつだが,父や祖父の時代よりも短くなっていた.

繰り返し,繰り返し続く,南の島と北の草原での暮らし.
やがて,浅い海は平原へと変わり,平原から山へと変わっていった.
この地表で一番高い山脈へと.

相変わらず,北の草原で雛たちを育て,今は陸続きとなってしまった南の小さな大陸で冬を過ごす,小さなツルの仲間たち.
いつの間にか,小さなツルは世界で一番高い山を越え,一番高い空を渡る不思議な体を備えるようになった.
山はまだまだ高くなる.
そして小さなツルたちは,その山への挑戦を続ける.

繰り返す,生命の営み.
繰り返す,地球の公転.
繰り返す,生命の営み.
繰り返す,地球の公転.

【解説】
【小さなツル】
えー.
この小さなツルの学名はAnthropoides virgo (Linnaeus, 1758)といいます.

日本名は「アネハヅル」.漢字では「姉羽鶴」と書くようですが,その由来は不明です.
英名はDemoiselle Craneといい,Demoiselleは「未婚の(若い)女性」を意味するといいます.
日本名も英名も,たぶん,小さめの体で,繊細な羽の色をもつこのツルの外観を表現しているのでしょう.

学名の方は,Anthropoides virgo (Linnaeus, 1758)といいます.
Anthropoidesは,ギリシャ語の「アントゥローポス[ἄνθρωπος]」=「人」をラテン語綴り化した[anthropos]に「・オイデース[-oides]」=「類似の」を合成した言葉.すなわち,「人に類似の」.
普通,属名は名詞ですが,これは形容詞ですね.

一方,種名の「ウィルゴー[virgo]」は「乙女,処女」の意.この複数形は「ウィルギニス[virginis]」で,英語の「処女[virgin]」の語源.天文の方でいう「ウィルゴー[Virgo]」は「おとめ座」のこと.
種名は普通は,形容詞なんですが,こちらは名詞ですね.

属名+種名で表す二名法の歴史を考えれば,属名は名詞で種名は形容詞であるべきなんですが,現在の動物命名規約では名詞の種名の使用も許されています.

さて,「属名」+「種名」を合わせて,その「意味」は「人間に似た乙女」.なにか,意味深ですね.本来の「属名=名詞」,「種名=形容詞」であれば,「乙女のような,人間に似たもの」となるはずですが….

【テーテュース海】
話は変わりますが,まだ恐龍が地表を闊歩していた白亜紀のこと.インド亜大陸とユーラシア大陸の間には「テーテュース海」という巨大な内海がありました.正確にいうと,北米とユーラシアが一体となった「ローラシア大陸」と,南米・アフリカ・インド・オーストリア・南極が一体となった「ゴンドワナ大陸」の間です.

なお,「テーテュース海」は,しばしば「テチス海」と書かれることがありますが,ギリシャ神話の「テーテュース[Tethys]」と「テチス[Thetis]」は別人.というか,別神.テーテュース海自体は前者を由来としていますので,「テーテュース海」と書くのが正しい.(以上蛇足)

【海と山脈】もしくは【ヒマラヤはいかにして小さなツルを偉大なツルに進化させたか】
白亜紀の終わり頃から,この内海のテーテュース海が閉じ始めます.
インド亜大陸が,ゴンドワナ大陸を離れて,ユーラシア大陸に衝突を開始したからです.
と,いっても,白亜紀から始新世にかけてはまだまだ,浅い海が広がっていました.

アネハヅルの化石というのは発見されていないようですが,ツル科の先祖は始新世の終わりころのヨーロッパで発見されています.ツル科の仲間が繁栄し始めたのが,中新世に入ってから.中新世とは約二千三百万年前から約五百万年前の期間です.北米,ヨーロッパで繁栄を開始したツルの仲間は,アジアへと進出してゆきます.
この頃,アネハヅルへと進化していたとすれば,チベットの草原から浅海となったテーテュース海を渡りインド(当時は島)へと渡る彼らの姿が見られたはずです.

中新世に入ると,かつてのテーテュース海のあちこちに島ができはじめ,この島から風化浸食した岩石がテーテュース海を埋め始めます.
鮮新世に入ると,ヒマラヤ山脈が成立し,次第に,陸域の動物たちにとっては移動を妨げる障壁になってゆきます.鮮新世とは約五百万年前から約二百万年前ぐらいの時代のこと(最近,このあたりの時代の定義を変えようという動きがあり,これからどんどん変わってゆきますのでご注意).
このヒマラヤ山脈の成長は,次の時代である更新世前期まで続きます.

テーテュース海がヒマラヤ山脈に変わる時代に,進化繁栄したアネハヅルはヒマラヤが高くなるにしたがって,春と秋の渡りに苦労が多くなってゆきますが,もちろん,その世代世代のアネハヅルには,そんなに大きな変化は感じられなかったでしょう.
だから,アネハヅルは「渡り」をやめることはなかったですし,わずかづつ高くなるヒマラヤ山脈はアネハヅルの体に大きな変化をもたらします.

更新世中期には,ヒマラヤはほぼ現在の高さに到達します.約百万年前のことです.
世界の屋根といわれるヒマラヤ山脈は,巨大な壁となり,チベット側とネパール側で動物の世界を二つに分けてしまします.
しかし,ヒマラヤの成長と共に進化したアネハヅルは動物界最強の肺と羽を持ち,今も毎年,春と秋にヒマラヤ山脈を越えるという偉業をなしつづけています.

*ヒマラヤの形成史については,吉田充夫(1984)「ヒマラヤはいつ成立したのか」を参考にしました.


(このシリーズ,まだネタがあるので,続けるつもりです.誰か,写真を貸してくれるか,絵本にしてくれないかな…)
 

0 件のコメント: