2015年5月16日土曜日

「北海道鑛山畧記」:(三)石炭の「ポロナイ石炭」(「テミヤ」「ポロナイ」間鐵道)

 
(「テミヤ*1」「ポロナイ*2」間鐵道)
「テミヤ」「サッポロ」間鐵道起工は,明治十三年一月八日にして,同年十一月二十四日竣工し,同二十八日開業す.又,「サッポロ」・「ポロナイ」間は明治十四年六月二十四日起工し,翌十五年十一月十二日竣工し,同十八日開業す.
鐵道は平低軌條*3にして,其一碼の重量四拾五听なり.之を横枕木上に架設す.而て其軌間は三咫六吋とす.此鐵道に使用する處の諸事は,悉皆米国風の者にして五種あり.即ち最上等・上等・並等・貨車及臺車是なり.
最上等客車は中央兩側に二鏡を懸け卓二脚あり.便室,暖爐,飲水斗等,皆備り頗る美を盡せる者にして,客四拾貳人を載すべし.此客車は平常使用せず.上等客車は長さ四拾呎,幅八呎(最上等客車も略ほ同し)にして,乗客四拾六人を容る.車中又便室,暖爐及列車長の室あり.並等客車は乗客六拾人を容るヽと雖とも,其長さは上等客車より五呎を減ず.以上三客車に付する車輪は,皆上等馬車形彈機を用ゆ.故に,車躰動揺少なく,且軌轢の聲を聞く甚しからず.車中の人,平聲以て談話すべし.貨車幷に臺車の積荷は約八噸を通量とす.以上各車基枠は二個の自在回轉低車に構造せし者にして,當地の如き屈曲の甚たしき鐵路上を曳行する列車には實に適せりと云ふべし.

現今六個の機関車あり.命するに本道に関係ある往時の人名を以てす.即ち辨慶號,義經號,静號,光國號,比羅夫號,信廣號,是なり.

機関車は「モーグル」形*4と稱する者にして,機関圓壔は内徑十二吋,〓子運動*5の長さ拾六吋.逐進輪の數は六個にして,其徑三拾六吋.不動輪底の距離は,僅に九呎なり.故に能く半徑二百三十尺の四度なる孤線を進行すべし.逐進輪の受く可き重量は,凡そ三萬三千听とす.附屬炭水車は,八輪にして石炭壱噸半,用水千零五拾「ガロン」を容るべし.
又,機關車前面に「カウケッチヤ-」と唱る者あり.其形扇子を倒懸せる如くにして,突出す.牛馬之に觸るれば,刎ね飛ばされ壓殺するの憂少し.又,車上に一鐘あり.市街を通過するときは,常に之を鳴し,人を警戒し,危險を避けしむ.
各機關の公稱馬力は五十六にして,實馬力は凡そ一百八十なりと云ふ.目下使用する速力は一時間十二哩の低度にして,通例客車二輛及石炭積載の臺車十二輛乃至十五輛を牽く.

「テミヤ」に棧橋あり.海岸より東南に向ひ,海水二十一尺餘の深さまで突出する者にして,其總延長千四百四拾尺.幅は九百尺間二十尺.夫より橋端迄は,四拾尺,高さ海面より凡そ八尺にして,左側全幅の半に軌道を設け,廣き所に至り,岐て二線となり,以て列車の往復に便ならしむ.其製法は木製にして,距離拾五尺毎に,四個の徑九寸の杭を並べ,椽を其上に,角梁を横に載せ,更に角桁を装置し,二寸五分の板を張付す.軌鐵を敷くの下,即ち左側は,板一枚右側は二重にして貸物を置く等に供す.

【注意】前一篇(ポロナイ石炭)は,明治二十年十二月,幌内炭山在勤・北海道廳技師・間宮伊賀次郎の報告書に據る.

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*1:テミヤ:手宮(小樽市手宮)
*2:ポロナイ:幌内(三笠市幌内町)
*3:平低軌條:レールの種類.現在使われているものとおなじ形状.その断面は頭部よりも底部が広く安定しいている.
*4:「モーグル」形:日本では国鉄7100形と呼ばれる.小樽市総合博物館で展示されている.
*5:〓子運動:〓は「卩」に「卽」という文字.現在は使用されていない.「往復運動」のことと思われるが不詳.
 

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