2015年12月9日水曜日

「北海道鑛山畧記」:(七)砂鐵

 
(七)砂鐵
(ハコダテ 近郷及び「ユーラ」砂鐵)
休明光記に砂鐵に付左(下)の書記あり.

   ハコダテ蝦夷地ニテ取計方品奉伺候書附
 二月十二日            松平信濃守
                  石川左近將監
                  羽太庄右衛門
                  三橋藤右衛門

ハコダテ近郷トイ邊幷蝦夷地ユウラツプ等,鐵砂御座候塲所も有之.一年吹立仕候はヽ,蝦夷地幷「ハコダテ」にて日用に遣ひ候程は,鐵地金出來可仕候哉.其場所にても渡世に相成候義,其上「ハコタテ」町人共の内,右吹立の義品々,寄相願候者も可有御座.日用の品出來候はヽ土地調法にも可相成奉存候に付,取調彌用立候はヽ,吹立試爲仕候様仕度奉存候.先達て申立置候鐵砂の義,願人も御座候間,函舘付錢龜澤と申候處にて,吹立試仕候.煉鐵差越不申候得共,多分出來仕無程差出候義と奉存候.其外蝦夷地の鐵砂多き塲所も御座候に付,追て試候上申上候積に御座候.酉正月廿日,出雲守殿へ信濃守上の二月十二日伺の通取付御直に返上.(朱書)
砂鐵試に吹出候計,蝦夷松只今迄伐出し候高は伐出「ユーラプ」川材木當用は伐出山荒不申様心附.硫黄明礬の義は先無用可仕旨,其外伺の通被仰渡奉承知候.

(シノリ、ユノカフ砂鐵)
蝦夷實記に曰く,「シノリ」海邊に鐵あり.故に「ユノカワ」海邊,鐵砂多し.


●雑
 ●舊記
オコツナイ製鐵塲に就て,教師報文に載する所あり.砂鐵は時として海汀の細砂中に混在し,之か爲め數里間黒色を敷く如くなるものと雖も,此地の海汀に於ては,又更に此の如きの多量なる砂鐵を經看せず.然れとも「ハコダテ」の東方に方りたる半島の南岸,或は噴火港の西岸,又北島の西方「イソヤ」の側傍に於て多量ならずと雖も,間々此鑛物を經看したり.殊に「シオクビ」より「エサシ」の南岸及ひ「カックミ」川より北の方「ユーラ」まて噴火港の海濱に於ては最も多く經看せり.而して此砂鐵は多く,満潮のときと雖も波濤の爲めに奪はれざる地に集在なすが故に間々之を製する爲め製造塲の設築するものなり.而て,此鐵砂の全數は算計なし難しと雖も「ニタナイ」に近つくに従ひ必ず多量を存すべし.如何となれば此地は只海汀のみならず堤[土覇]の上敷,艸の下にも亦存すればなり.

ライマン著「北海道地質總論」に曰く,本島鐵砂の採集に堪る者は大半島の南東端及ひ噴火灣の南西海岸にある砂鐵層のみ.該層は「ユーラプ」より「オコツナイ」及ひ「ヤマコシナイ」を経て「オトシベ」に至る長さ約英十里(四里)廣さ平均二十碼(十間)厚さ恐らく五寸なるへし.而て純鑛平均百分の八十とすれは大釣鑛十二萬噸を得へく云云.
大半島の南東端より出る鐵砂は「チタニユム」を含むヿ少きか如し.故に鎔解し易し.然れとも其産額多からす.重に「コブイ」(エサン附近の地)シリキシナイ(「コブイ」の南約一里)及其半途の地にあり.而して其中央の層最も大にして,其鐵砂に富める部分に於ては七百立方碼の砂中に純鑛五百立方碼.即ち一千噸を合有するなるへし.
堅實せる鐵鑛脉は本島中何れの地にも發見なすと雖も,「コマガタケ」の東側海岸を距る一里にして海面を抜く一千百五十尺,即ち山の表面より深さ七尺半の所に一坑あり.厚さ一尺なる鐵砂の一層ありて他の火山石と累疊定層をなす.上部は軟鬆の浮石なり.但其廣濱は未た之を調査せす.

本島中,澤鐵鑛「リモナイト」を産する地多し.「イシカリ」の北岸川口より上流一里なる「オヤフル」又夫より上流一里の南岸「ウツナイ」及び「バンナグロ(「ウツナイ」より一里上流の南岸にあり)にあり又ヒラギシ村(「サッポロ」の南英三四里)に二ヶ所あり.其内「オヤフル」を最とす.中畧.

開拓使事業報告に曰く,膽振國ヤマコン郡「ユーラ」より「オトシベ」村に亘る海濱に磁石鐵あり.延長凡四里,廣十間,厚五寸.其積七千三百三十三立方坪云云.
開拓使事業報告に曰く,渡島國カヤベ郡シリキシナイ村支村コブイ海濱に磁石鐵あり.厚凡二尺より一寸に至る.積三十三立方坪.礦の總額四百噸.内二百九十噸の鐵を含有す.
開拓使事業報告に曰く,仝郡シリキシナイ村海岸に在り.長凡五十間,廣十二間半.其最厚は一尺三寸許.其積十三立方坪.礦總額百四十噸.純鐵一百噸を含む割合なり.

蝦夷國風俗人情沙汰中巻に曰く,緑礬「ハコダテ」にも澤山あり.又た「モリ」村,「イシザキ」村に銀山あり.
東蝦夷日誌に曰く,「シユツクシナイ」の奥「力子ラフ」川の水,鐵漿の如し.土人の話に水源に岩鐵あり.昔し最上某試掘せし所なりと云ふ.

蝦夷艸紙に曰く,鐵山「ハコダテ」在の「オーモリ」村,「イシザキ」村等にあり.その外,諸處に多し.

 

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