2018年11月25日日曜日

新井白石の地質学

 
 新井白石は江戸時代中期の旗本であり,学者であった.現代的な分類で「~~学」,「~~学」といってもあまり意味のないことになるが,その頃の代表的な知識人といっていいだろう.かれは1657(明暦三)年に生まれ,1725(享保十)年に亡くなった.
 白石はたくさんの業績を残しているが,それは置いて,地質学に関係あるところを抜き出してみる.かれは1720(享保五)年,その時代の蝦夷地に関する知識を網羅した「蝦夷志」をあらわした.蝦夷志は,蝦夷地とその住人に関する記述であるが,「序」,「蝦夷地図説」,「蝦夷」,「北蝦夷」,「東北諸夷」からなる.
 そこに,地質学に関係する記述が一つ.以下.蝦夷志の「蝦夷」より….

「夷中は金玉を宝とせず(山に金銀を産し、海に青琅玕〈青玉〉を出すも皆採らず)。」
(奥州デジタル文庫「蝦夷志」より)

 具体的な地名こそないものの,蝦夷地の「山に金銀を産」するという.また「海に青琅玕〈青玉〉を出す」が,蝦夷(アイヌ)は「金玉を宝とせず」という(縄文時代の遺跡からは装飾として用いた翡翠が産している).

 「青琅玕」とは「青色の硬玉(=翡翠)」のこと.「青玉」とはサファイアを意味することが多いが,この場合はやはり「硬玉翡翠」のことであろう.道内に硬玉翡翠の産地は知られていない.「日高翡翠」といわれているのは「硬玉翡翠=翡翠輝石」ではなく,「クロム透輝石」(=軟玉翡翠)である.しかもこれが知られるようになったのは20世紀になってからのこと.「海から青玉が出る」というのは,本州の糸魚川や大陸から交易で持ってきたものが,間違って伝えられたものであろう.

 蝦夷地(道内各地)から銀はともかく,金は豊富に産し,松前藩を中心に民間人が採掘していたはずであるが,新井白石は知らなかった様である,この頃は,まだまだ「蝦夷地」は未知の世界だったのである.


2 件のコメント:

内山幸二 さんのコメント...

新村 出に「琅玕記」という本があります。おもしろい本で何度か読みなおしました。ただし新村 徹の編集による"新編"(旺文社文庫)。原典は昭和5年刊行されたらしい。この本の序文に以下の解説があります・・・・"琅玕"とは、翡翠とともに硬玉(jadeite)に属し、いわゆる半宝石の一種であるとの通説があるが、漢土の古典では、緑玉また緑宝石などと呼ばれるもの(emeraldやaqua-marine)、つまり正宝石らしい・・・・。新井白石の時代の理解はどうだったのでしょうかね.
奥州デジタル文庫では,この琅玕の“玕”の字が印字されずに気がつきませんでした.続編も楽しみにしています.内山幸二

ボレアロプーさん さんのコメント...

寺島良安(1712?)「和漢三才図会」では,「玉石類」として「玉,珊瑚,琅玕,瑪瑙,宝石,玻璃,水精,火珠,碝石,硝子,瑠璃,雲母,白石英,紫石英,菩薩石」が一括されてますから,「正宝石」,「半宝石」という概念があったかどうか…
小野蘭山(1847)「本草綱目啓蒙」でも「玉類十四種」で「玉,白玉髄,青玉(璧玉,玉英,合玉石,附),青琅玕,珊瑚,瑪瑙,宝石,玻璃,水精(火珠,硬石,附),瑠璃,雲母,白石英,紫石英,菩薩石」となってますから,変わってないかと思います.
よくわかりませんので,機会があったら調べてみます.(^^;