2018年12月12日水曜日

三つの文化

 
 「新石器時代と“縄文”・“弥生”時代」で触れましたが,「“縄文”・“弥生”時代」に関する疑問.もっとスッキリさせてる本がありました.それは↓.

藤本(2009)

 この本の12頁に,下のような図があります.藤本さんは考古学者なので,層位学に逆らって「古い方を上に,新しい方を下に」描いています.「地層累重の法則」に従う地質屋としては非常に入力に苦しむ図ですが,ま,これは仕様がない((^^;).
 もう一つ.本文では(これまでに比べれば)非常に柔軟な思考をしているのですが,図にしてしまうとご覧のように枡目状の時代区分になってしまってますね.


藤本図

 これを,本文にあわせてイメージすると下のようになるかと思います.なお,時間軸を縦軸にすると,私には理解しにくくなるので横にしてみました.


メタ図

 これを見ると,「日本という天皇の国家」が幻想の上になり立つということがよくわかります.はっきり言って,戦乱の大陸・半島から流民・移民が,排他的とはいえない“縄文”人(水田文化の“弥生”人と自然の恵み重視の“縄文”人ではニッチが違う)の中に入りこみ,徐々に勢力を伸ばし“縄文”人を排除してゆく様子がよくわかります.
 縄文人の抵抗(=東北人と「日本国」との戦い)は網野(2008)の図(↓)が分かり易いですね.

網野(2008)


戦い

 そうはいっても,縄文人と弥生人とは明確に分けられるものではなく,アイヌと琉球人は比較的色濃く縄文人の血を残しているものの,北海道を含めた日本列島にいる“日本人”は,ほとんどみな縄文人と弥生人の混血なわけです.どちらかが濃い薄いはあるでしょうけど….

 最終的に列島を制覇した“弥生”人は,今度は昔追い出された大陸や半島へ向かって進軍を開始します.それが「大東亜戦争」だったのかもしれません.

 

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