札幌のIさんより「横山壮次郎は森有礼の甥で…」というヒントをいただきました.
●森家略系図
さっそく,犬塚孝明「森有礼」(吉川弘文館)を見てみます.巻末には「森家略系図」が載っています.ただし,これは“家族構成図”程度のもので「略」がついたとしても「系図」といえるほどのものではありません.森家五人兄弟の四男(森有礼は五男)に喜三次(横山家を嗣ぐ:横山安武・明治三年歿)とあります(「嗣ぐ」は「継ぐ」,「歿」は「没」のこと).
この横山安武が横山壮次郎の親なのでしょうか?
森と最初の妻との間には,三人の子があります.
最初の妻とは「広瀬常」のこと.ライマンが一目惚れした女性でした.
上二人が男で,三番目が女の子.「安」といいます.「安」にはカッコ書きで「横山家の養女となる」とあります.また,巻末の「略年譜」には,明治20年5月7日「長女安を横山安克の養女とする」とあります.「安」はまだ三歳に満たない幼児でした.しかし,本文には「安」のことは一切触れられていません.横山安克なる人物についても….
本文中に横山安武の死が「森の性格にある陰をおとすことになる」と書かれ,森の人生に大きな影響を与えたはずの兄・横山安武なのに,安武の養子先・横山家のこともほとんどでてきません.不思議なことです.
森の家庭は相当複雑だったことが想像されます.
●「秋霖譜」
この複雑な森家の謎に挑んだのが,森本貞子の「秋霖譜=森有礼とその妻=」(東京書籍)でした.ネタバレになるので,あまり詳しくはいえませんが….森の妻「常」の実家・広瀬家には広瀬姉妹のほかに子がいず,そのため迎えた養子が,後に大変な事件を起こしてしまいます.事件の詳細の発覚は森家にまで累を及ぼしかねません.「常」は離縁.その後「常」のことは森家のタブーとなります.
もちろん「秋霖譜」は小説ですので,すべて事実とするわけにはいきませんが,伝記にも家のことが詳しく書かれない森家の事情をある程度反映しているのだろうと思われます.なお,犬塚の「森有礼」では,常のスキャンダルが原因であることが匂わされています.
そして,末娘は横山家へもらわれてゆきます.
犬塚孝明(1986)「森有礼」では,なにがあったのかを知ることはできません.
巻末の参考文献にも,森家の事情がわかりそうな文献は引用されていません.
●横山安武
数年前,清水昭三という作家が「西郷と横山安武」という小説を上梓していることがわかりました.さっそく入手しましたが,まあ読み辛い本でした.
最近の本としては珍しく誤字脱字が目立ち,理解不能な特殊な日本語がある上に,文法的にも変な部分があります.人名がたくさんでてきますが,読者はそれらをすべて知っているという前提で書いているようです.話が一挙に跳んで前後関係がよくわかりません.その割には長い会話が続いたりもします.
どうも,あまり読者に理解してもらおうという気はないようです.
安武が結婚したという記述がないのに,突然子供が生まれてたりします.
しかし,横山安武の養子先のことなど,犬塚の「森有礼」よりも,かなり詳しく書いてあるので,何か元本があるのだと思われます.清水本の巻末にある参考資料のリストからすると,河野辰三「横山安武伝」(三州談義社)が怪しいのですが,これは国会図書館の蔵書にもありませんでした.
河野辰三には「追遠ー横山安武伝記並遺稿」(横山安武伝記並遺稿刊行会)というのがありますが,こちらはすでに絶版で,古書店でも入手困難なようです.
しょうがないので「西郷と横山安武」の本文に戻ります.
本文67頁:妻の名は「くま」.しかし,「くま」の出自は示されていません.養子先である「横山家」の身内であるのか,あるいはどこからか嫁取りしたものかもわかりません.
明治三年の四月,安武は妻と二人の子供と別れ,東京へ出ます.状況はさっぱりわかりませんが,安武はこのときすでに浪人.妻と二人の子はどうやって生計を立てていたのでしょうか.家族関係がわからないので,不思議なことだらけです.
別れのシーン.
「元千代(長男)は,安武に似た立派な少年になっていた.可愛い長男だった.壮次郎は,くまにからみついていた」(!).
「壮次郎」がいました.
この「壮次郎」は,あの「横山壮次郎」なのでしょうか!
期日を見ます.「明治三年四月」,安武の次男は赤ん坊でした.そして,札幌農学校に入学した横山壮次郎の誕生日は,明治二年七月三日…!
一歳に満たない赤ん坊が母親に「絡み付いていた」のはおかしいですが,可能性は大です.そして,まさしく「横山壮次郎は森有礼の甥」でした.
明治三年七月二十七日払暁,横山安武は津軽藩邸前にて腹を切ります.
切腹の理由は,閉塞した社会の状況にありました.今も昔も同じで,腐敗した政治家ばかりが我が世を謳歌していたことでした.
幕末明治を生き延びた薩長閥の小者たちが大名と入れ替わっただけの「維新」.彼らは,全国で打ち続く農民一揆を尻目に,主のいなくなった大名屋敷に勝手に入り込み,贅沢の限りを尽くしていました(首を切られてすむ所もないままに途方に暮れる派遣社員を尻目に,夜ごとホテルのバーで酒を飲む総理大臣もどこかにいましたね).
国の進路も決まらないまま,人を人とも思わないアイヌ政策や征韓論がまかり通る.時代の矛盾を書にしたためて,抗議の腹切りでした.
と,まあ「西郷と横山安武」では,そういう一途な横山安武を描きたかったらしいですが,背景も安武自身も描ききれていないせいもあって,よくわかりませんでした.妻とかわいい盛りの子供が二人もいて,愚かな政治家を諌めることだけのために死ぬことができるのでしょうか.
気になるのは,養女となった「安」の安否.
そして,横山壮次郎の成長過程.
もし,横山壮次郎が横山安武の次男ならば,親父は「征韓論」に腹を立てて自害し,息子は成長して植民地をつかさどる拓殖務省に勤務したことになります.これは歴史の皮肉なのでしょうか….
2 件のコメント:
私は鹿児島大学に6年間在学中、磯庭園等を管理している島津家子孫にお世話になった縁で、島津藩出身の森有礼と横山安武両家の家系図作りに協力しています。
間違いや誤解が一人歩きしない様、差し障りのない範囲内で一部を公表させて頂きます。
今全てを公表する事は出来ませんが、個人情報であるためご理解下さい。
内容につきましては、戸籍謄本、閉鎖戸籍、家系図、各藩御子孫のご協力等に基いていますので、ほぼ間違い無いと思います。
横山安武は薩摩藩士、森喜右衛門有恕の四男・森喜三次で横山安容の長女クマの婿養子となり、横山安武となった。
河野辰三は森壮次朗の実子で、祖母河野ヨシの養子となった。その結果彼は戸籍上、母親ハマの弟となってしまった、全く複雑!
家系図を作っても、時間が経つと混乱に陥ります。
横山壮次朗の妻はハマ(薩摩藩、河野通唯の娘)で、男子を三人産んでいます、クマは間違いです。妹のイソの長男は国産ジェット機を開発した種子島時休です。
ところで「クマ」は漢学者横山安容と向井新兵衛の娘・美屋の間に出来た長女である。森安武はこの横山クマの婿養子となり、横山安武となったのである。
向井新兵衛は島津家、篤姫の江戸城奥入に同行した総指揮官で御用人兼御側役である。
Max.
貴重な情報ありがとうございます.
相当複雑なので,あとでゆっくり検討させていただきます.
といっても,裏付けがとれるような立場にいないので,どこまで理解できるのか疑問ですが….
“間違いや誤解が一人歩き”の件ですが,素人ながら,歴史を調べてみると,そんなことだらけなのは,身に染みております.
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