以前,「蝦夷地質学外伝」で「大野土佐日記」のことを話題にしました.
そのときは,「北海道志」から引用したものを示し,その上で原文を見たいものだと書いておきました.
相当前になりますが,Googleのキャッシュ中に,某古書店の古いリストが残っており,そこに「大野土佐日記」を見つけたことがあります.しかしそのときはすでに,その「大野土佐日記」は売却されていました.
その「大野土佐日記」は,古文書解析講座のようなイベントでテキストとして使われたものらしく,正式な印刷物ではありません.ま,存在するならそのうち入手することもあるだろうと放ってありす.
このブログで,何度か石川貞治について紹介してきました.
石川貞治が「地学雑誌」に「北海道鑛産及鑛業に關する舊記」というの連載していることは前から知っていたのですが,最近,これをまとめてpdf.化しておこう,そのうち何かの役に立つだろうと思い立ち,実行しました.悲しいかな,当時の「地学雑誌」の活字は古くて,なかなか現代のPDF化ソフトでは正確に読み取ってくれません.
中途半端に放っておくのもなんだし,しょうがないので手打ちでOCRが読み取った文を訂正することにしました.そのうちに,この「…舊記」の中に,「大野土佐日記」が全文引用されていることに気づきました.
で,読んでみましたが,正直な話,まだよくわかりません((^^;).
これは読み続けることとして….理解が深まったら,また話題にすることとしましょう.
わかったことを二三.
まず,「北海道志」の記述とは一致しません.微妙にあるいは大きく異なります.前半は,(真)「大野土佐日記」を(当時の)現代文化したものと考えることは可能です.途中からは全く異なります.「蝦夷は凶暴,戦闘を好み」なんてことは書いてありません.
また,金山の発見は「元久二年 西暦1205年」になっています.
ほかにも,「北海道志」には引用されていないエピソードも二三ありました.
とりあえず.
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