2011年3月29日火曜日

小樽で

 
 日曜日(3/27)に,小樽市総合博物館で「石炭がもたらしたもの=炭山・鉄道・造山運動=」という題でお話しをしてきました.
 そのあと,室蘭まで,娘のアパートの引越しにいって昨晩遅く帰ってきたので,今日は朝からヨレヨレです.

 お話しの骨子は…,

 かつては“産炭王国”とよばれた北海道ですが,すでに「石炭」を見たこともない,触ったこともない大学生が普通にいる時代になりました.この子らの多くは,卒業すると学校の先生になるわけですが,理科の先生になろうと,歴史の先生になろうと,「石炭」はどんどん現実感のない「もの」にリサイクルされてゆくわけです.

 日本では,江戸時代の終わり頃になるまで,「石炭」に注目する人は,本草家や好事家を除けば,ほとんどいませんでした.それは,“石炭”の名称(呼び方)をしらべてみれば,すぐにわかります.

 そんなものが,なぜ重要物資になったのかといえば,江戸時代の終わり頃に「鎖国」を解いたからです(1859:安政六,箱館開港).当時は,外洋を航海する大型船は帆船から蒸気船に移り変わっていっている時代で,外国からは石炭の供給を求められていました.
 それに対応するために,箱館奉行は蝦夷地の海岸地域で産炭地を調査.クスリ場所の「白糠石炭窟」,イワナイの「茅ノ澗(茅沼)」で,産炭の試行錯誤を繰り返します.

 その流れの中で,欧米の鉱山技術・地質学をはじめとする最新の科学技術が蝦夷地に流れ込みます.

 やがて,旧幕臣グループ(榎本武揚を中心とする幕府留学生たち)やブレイク,パンペリー,ライマンらの米国鉱山学者・地質学者が育てた開拓使仮学校・地質測量生徒らが競い合って,石狩炭田を発見します.榎本は,明瞭に巨大な「石狩炭田」の存在を言い当てています.
 巨大な「炭田」には,巨大な資本が投下され,各地で「炭山」が成立します.石炭を運ぶネットワーク=鉄道網がつくられ,人びとが集まり,なにもなかった谷間に巨大な集落が発生します.
 18世紀後半から19世紀前半にヨーロッパでおきた「産業革命」のミニチュア版が東アジアの小さな島におこったわけです.

 こんな風に,19世紀後半から20世紀前半にかけては,地下資源の重要性が認知され,各地につくられた大学には,必ず「地質学鉱物学教室」がありました.それらは,石炭・石油のエネルギー資源だけではなく,金属鉱山などの開発にも一役も二役も買っていたわけです.この国の義務教育の教科には,長い間,博物学がありました.
 ところが,21世紀を迎える前に,各地の炭山は閉鎖され,金属鉱山もほとんどなくなってしまいました.

 これに併行して,大学から「地質学鉱物学教室」が姿を消し,高校では「地学」が選択科目となり,授業は,ほぼおこなわれなくなりました.
 こうして,現在では「石炭」を見たことも,触ったこともない若者がほとんどとなり,大人になっていったわけです.

 マスコミでは,「地球」とか,「環境」とかいう言葉が発せられない日は,まず無いですが,実際に,地球がもっている時間とか,地球を構成している「もの」を理解している人たちが,どれだけいるのだろうかと疑問に思う日が続きます.
 10年にいっぺんの地震・津波は,みんなよく覚えているので,この程度かと思っています.
 しかし,100年にいっぺんの地震・津波には「まさか」と思い,1000年にいっぺんの地震・津波には「夢にも思わなかった」というのが普通の感想です.

 しかし,地球の歴史は45~46億年といわれていますし,地球上に原始的な生態系ができてからも,すでに5億7000万年経っているのです.
 ヒトの体験した自然災害は,地球の歴史が,ときに体験した事件に比べれば,そのスケールとは,じつは比べものにならないくらい小さなものです.
 この時間の感覚,スケールの感覚は,地学の必修の必要性を要求しています.

 人類に歴史が長くなれば長くなるほど,どんな事件に遭遇するかわからない.たまたまそういう事件に遭遇した生物たちは,すでに,化石としてしか見ることができません.
 この時間の感覚,スケールの感覚は,地学の必修の必要性を要求しています.

 地球上で起きる自然現象は,時として,我々にとっては壊滅的な破壊を与える事件になり得ます.
 高校で地学を教えなくなったから,石炭を知らない大人が増えています.
 津波警報が出ても避難する人は一割以下という統計がでているそうです.それは,地学を教えなくなったからだ,とは言い切れないでしょうけど,関係がないとはいえないでしょう.

 我々が立つ,この大地のことを知るための学問をぜひ復活させてほしいものだと….
 

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