2018年12月7日金曜日

徳内の愛妻2 ふでと徳内の子ら


 蝦夷地質学でも紹介したが,もう一冊,徳内の伝記がある.それは皆川新作(1943)「最上徳内」である.この本はすでに希少本と化し古書店でも容易に入手はできない.やっと入手した古書はすでにボロボロであった.
 その本から,徳内の妻・ふでと家族の姿を追ってみよう.

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妻「ふで」(1770~1840)
 1770(明和七),島谷「ふで」生まれる.
「嶋屋清吉(尚名又之丞)妹「おひて」もとより淫行にて嫁して不縁せり、十四時一女をもふく。先夫も後死せり。嶋屋より勘當せられたり。徳内と通し群少年(〇北行日録悪少年)の世話にて徳内秀子も嶋屋と和して嶋屋の向ふ店へ、かまとを立、野邊地の人別に入」(皆川,1943p.74

 「おひて」は「おひで」であり「ひで」である.「秀子」も同じ.上記は「征北窺管」からの引用文.「征北窺管」の著者は「濁点」を使用してない.また,本来は「ひで」と名づけられていても,上に「お」をつけて呼ぶことはふつうにあったようだ.下に「子」を付けるのも同じ.「ふで」の幼少時の名前は「ひで」だったらしい.島谷(1977)の「徳内家系図」にも「秀子」とある.
 皆川は「「ひで」は「ふで」の誤り」と書いているが,のちの徳内の娘たちは,なにか(とくに離婚・死別などの事件)あるたびに改名しているようだ.したがって,最初の名前が「ひで」で,恋愛の末に結ばれた先夫が死亡し,徳内と再婚するときに「ふで」と改名していたとしても不思議はない.

 島谷清吉の妹・「おひで」は,もともと淫行して嫁いだが縁がなかった.14歳の時に女の子を産んだ.それは「さん」,後の「ふみ」である.先夫はその後死亡.そして島谷からは勘当されていた.「群少年(=悪少年)」というのはなんだか不明であるが,彼らが仲介して「おひで」は勘当を解かれ,徳内と「おひで」は島谷の向かいの店に家庭を築き,野辺地の人別に入った.なお,野辺地時代の徳内は「俊治」を名乗っている.たぶん,このころ「ひで」は「ふで」に改名したのだろう.
 この時代の「淫行」がなにを意味するのかはわからないが,現代とはまったく意味が異なるだろう.十四歳で子どもを産むというのは,この時代ではふつうである.だから,それではない.しかし,島谷から勘当されていたというから,島谷当主・清吉の意に沿わない結婚だったことが推測できる.蝦夷地探検で有名な徳内を射止めたから勘当を解かれたのだろうか.

 たくましく想像を働かせば,「ふで」は激しく情熱的な女性だったのだろう.それは,のちに「徳内死す」の噂が伝わってきたときに,野辺地の島屋にいれば安定した生活をつづけることができたであろうに,生まれたばかりの長男を連れて江戸へと出奔したことでも想像が付く.しかし,記録は冷たく,彼女の産んだ子どもについて,しかも徳内家の嗣子関連のことしか残されていない.

  1783(天明三)年,先夫の子「さん」のちの「ふみ」を生んだ.
  1788(天明八)年に十九歳で徳内の長男を産んだ.
  1797(寛政九)年,徳内の長女「もじ」を産んだ.
  1803(享和三)年,徳内の次男「效之進」を産んだ.
   その後,次女「かく」を生むが,彼女の生年は不明である.

 ふでは,徳内を送った四年後,1840(天保十一)年六月廿八日徳内のあとを追った.享年七十一歳.戒名は「本譽浄誓信女」.次女「かく」を除く男児二人,女児二人は先に亡くなっていた.

 つづく…


5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

非常に興味深いです。
徳内の妻ともなれば、並大抵の女性では務まらなかったでしょうね。
男性顔負けの頭脳と勉学心が不良扱いされていたのかも知れませんね。

ボレアロプーさん さんのコメント...

お目にとまりまして光栄です.
興味深い女性なのですが,ほとんど情報がありません.連続ドラマネタにいいかと思います.

匿名 さんのコメント...

当方、出羽国在住です。
徳内先生の居場所もわからぬまま野辺地から江戸まで歩いて慕って行った、との言われもありますが
事実であれば、相当芯の強い女性であったでしょうねえ。
感動です。





ボレアロプーさん さんのコメント...

わたしとしては地質学史のつもりですので,徳内の地質学がわかればいいのですが,調べるうちに,徳内の愛妻に興味を抱いてこういう文書を書いてしまいました.
興味を持っていただいて光栄です.

匿名 さんのコメント...

先日幸運にも人物叢書「最上徳内」を購入する機会があり、読み進めて行くなかで巻末年表の「二九 一女ふみ生る」の一文がどうしても解せず、幾度本文を読み直しても解明しなかった疑問が晴れました。ありがとうございます。
主人への敬慕を備えた良家の才女といったふで像でしたが、徳内との結婚前にこういった事実があったとするなら結婚後の彼女の強く、たくましい行動の動機が更に理解できる気がします。