2019年3月14日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(03)


石川・横山(1894),石川(1896),石川(1897

石川貞治・横山壮次郎(1894)北海道庁地質調査 鉱物調査報文.
石川貞治(1896)北海道庁地質調査 鉱物調査第二報文.
石川貞治(1897)北海道鉱産及鉱業に関する舊記.

注)石川(1896)は,石川・横山(1896)とされている場合もある.第一報文(「第一報文」という記述は無い)には両編者が併記されているが,第二報文には「石川貞治編」とのみある.
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石川(1896)より


 石川・横山(1894)は,札幌農学校卒業生の石川貞治および横山壮次郎による「鉱物調査報文」である.その「第一 緒言」中の「北海道の鉱業沿革」に,それまでの地質調査史が簡略に述べられている.以下.

北海道の鉱業沿革
 北海道の鉱業は由来する所久しと雖ども今其詳かなるを知るべからす。
 元文元年、幕府、金座・後藤庄三郎を宗谷に遣はして、砂金を探討せしめ、又屢々吏員を派して諸鉱山を踏撿試掘せしむ。
 安政二年、函館奉行・竹内保徳、諸術教授役・武田成章に命して、亀田郡古武井海浜の砂鉄を検査し、洋式熔鑛爐を築きて製煉せしむ。中途にして廃止す。
 文久元年、幕府、地質学者米人「ブレーキ」「ポンペリー」二人を雇ひて、本道の地質及び鉱物を調査せしむ。戦乱に遭ひて果さす。此時、両氏始めて鉱業上最も必要なる火藥を以て岩石を破砕する法及び混汞法を以て金銀を分解する法を伝ふ。
 明治四年、米人「アンチセル」をして諸鑛山を巡視せしめ、翌年、開拓史四等出仕・榎本武揚、七等出仕・北垣国道をして諸鉱山を巡視せしむ。
 明治六年、全道地質鉱物調査の議起り、雇米人「ベンヂヤミン、スミス、ライマン」を主任として調査事業を創めしめ、三年を歴て畧完了す。此調査は全道の地質を分類し、有用鑛物の所在を探り、殊に意を煤田に注き、現今盛んに行業する幌内炭山の如き、實に「ライマン」の測定せる所なり。
 同十二年、雇鑛山士・米人「ゴージョー」を鑛山監督に任し、幌内炭山の開坑及び茅沼炭山の改良に従事せしむ。
 同十九年、北海道廳を設置せらるゝに及び、地質鑛山調査の業を起し、更に精密の方法を以て鑛産を探究せんとし、山内徳三郎を主任とし、理學士・河野鯱雄、工學士・大島六郎、桑田知明、阪市太郎、工學士・大日方一輔、工學士・米倉清族、前田精明、加藤清、西山正吾等之れに従事す。
 明治二十一年に至り新地質調査事業起る。其事蹟は本文に詳述するか如し。
(注:カタカナをひらがな化.句読点付加.読みやすいように改行など付加)

 また,石川(1896)の附録には「北海道鑛産及鍍業ニ關スル舊記摘録」があり,北海道庁所蔵の旧記録から明治維新前までの北海道における鉱産及び鉱業についての記述をまとめたもの.
 石川は多羅尾編「北海道鉱山略記」よりは詳細を期したが,多羅尾編には出ているにもかかわらず,その原本が見出されなかったものもあり,多羅尾編も参考にすべきであるとしている.

 石川(1897)は,これらの記録を再度編集し「北海道鉱産及鉱業に関する舊記」として連載している.

 

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