2019年3月19日火曜日

北海道地質学史に関する文献集(04)

 
神保小虎(1905)本邦に於ける地質學の歴史.
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 東京大学鉱物学教室・初代教授の神保小虎による地質学史概観.
 時代の所為かそれとも東大教授の所為か,はたまた神保の個性か,記述がまるでクイズか迷路のようではあるが,重要なことがいくつか記してある(以下は,わたくし個人の翻訳による).

=はじめに(と受けとれるところより)=
 この論文が公表された当時(明治38年)は,日本に地質学が導入されてから30年しか経っていないが,その研究の進歩は著しいものであるとしている(この記述からは,神保はライマン以前は“地質学”とは認めていない.ここは「地質学」を「現代地質学」に改め,それ以前の日本古典地質学も地質学に含めるべきと考える).

 現在(明治38年当時),地質学には「アメリカ派(ライマンに始まり,当時は山内徳三郎を代表とする)」「ドイツ派(ナウマンに始まり原田豊吉に引き継がれ,当時は帝大諸研究者がいた)」および「和流実用派(古くから日本にある本草家を引き継いだ白野夏雲が代表.しかしこの先駆者の歴史は不詳である)」があるとする(以後,“和流実用派”は絶滅し,大学教育・研究に於ける主流はドイツ派となる.しかし,アメリカ派は鉱山,特に北海道炭田地帯で生き延び,北海道帝国大学に地質学鉱物学教室が開かれたときに復活する).

 既に発表された研究を知らずに,最初の研究成果の如く発表されることがある.これは,研究史が粗略に扱われていて,過去の研究が判らなくなっているからである.そこで,多くの諸先輩から聞き取ったことを粗略ながらも記述し,図書館などで地質学関係書籍を整理しておくことが必要である.そこで,過去の研究について資料の概略を示しておく.

 ということで,以下,神保は十項目に分け,資料のまとめをしている.

 神保のライマン批判は1890(明治23)年である.この報告が出る15年前のことであるが,歴史を述べる場合にはライマンの業績を無視することはできなかったらしく,最後に「我國の探検は初めは幕府及び開拓使のアメリカ人に因りて基を開かれ、後ドイツ流にて中央政府の地質調査所起り、之に倣て北海道廳の地質畧察始まり、一方にはドイツ風を輸入せる東京大學の地質學科ありて、比學ますま益進歩して本邦地質に關する知識今日の状態に達したる者なり」とまとめている.


 

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