2015年9月2日水曜日

「北海道鑛山畧記」:(四)石油

 
(四)石油(略)
 

2015年7月12日日曜日

「北海道鑛山畧記」:(三)石炭の「雑」

●雑
 ●舊記
ライマン著北海道地質總論*1

石狩平原中,少なくも厚さ三尺有餘の良質炭層拾箇あり.速に開取すへきものとす云々.

石炭の性質は一千八百七十四年,我地質測量の爲めに「マンロー」氏之を分析試験し,報文一冊既に刊行す.請ふ,就て炭質の良否を判決すへし(以下,各煤田の概説あれとも省く).

我煤田實測に據て作れる地質及地理的圖,數葉あり.此圖に據れは,其測量區域内,開取に堪る各炭層の其平準に於る廣狭を測度するを得へし.

開拓使事業報告に曰く,明治八年十二月,膽振國アプタ郡ベムベ村*2,海岸を距る三里許の所,凡方一里内に斷續露出の木炭*3を發見す.依て之を紙幣寮雇米人「アンチセル」に鑑定せしむ.其報左(下)の如し.
木炭は褐色上質にして,焼燼すれは紅褐色灰三割二分(三分の一に近し)を存す.鑛坑より掘出したるものは多量の濕氣を含み燃方宜からす.故に數日を經て之を用ひは少しは有用物となるへし.

北海道地質總論に曰く,繊緯ある木炭の重立たる層は「イソヤ」と「 クマドマリ」の間なる「ケムシドマリ」*4(一時開抗せり)と「ハコダテ」港を隔てたる「卜ミカワ」*5とにあり.
「ケムシドマリ」の層は,僅に一尺五寸の厚さなれは開取するも益なく,殊に純粹のものにあらす.
「トミカワ」の層は,尚夫より薄く,凡一尺なるへきを以て,全く開取するに足らす.
「トカチ」川口より上少距離の所にも,僅少にして開取に足らさる者あり.
其他「ワシノキ」近傍「トリサキ」*6の石層中に僅少なる木炭の痕跡あり.其片塊は(恐らく碎片となりて沈積層中に濕せし者ならん.
「シリベッ」の下流、フルビラ及ムロラン近傍に於て之を發見せしと雖とも,今日迄檢査せる所の層は皆薄小に〆,後來開取するの厚層を發見すへき望を起さしむる者に非す.

北海道地質總論に曰く,既に發見せし泥炭の最厚層はコブイ*7近傍の「オツキ」*8川口なる鐵砂場接近し,其厚さ八尺有餘なり.
其他イクシエムベツ、ホロムイ及ひ「トヨヒラ」の下流なる沈積層の河岸及ひ河床,三尺以上の者あり.蓋し如此厚さあるも其質不純粹なるか故に現今之を開取するに足らすとす.
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*1:ライマン著「北海道地質總論」:ライマンがまとめた北海道の地質の概略.開拓使刊.英語版と日本語版がある.そのうちに,現代語訳して,英語版と比較してみたい.
*2:膽振國アプタ郡ベムベ村:弁辺村(現在の豊浦町).
*3:木炭:不詳.豊浦の内陸部には「美和層」(豊浦図幅,留寿都図幅および狩太図幅)があり,亜炭を含むことが知られている.この亜炭のことかもしれない.
*4:「イソヤ」と「 クマドマリ」の間なる「ケムシドマリ」:不詳.「イソヤ」は磯谷川河口(中流に,かつて熊泊硫黄山と呼ばれる鉱山があった),「クマドマリ」は熊泊(かつて函館市臼尻のとなりにあった村;現在地名は失われている)と思われる(現在でも熊泊山という地名が残っているため,現在の常路川一帯が「クマドマリ」であったのだろう).したがって,「ケムシドマリ」とは黒羽尻川河口のあたりか.
*5:「卜ミカワ」:北斗市富川.
*6:「ワシノキ」近傍「トリサキ」:茅部郡森町鷲ノ木および同鳥崎町.
*7:コブイ:古武井.
*8:「オツキ」:不詳.

  

2015年7月1日水曜日

「北海道鑛山畧記」:(三)石炭の「舊記」

 
●舊記
(ソラチ石炭)
東蝦夷日誌に曰く,「ソラチブト」より登り「ヲホングツフ」*1「シユフヲマナイ」*1等を越へ,「ナエー」*1を過きて「バンケホロナイ」*1に至る.此の間石□*2露出多し.
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*1:いずれもアイヌ語地名は失われている.但し,赤平市街地へ南から流れる「ハクシュオモナイ川」があり,これが「シユフヲマナイ」と関連しているかと思われる.
*2:□:空白.「炭」の字が欠けていると思われる.


(シビチャリ川*1石炭)
開拓使事業報告に曰く,明治六年八月,石橋大主典*2等復命略左の如し.
日高國「シツナイ」郡シビチャリ川上に石炭二脉あり.一は西北の□*3.層厚六尺,幅三尺二寸.一は正北より正南に亘る□*3.層厚五尺,幅五尺二寸.其分析左(下)の如し.

(表140)

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*1:シビチャリ川:シベチャリ川(静内川)
*2:石橋俊勝:不詳.北大図書には石橋俊勝の肖像写真がある.また,十勝川から佐幌岳を通って空知川までの測量図が残されており,「三角術測量北海道之図」(1875(明治8)年発行)の当該部分のデータは石橋ほか三名の測量と思われる.これらから,石橋らは測量作業が中心であり,鉱山踏査はサブであったことが推測される.(「北海道鑛山畧記」:(一)鉱業略沿革より)参照.
*3:□:「金」偏に「比」とある.不詳.「𨫤」の略字として扱われていたのかもしれない.


(クヲナイ褐炭)
開拓使事業報告に曰く,天鹽國テシオ郡テシオ川上字クヲナイ*1に褐色石炭の脉あり.層厚一尺乃至二尺云云.
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*1:天鹽國テシオ郡テシオ川上字クヲナイ:天塩川川上には「褐炭がある」ことは知られているが,この記述では場所が特定できない.


(シラヌカ石炭)
開拓使事業報告に曰く*1
『シラヌカ』舊石炭坑は,上古の石炭を含む岩石と變し,坑の前邊灰色シェールの近代に成る岩層の一端あり.坑上灰色砂石は,此岩層に連續する如きなれとも,坑近傍の岩石は,其質甚堅硬にして数多の黒斑あり.
往年開採の跡を見るに,岡麓に一の坑質あり.坑口,土石崩落匍匐して入るに,凡八碼許にして,土石充塞し進むへからす.又,其側面は板張にて岩層を見す.層厚さ半尺より四五尺と云ふ.坑外堆積中良質と見ゆる拳大の岩塊あれとも,概子破砕して多く「スレート」を混す.炭質良なるか如しと雖も開採に堪へさるへし.

東蝦夷日誌に曰く
『シラヌカ』石炭を掘出す.其稼方九洲邊の掘方と異なるヿなし.
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*1:開拓使事業報告に曰く:「開拓使事業報告」に見あたらず.


(オソツナイ石炭)
開拓使事業報告に曰く「オソツナイ*1」舊煤坑は「クシロ」を距る凡一里半海岸にあり.
明治四年九月,工部省にて開坑し,翌年五月に至て廢す.抗内土崩れて入り難し.坑外に在る炭塊を見るに堅良なるか如し.其中,骨狀のものあり聞く.此の炭層は二脈にして脈厚さ一尺.下脈二尺.黒色「スレート」の一尺許なるもの其間に挟めり.
又,上脈の上に黒色「スレート」一尺あり.其上に灰色軟舍兒*2ありと.「スレート」の層の依て計算すれは,炭層五尺なるか如しと雖とも,露出する所,唯三尺のみ.此抗「アッケシ」地方第一の石炭にして,坑は炭層と共に北西へ二十度の傾斜に下るか故に,二三碼を距る峭石の露面に依て自然に瀦水*3を排除すへし.此海岸に沿て露出炭坑の外,尚ほ一二の炭層あり.其中開採すへき石炭は,總て厚さ四尺三寸五分あり.夫より東北に三碼の所に同様の岩石あり.但其傾斜反對す.其岩層の露面上より下を量る左(下)の如し.

(表142)

合五尺六寸にして石炭三尺三寸あり.前の「オソッナイ」を合し,平均石炭三尺八寸五分を得へき割合なり.上層石炭は光澤ありて堅く,甚良質の如し.然れとも其平均の厚と變異と及ひ近傍良港なく運輸の便を缺くを以て觀れは,唯開採し得へしと謂ふのみ.
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*1:オソツナイ:「獺津内」.現・釧路市益浦あたりの旧地名.
*2:舍兒:不詳.
*3:瀦水:たまり水.

 

2015年6月13日土曜日

「北海道鑛山畧記」:(三)石炭の「イクシュンベッ石炭」

●イクシュンベッ石炭

(地名)
石狩國ソラチ郡ポロナイ村字イクシュンベッ*1
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*1:石狩國ソラチ郡ポロナイ村字イクシュンベッ:現在の三笠市.郁春別,幾春別などの字が当てられた.


(鑛山實況)
明治十三年中,始めて「イクシュンベッ」河岸に於て發見し,仝年中,島田*1山際*2両技手,概測をなす.十四年中,米人鑛山學士「ポッタァ」氏*3之を巡見し,次て山内*4技師,稍精細なる調査をなせり.
又,仝十九年,大島*5桑田*6の両技師,實測を施せり.而して,此諸氏の報告によれば,其質稍々「ポロナイ」炭に優り,其量は海面上大約三百八拾万噸餘ありと.仝二十年,官に於て鐵道を布設し,大に事業を興さんとす.然るに二十一年に至り,事故ありて,悉く北海道士族村田堤*7へ借區開坑を許可す.爾來,仝人に於て事業を繼續し,盛に掘採せり.
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*1:島田:島田純一.
*2:山際:山際永吾.
*3:「ポッタァ」氏:Fredrick Antony Potter;英国人鉱山土木師.
*4:山内:山内徳三郎.
*5:大島:不詳.明治14年の工部省・鉱山局には御用掛准奏任として大島高任が在籍していたので可能性はあるが,「技師」扱いではないと思う.島田(島田純一)の誤記かもしれない.
*6:桑田:桑田知明.
*7:村田堤:士族,薩摩閥.
 

2015年6月11日木曜日

「北海道鑛山畧記」:(三)石炭の「ハルトリ石炭」

●ハルトリ石炭

(地名)
釧路國クスリ郡クシロ村字ハルトリ*1
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*1:釧路國クスリ郡クシロ村字ハルトリ:春採(現:釧路市春採)


(發見の原由)
炭脈は「クシロ」近傍に連亘し,所々に露出するを以て,敢て指點すへき發見者あるを聞かすと雖とも,明治十九年中,大坂府平民・山田朔郎は「アトサノボリ」硫黄山*1事業追々擴張し,諸器械に石炭の尤も必要なるを感じ,探掘運搬共便利なる箇所に着手せんと欲し,所々を探索し,終に今の「ハルトリ」山を選定して,郡衙に出願し,試掘に着手せんとするの際,硫黄山事業は擧て安田善之助へ譲渡したるを以て,該炭も亦,善之助に於て引受けたり.
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*1:「アトサノボリ」硫黄山:アトサヌプリ硫黄山(現:川上郡弟子屈町アトサヌプリ;一時は「跡佐登」と表記).


(借區坪數及人名)
該坑の借區は栃木縣宇都宮寺町一番地,安田善之助*1を以て始めとす.即ち實測面積・三拾五萬八千八百九拾四坪の借區を,本年二月中北海道廳へ請願し,該坪數の假借區券下付せられ,以來善之助に於て坑業をなせり.
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*1:安田善之助:安田財閥二代目.


(採掘方法並に沿革)
採掘は鶴嘴を使用し,他器を用ひしヿなし.
礦質は試掘の時に比較すれは漸良質となる.
坑道は山の中腹に作りしを以て,其長延となるに從ひ水量を増加し,自然排水に力を要するに至りたり.
坑道中は二個の笊(一個七貫五百 位入)を擔ひ運搬せり.坑夫は男子のみにして女子を使用したる事なし.
試掘中は平均一日拾名にして,本年三月後は平均拾五名使用せり.坑夫の賃錢は一日一人四拾錢にして,一噸採掘の工程割合は左(下)の如し.
 一探掘 一人
 一運搬 一人 (一噸に付)
 一枠夫 一人 (枠とは留木のヿ)


(産出量)
本年始より七月卅一日迄の採掘高は七百廿噸九分六厘なり.


(製品代價其販賣地名及運送費高)
此迄採掘の石炭は,唯自家の滊車滊船並に硫黄製錬に供し,他え販賣したるヿなし.字モシリヤ*1迄,礦物十壱貫目を叺詰となし,馬脊に依りて運搬せは,本年始より七月迄,其支拂せし費用を産出の噸数に割賦すれば左(下)の如し.
 金七拾八錢六厘 一噸に付運搬費(荷造費共)
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*1:字モシリヤ:不詳.釧路には「モシリヤ砦跡」という文化財があるので,その付近まで運んだということかもしれない.


(職工坑夫の賃錢及其使役高)
本年三月以來七月迄,坑道内に使役せし人夫,貳千貳百五拾人にして,一日一人の賃錢は四拾錢なり.


(坑夫ノ工程)
坑夫の使用する器具は鶴嘴・厂爪にして,一日三人にて一噸を坑外へ出す割合なり.


(抗夫生計ノ度幷ニ食料其他給與方法等)
坑夫の起臥する家屋は,板屋と草屋の二様なり.炭山に住する爲め,殊に發病したる者あるを見ざるなり.食物は「クシロ」市街に接近せるを以て,魚菜に乏しからず.普通稼ぎ人の食物に異なるなし.
坑夫の需用品は市街に出て自辨せり.
坑夫一年間の働賃を平均すれば,百貳拾圓内外に當る.其内食料及ひ物品講入に五六拾圓内外を費すべし.


(役員幷に坑夫技手等の總数幷増減沿革)
役員は一名他業と兼務せり.技手は別段置かずして,坑夫擔當人一名,坑夫三拾壹名使役せり.


●舊記
開拓使事業報告に曰く,「クシロ」海濱を距る一里餘,字「カラトリ」(ハルトリならん)と稱する新炭坑あり.露出石面上より下へ量るに,淡褐色にして砂石の露面凡五尺.石炭(只表面の石炭にして價少し),一尺九寸五分.「スレート」及骨状石炭,二尺二寸五分.暗色シェール,凡五分.合四尺二寸五分.斯の如き石炭,素より開採するに足らす.又,小澗の邊に開鑿せる一炭層あり.恐らく同一層脈ならん.其露面上より下へ量るに,灰色砂石,凡一尺.石炭,一尺八寸五分.灰色砂石,十尺.合十二尺八寸五分.是亦開採に足らす.

 

2015年6月8日月曜日

トラブル発生中.

 
常用していた,MacJournalとこのブログとの同期がとれなくなってきたので,更新しづらくなってます.
しばらく手動ですることにします…(- -;
アプリに不都合が生じたのか,Googleの方で仕様が変わったのか.不明.


MacJournalの新版(Act2は日本語化は放棄したらしい.いつのまにかサポートしてない(--;)がアプリストアから出てますが,日本語版でてないし.素直に動いてくれればいいけど,トラブルがあった場合は,外国語版ではどうにもならない.
フォトショップで経験済み.

最近のMacの中は,いろんなメーカ(アップルも含めて)のアプリが勝手に動いていて,それらが勝手にアップデートするたびに,なにか不都合が生じますね.
元に戻すことも不可能となっています.

最新のOSでは,スキャナもプリンタも使えないし.
便利は不便.(--;
 

2015年6月4日木曜日

「北海道鑛山畧記」:(三)石炭の「オキナイ石炭」

●オキナイ石炭

(地名)
天鹽國ルヽモペ郡サントマリ村*1ヲビラシベッ川上*2オキナイ*3
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*1:サントマリ村:三泊村(留萌郡三泊村:留萌村と合併して消滅.一部は小平蘂村(現:小平町)として独立.)
*2:ヲビラシベッ川:小平蘂川.
*3:オキナイ:沖内(現在の留萌郡小平町沖内)


(鑛山實況)
「ヲビラシベッ」を遡るヿ七里餘にして,字「カムイハッタリ」*1に炭層有り.發見人詳ならず.
維新前,マシケ商人・八川喜七なる者試掘し,中途にて廢坑.
維新後,山口縣人某,試掘するも是亦廢坑し,其後「オタル」の人・大竹作右衛門,炭質良好の由を聞き,明治十六年七月中,同所へ出張し,拾名にて河舟二艘を仕立て「ヲビラシベッ」を遡り,三日目に漸く「カムイハッタリ」へ着し,實験せしに,炭層數ヶ所露出し,炭質も亦善しく見へたるに付,立戻り再ひ炭礦に馴れたる者を雇ひ,仝年八月中出張し,再び「カムイハッタリ」え出張し,三日間仝所に滞在し,取調たるに,炭質は宜けれとも多くは断層にて見込無く,大に落膽し,歸路川筋の兩岸に所々露出有り.數層の内,尚緻蜜の調査を遂けなば,必す良層有る見込にて,右近傍七日間調査したるに,小層は所々あれとも其幅薄く,翌十七年六月,復仝所へ出張し,先きの人夫を雇ひ,十三日間所々を探討せしに,「ヲピラシベッ」の支流「ヲキナイ」川上にて(海岸を去る六里程)漸く良礦を發見せしに付,仝年八月中試掘を出願し,仝十八年一月十三日を以て工部卿より許可になれり.
仝年六月より川筋幷に道路普請等に着手し,最初の見込と違ひ炭質柔軟,且降雪に會ひ引上けたり.
翌十九年三月中,試掘延期出願す.七月中,川上を数日間探索せしに,漸く當時の炭層に當り,仝年十二月,借區壹万坪を願ひ,仝二十年二月廿五日,許可を得たり.
仝年,雪消の後,道廳鑛山係より地質調査として同山え出張し,調査済の上,同年九月より着手せしに,河筋道路破損幷に坑内水害等,非常の困難を來し,其上降雪に際し巳を得ず同年十二月中より休業,二十一年五月より着手.
先づ川筋大破の道路普請に取掛り,未た實地坑業に着手せず.
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*1:「カムイハッタリ」:kamuy-hattari(魔神/神の淵).現在の「おびらしべ湖」から見える天狗山の麓にある「天狗の滝」あたりを云うらしい.天狗山の西麓には「小平夾炭層」が分布する.


●舊記
開拓使事業報告に曰く,天盬國マシケ郡ショカベッ*1ルヽモペ郡「ユフトロップ」,「ノホリケシヨマ」*2等,炭脉あれとも質甚た不良にして,且運輸便ならす.開採するに足らす.
ルヽモペ郡「オヘラシベツ」*3の脉は堅東南東に登り,三十度の斜勢あり.層厚さ一丈二尺,幅七尺.分析左(下)の如し.

(表135)
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*1:天盬國マシケ郡ショカベッ:暑寒別(現:増毛町暑寒別)
*2:ルヽモペ郡「ユフトロップ」,「ノホリケシヨマ」:ルヽモペ郡は留萌郡であるが,「ユフトロップ」,「ノホリケシヨマ」は不詳.
*3:ルヽモペ郡「オヘラシベツ」:「小平蘂」と思われるが,同じ章で語句表現が異なるのは不明.