2008年9月27日土曜日

「大千軒岳とキリシタン」より

橋本誠二著「あの頃の山登り」の中に,「蝦夷地質学・外伝」に若干関係ある記述があったので,紹介します. 「大千軒岳とキリシタン」より  本文を引用すると長くなるので,抄訳.  橋本氏は,大千軒岳金山の存在に,疑問を持っているようです.  その理由は,次のようなものです.  第一に記録に残っている砂金の大きさから,それは古生層中の石英脈に産を発していると推定しています.そうすると,砂鉱床の起源は第三系の基底=不整合面に濃集したものと考えることができます.これは,砂金が産出したといわれている地域が大千軒岳の山体の高高度の地域にあることと整合的です.  次に,金山の発掘の様子を記録したキリシタン神父の記述からは,段丘堆積物ではなく,現河床堆積物を掘っていたらしいので,金鉱床が地表に現れてからさほど時間が経っていないと推測できます.  そうすると,巨大な金鉱床というのは考え難く,記録にある程の大人数で長期間掘ったというのは,おかしいということになります.  橋本氏は,当時の地質調査所のS博士の談を引用しています. 「まったく訳の判らぬ金山ですね.大体明治以降一粒の砂金も出ないのもいっそう不思議です」 (これは,正確ではなく,明治八年のH. S. モンローによる「北海道金田地方報文」によれば,「一粒の砂金」もでなかったのではなく,砂金は出るが,起業出来るほどではないという報告でした.)  橋本氏は,この矛盾を説明するには,金は日高静内からもってきたもので,大千軒岳麓に住んでいたキリシタンたちは,海外との密貿易要員だったのではなかったのかと推理しています.  江戸幕府のキリシタン弾圧の強化に耐えきれなくなった松前藩は,キリシタンの粛正に走り,106名を惨殺しました.が,おかしなことに,千軒もの小屋と五万人以上もいたというキリシタンのその後がどうなったのか,全く判りません.  大金山は元々虚構だったのだと考えると,腑に落ちるという訳です.  一考の余地はありそうです.  

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