2009年2月13日金曜日
原・地質学=ひとりあるき=
山師の知識(=日本における原・地質学の実態)は興味あるところでしたが,なかなか姿が見えてきませんでした.
このほど,別のことを探索中にひとつの重要な事項が見えてきたので,それを紹介したいと思います.
まずは,佐渡市教育委員会「金と銀の島,佐渡」HPの「佐渡の金銀山」>「地質」>「近世の地質鉱床の知識」から(ダイレクトリンクができないので,面倒ですが上記のようににたどってください).
そこには,「ひとりあるき」が引用されています.
「ひとりあるき※」(佐渡高等学校舟崎文庫所蔵文書)
※佐渡金銀山史話(著者 麓 三郎、出版三菱金属鉱業株式会社)によれば、「いつの時代か明でない『飛渡里安留記(ひとりあるき)』 と云うピールのハンドブックに相当する技術操典が誰かの手によって著述されるに到った。」
この頁の書き方からは,直接の引用ではなく,麓三郎著「佐渡金銀山史話」からの引用のようです(麓著は近くの図書館には蔵書がなく,まだ見ていませんので詳しいことはわかりません).
そこには,「金銀山様方」として,以下の一文が引用されています(ここでは,一部引用か全文引用かの判断はできません).ま,ともかくも,以下の一文が目につきます.
「一 惣して金銀山有之所之様子ハ高く嶮岨にして立合束西江引渡り、用水有之所ヲ能山所と云、谷川流れの末なとニ鏈石有之候、鏈とは金銀銅とも有之石ヲ云、斯のことき水上には必金銀山有之候、平山二立合有之所は谷浅く候故、立合浅きものにて深く穿下り候得は、程なく水敷にて成候て、水切貫候処無之ゆへ、能山所とは難申候」
示された文章は漢字-ひらがな-カタカナの使用法がグチャグチャなので,「正確な引用である」という前提の議論はできないと思います.が,これは明らかに「鉱床発見の方法」の記述です.
なんでこれにこれまで気づかなかったのかと,自分の目を疑いました.
実は,「ひとりあるき」は「独歩行」として三枝博音の編纂による「日本科学古典全書」中の「採鉱冶金」に載録されており,すでに無関係のものと判断していたものでした.もちろんそれには,採鉱としての鉱山技術や製品の冶金技術については書かれています.しかし,「鉱床発見の方法」については記録されていなかったのです.
あわてて,当該の全書を引っ張りだして確認してみると,「『独歩行(抄)』解説」に書いてありました.ちなみに,「(抄)」の一文字は「目次」にはなく,ここになって出てきます.
つまるところ,本来「独歩行」と題されているこの綴りは五綴りあり,載録されたのはそのうちの二綴りだけでした.つまり,上記「金銀山様方」はなかったわけです.したがって,三枝博音編の「独歩行」と上記「ひとりあるき」とが同じものであるかどうかの確認は現在できません.なぜなら,三枝博音の解説には「狩野亨吉博士の発見」による「東北帝国大学の所蔵」となっており,上記「金銀山様方」はHPの記述によれば「佐渡高等学校舟崎文庫所蔵文書」になっていて,書籍としては同じ可能性があるものの(あるいはどちらかあるいは両方が「写」),おなじ「もの」ではないからです.
また,三枝編では載録された二綴りは「大吹所基本」と「大吹所・銅山勝場」であり,載録されなかった三綴りの題は「吹分所・小判所」,「金銀山出方御入用差引」と「穿鑿掛・砂金山」になっています.つまり,「金銀山様方」が入っていると考えられるものは見当たらないのです.なかったのでしょうかねえ.
三枝が「東北帝大蔵書」に「金銀山様方」が入っているような文書があるにもかかわらず,これを載録しなかったとすれば,これには地質屋が関わっていなかったのだろうという悲しい事実が浮かび上がります.なぜなら,地質屋は我が国の地質学史に興味を持っていなかったか,こういった古典の選定に関わらせてもらえなかったのだということになるからです.
こういった疑問はともかくとして,どこかに「金銀山様方」の全文はないのでしょうか.
さて,探せばあるもので,高島清(1965)「金と銀」(地質ニュース)に一部引用されていました.ただし,引用方法が不完全なので,いろいろな「問題あり」です.
引用文献ではなく,参考文献として「麓三郎著 佐渡金銀山史話」が載っているので,オオモトは「麓三郎」なんだろうということはわかります.
さて,佐渡市教育委員会のHP上の引用と高島(1965)の引用を比較してみると,似てはいるのですが,どちらにも過不足があります.したがって,内容そのものの検討は「麓三郎著」を入手しないとあまり意味がないようです.もちろん,「麓三郎著」もすでに引用ですので,本来「ひとりあるき」or「独歩行」or「飛渡里安留記」のどれか,あるいはすべてを入手して検討しなければならないのですが….
気が遠くなる瞬間ですね(^^;.情報の壁です(^^;
そのうちなんとかしましょう.
さて,話は変わりますが,佐渡市教育委員会のHPおよび高島(1965)の引用で気になるフレーズがあります.それは,「飛渡里安留記」が「ピールのハンドブックに相当する」という部分です.
どちらも,こんなに明瞭に引用しておきながら何の解説も加えていません.
「ピールのハンドブック」
「ピールのハンドブック」
「ピールのハンドブック」…
ググるとクリーンヒットがありました.それは,「地質課の話(一)」にあります.ダイレクトリンクは失礼だという「常識」があるそうなんで,「あけのべ自然学校」のHPから「地質課の話」に跳んでください.
そこには,「アメリカのビュート鉱山の地質部長である、セールスという人が採鉱の唯一の参考書ともいわれるピールのハンドブック中に書いています」という一文があります.つまり,「ピールのハンドブック」とは(「ピール」とはなんであるかはわかりませんが),「セールス(ビュート鉱山,米合衆国)地質部長の著作物である」らしいことがわかります.残念ながら,それ以上のことはわかりません.
Butte MineはUSAにあるようですが,それが該当の鉱山であるかどうかはわかりません.また,Butte MineがHandbookを出版しているという事実も見いだせませんでした.
それはさておき,「あけのべ自然学校」の「地質課の話」には,興味深いことが書いてあります.
それは「地質課の三つの任務」についてです.
正直なところ,「地質学の存在理由はなにか」というところで,いつも悩んでいて,「存在理由がないから,滅亡した」と思っていたのですが,具体的に経済的なまた科学的な存在理由がこの「地質課の三つの任務」として示されていたからです.
第一は,「採鉱経費の引下げに助力する」こと.
第二は,「鉱山の寿命を長くさせる」こと.
第三は,「将来のために現在の資料を完全に保存する」こと.
第一は,その任務は“新鉱床の発見にある”のではなく,現在運用されている鉱山の運用経費を引き下げるということの方が重要だということです.新鉱床なんか簡単に発見できるわけではないですが,現在運用されている鉱脈の性質をはっきりさせておけば,無駄な経費は省けることになります.
地質屋の任務は「新理論の発見」にあるのではなく,もっと「リアル」な所にあると読み替えてもいいでしょう.
我が師・湊正雄教授が「受け盤か,流れ盤か」を把握するだけで,工事費は大幅に節約できるという話を授業中にしていたのを思い出しました.
第二は,やはり,鉱脈の性質をしっかり把握しておけば,鉱山の寿命を延ばすことができるということです.
たとえば,金の含有量は鉱脈の部分によって変わってくるわけですが,金の含有量が多いからといってその部分をそのまま掘出してしまえば,そこで終わってしまいます.しかし,金の含有量の多い鉱石を低含有量の鉱石と混ぜて,採算が合うレベルで出荷していれば,含有量が採算レベル以下の鉱脈でも掘り続けることができるわけです.そして,また金の含有量の多い鉱脈にたどり着くまで,鉱山を運営することができるわけです.
地質学は「科学的な理論」ではなく,リアルに「経済」に結びついていると読み替えてもいいでしょう.
第三に,休山した鉱山を復興させるときの資料を残すということですが,そうでなくても,「過去に何があったのか」ということは,なかなかわかりにくいことです.北海道にもたくさんの鉱山・炭坑がありましたが,そこに何があったのかという再現はなかなか困難なことです.大会社の「社史」は残っていますが,「鉱山史」はなかなか残っていません.
どう読み替える?
過去の北海道での石炭地質学は「地向斜造山運動」論と並行して成長してきました.地向斜造山運動論は,現在では錬金術にも等しいものとされていますが,それでも石炭を生み出してきたわけです.
つまるところ,地質学は高尚・高等な理論にその価値があるのではなく,一本の鉱脈が,一枚の石炭層がどのように連続してゆくのか,それを記載すること,その一番基本的なところにその「価値」があるということのようです.
「事実をありのままに記載すること」この単純なことに「価値」があるということなんでしょう.
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