2011年2月9日水曜日

大立目謙一郎

 
 大立目謙一郎さんは,北大地鉱教室・第一期生です.

 大立目さんは理学部卒業後,北海道炭礦汽船株式会社に入社し,石狩炭田の地質を研究していました.
 大学の地質学が実用とはかけ離れて象牙の塔化している中で,ライマン流の精密地質学は石炭開発をおこなう企業でのみ,生き延びていました(松井愈,1953)が,大立目氏はここでライマン流の精密地質学にであうことになります.
 そして,石炭開発のために精密な地質図を作成していく中で,夕張炭田(石狩炭田)には,日本の他地域には見られない複雑な地質構造があることを発見します.これは,「サヌシュペ根無し地塊」として知られています.
 これは,アルプス山脈に見いだされている「根無し地塊」に匹敵するもので,これがきっかけとなって,のちの「日高造山運動論」の展開につながって行きます.

 以下は,大立目さんが研究半ばで倒れたとき,後輩にあたる湊正雄博士がその研究をまとめ,公表したときに,当時の北大教授であった鈴木醇氏が著した「序」です.




 大立目謙一郎博士は、新進有為の士として誠に得難い地質学者であつたが、不幸にして太平洋戦争に應召出陣して、中國の戦地に於て病歿せられた事は誠に痛恨に堪えない。同博士が他界せらわてから、早や六年有半の星霜を経たが、同博士の残された数々の優秀な研究業績を顧る時、学界に於ける大なる損失を思い、今更ながら誠に感慨の深いものがある。
 大立目博士は明治40年7月13日大立目謙次氏長男として仙臺に生れ、仙臺二中、北大豫科を経て、昭和5年3月當時創設された北大理学部地質学鉱物学科に第1回学生として入学、昭和8年卒業まで極めて学究均な学生として終始し、この間長尾教授並に上床教授指導のもとに修業並に卒業論文として次の二編を完成された。

(1)1932 (A)鵡川上流地方の第三紀層並に白亜堊層 (B)胆振邊富内地方の白堊紀層(修業論文)
(2)1933 邊富内、穂別川、登川地方の白堊紀層及び第三紀層の層位並びに地質構造について、附(A)北晦道産古第三紀介化石、(B)北海道産白堊紀介化石、(卒業論文)

 これ等の論文中には層位学上及び古生物学上新に発見された幾多の新事実が発表されて居り、学生の業績としては稀に見る優秀なものであり、この時已に専門家としての頭角を現わして居り、これ等の研究はひいては、同博士他日の大成への基礎をなしたものである。
 昭和8年3月北大卒業後は直ちに北海道炭鉱汽舶株式会社に入社、昭和14年7月には再び北大理学部に戻り助手後に講師に就任、その間室蘭高等工業学校講師を兼ねて居た。昭和17年6月招れて秋田鉱山専門学校教授に就任、又東北大学理学部臨時講師の嘱託を受けて居た。これ等の間熱心なる学生指導の傍、常に北海道に於ける第三紀層並に白亜紀層の研究に没頭され、特に石狩炭田の研究に対しては最も力を蓋し、これ等に関し重要なる多数の研究業績を残されたのである。今同博士の研究の後を偲ぶため前述2編の後に発表された層位学並に古生物学上に関する主なる論文を挙げれば次の加くである。

(3)1933. The Upper Cretaceous Oil-bearing Sedimentary Rocks of Hokkaido, Japan(北大理学部紀要 Ser. IV. Vol. II. No. 2)(上床教授と共著)
(4)1938. Molluscan FossiIs of the Hakobuti Sandstone of Hokkaido(北大理学部紀要 Ser.lV. No. 2)(長尾教授と共著)
(5)1938. A New Calianassa from the Palaeogne Isikari Series of Hokkaido(地質学雑誌 第45巻)
(6)1940. 北海道中部に於ける下部菊石層と輝緑凝灰岩層の層位関係に就いて(北海道地質調査会報告 第11号)
(7)1941. 石狩炭田南部の推被衝上構造の新事実に就いて(矢部教授還暦記念論文集)
(8)1941. 日高国南端部の所謂「歌露礫岩層」に就いて(地質学雑誌 第48巻)
(9)1942. 石狩油田産 Calyptogena 層化石に就いて(地質学雑誌 第49巻)
(10)1942. A Melanian Fossil from the Isikari Series (Palaeogene) in the Isikari Coal-field, Hokkaido.(地質学雑誌 第49巻)
(11)1943. A Brief Note on Fossil Corbiculids from the Kusiro Coal-Field in Hokkaido.(地質学弊雑誌 第50巻)
(12)1943. The Fossil Corbiculids from Hokkaido and Karahuto.(地質学雑誌 第50巻)
(13)1945. 夕張炭田邊富内地方の地質構造特に其の推し被せ構造について(石狩炭田の地質構造特に其の推し被せ構造に就いての研究 其の一)(地質学雑誌 第50巻)
(14)1943. 岩手県北端部Vicarya化石に就いて(地質学雑誌 第50巻)
(15)1943. The Fossil Corbiculids from the Palaeogene Isikari Series in the Isikari Coal-Field, Hokkaido.(北大理学部紀要 Ser. IV, Vol. VII, No. 1)(長尾教授と共著)
(15)1943. Three Species of Fossil Corbiculids from the Tertiary formation of Karahuto.(北大理学部紀要 Ser. IV, Vol. VII, No. I)
(17)1943. On the Two Fossils Corbiculids from the Palaeogcne Coal-bearing Tertiary of Obiraisibe, Tesio Province, Hokkaido (北大理学部紀要 Ser. lV, Vol. VII, No. I)
(18)1945. 石狩炭田の地質構造、特に推し被せ構造についての研究(遺稿)(其二)

 上述の論文中特に優秀なる石狩炭田の地質特に推し被せ構造についての研究に對し地質学会学術奨励金が與へられその後問題(其二)に對しては理學博士の學位が授與せられた。
 同博士は更に石狩炭田研究継続中昭和19年6月應召直に出陣されたが不幸中国の戦地に於て病を得て同年9月14日湖南省衡陽縣楊家拗野戦豫備病院に於て遂に逝去せられた事は返す返すも遺憾の至りである。
 同博士の業績は上述の如き発表せられたものに留まらず、更に幾多の未発表の遺稿が残されて居た。これ等の内特に“石狩炭田の地質構造、特に推し被せ構造についての研究(其三)は已に学位論文として提出された同題(其二)のものに更に新しい材料を加えて完壁としたものであるので、この得難き資料を深く框底に蔵するに忍びず、此度機会を得て上梓するの運びに至つた事は学界にとり誠に喜びに堪えない。
 由來石狩山地は層位学上及び古生物学上のみならず、地質構造の複雑なる點に於て幾多興味ある問題に富む地方なる事は人の知る所であるが、更に同地が北海道に於て最も重要なる炭田である事は云うまでもない。大立目博士の論文が、学問上の種々の問題を解明したと同時に、此の後同地方の地下資源開発の上にも極めて重要なる指針となるものである事は明かである。この事を思えば短い生涯を閉じた同博士の貢献は長く世を稗盆するものであつて、同博士も以て瞑すべきである。
 大立目博士の重要な遺稿の一つが発表せらるるに當り、これと関連ある同博士の従來の業績を紹介して序言とするものである。尚本遺稿の発表に際しこれが整理其他に當られた北大湊正雄博士の努力に對し衷心感謝の意を表するものである。

昭和25年8月

北海道大学教授 鈴木  醇



北海道地質要報.第18号,資料「大立目謙一郎:夕張炭田夕張地方の地質構造特に其の推し被せ構造に就いて」より.
 

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