三年後の1926(大正15)年;旭川市立(区立)北門尋常高等小学校(前述)が代用附属小学校に指定されます.
その二年後の1928(昭和3)年1月に新北門尋常小学校が開校し,北門尋常高等小学校から519名が移籍します(前述したように,519名以外に生徒がいたのか,いたとすればどのような基準で分けられたのかなど,詳細は「市史」,「市教育史」などには記述されていませんので,一切不明です.もちろん「ほかにいない」とすれば矛盾が生じますので,北門尋常高等小学校に残った生徒がいると判断すべきでしょう.四年後,北門尋常高等小学校は廃止と記述されていることからも裏付けられます).
北門町9丁目に附属小学校校舎,新築.
1932(昭和7)年11月1日;旭川師範学校附属小学校,開校.旭川市立北門尋常高等小学校の廃校と同日に,庁立旭川師範附属小学校が開校という奇妙なことが起きています.つまり,残った生徒(いたなら)は市(区)立から道(庁)立に移籍したということになります.
もっと奇妙なことに,1933(昭和8)年3月に「第一回卒業生から校旗寄贈を受ける」とあります.北門尋常高等小学校から前年11に移籍した,六年生から校旗を寄贈されたということでしょうかね?もちろん,できたばかりで校旗がないので,初代卒業生から寄贈されたというのは充分にあり得ることです.
もっと不思議なことには,1942(昭和17)年に「附属小学校開校10周年記念式が挙行」されているのに,1951(昭和26)に「開校50周記念式」が挙行されているのです.
ちょっと,理解を超えていますが,これは師範附属小学校の開校を前提とすべきなのに,旭川町(区・市)立であった「上川第三尋常高等小学校-北門尋常高等小学校」を,附属小学校の歴史に加えたり,引いたりしているからなのでしょう(そんな歴史って,ありかい(- -;).
以後,何回か○○附属と,大学の管轄が変わるたびに改称が行われますが,面倒なので無視します.
1971(昭和46)12月;校舎新築移転(春光町1区1条:現・春光町4条1丁目)
なお,移転地域は過去,第七師団の兵舎があった土地なので,調査が困難なため放置します.
(現在に続く)
なお,町の変遷は「近文地域の小学校とその歴史(上川第三尋常小学校;その2)」を参照のこと.
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