荒井源次郎(1900-1991)氏とは荒井和子(1927-2014)先生の父親で,民族差別撤廃運動の闘士であり,自宅は旭川(チカップニ)にあります.
その追悼文からは以下のことがわかります.
1)荒井一家が定山渓温泉街で木彫り熊の土産品製作販売を行っていた時に,鈴木教授の手元にスイス製の木彫り熊があることを聞きつけ,北大・地質学鉱物学教室に鈴木教授を訪ねる.2)その時は,荒井夫妻で訪問し,教室内を見学している.
3)木彫りクマを借り受け,以来,鈴木教授との交流が続く.
4)戦争の激化とともに,定山渓の土産店は営業不振となり,昭和18年秋,荒井家は旭川へと引き上げる.翌年,鈴木一家の家財の疎開先となったりしている.
5)荒井家が旭川に戻ってからも,鈴木教授は道東・道北の出張(調査,巡検などであろう)時に荒井宅によるなどしている.
鈴木醇教授は,北大に「北方文化研究室」が設置された時に,理学部から委員の一人として参加しており,研究室の専任職員(研究員)には知里真志保氏がいた.
もちろん,鈴木教授が湊正雄氏に知里真志保氏を紹介したのは,この関係でしょう.
現在,旭川市チカップニにある旭川市立北門中学校には,荒井和子先生が収集した資料を基に「知里幸恵資料室」があり,校庭には「知里幸恵文学碑」が建てられています.
う~ん.円環が閉じてゆく!
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