この頃は,まだ国民学校令(1941;昭和16)がまだだされていないので,「尋常小学校」と呼ばれていたはずです(「後」でも「大有校」という表現はなかったはずなので,誤解を招く非常に不正確な記述です).市史では,このあとどんどん記述が怪しくなり,「不詳」が多くなるので,現・大有小学校HPの沿革から引きます.
1927(昭和2)年12月:校舎新築落成(開校記念日は12月4日)
1928(昭和3)年1月:新北門尋常小学校開設
これを遡る1926(大正15)年,北門尋常高等小学校が旭川師範学校代用附属小学校となっており,1928(昭和3)年には,生徒519名が新北門尋常小学校へと移籍しました.
市史には記述されていないため,519名のほかに生徒がいたのか,いなかったのか,もしいたとすれば,その生徒はどういう基準で北門尋常高等小学校に残ることになったのか,などはいっさいわかりません.
1935(昭和10)9月:旭川市大有尋常小学校と改称
旭川市史の「第十三編教育と宗教 第一章 学校教育」における昭和十年の記述の前後には,ことが明記されていず,どういう事情で改称されたのかはわかりません.
一説には,「北門尋常高等小学校」と「新北門尋常小学校」が紛らわしかったからとあるようですが,1932(昭和7)年には北門尋常高等小学校は附属小学校となり,廃止となって校舎すら存在しませんから,この説は疑問です.判らない事が多いなあ.(^^;;;
1941(昭和16)年4月:大有国民学校と改称
前出,国民学校令による改称ですね.
1947(昭和22)年4月1日:国民学校令廃止.旭川市立大有小学校となる.
(現在に続く)
(1931:昭和6年の旭川市街図の一部:二線南一号)
相当雑な地図であるが,大町岐線南に大有小学校が見える.
(1948:昭和23年の同地域:国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より)
旭町側には相当数の家屋が建ち並ぶが,川端町側はほとんど農地のままである.
石狩川にかかる異常に細い橋は「新橋」.
(1956:昭和31年の同地域:1/25,000地形図・旭川の一部)
町並みは1948の航空写真とほとんど変わらないように見える.
(1967:昭和42年の同地域:国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より)
川端町が急速に市街地化している.
(1977:昭和52年の同地域:国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より)
(2008:平成20年の同地域:国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より)
大有小学校は新校舎に建て替えられている.
新橋の拡張工事が完了している.
錦町通り(命名時期不詳)の拡張工事が進んでいる.
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