2007年4月9日月曜日

鉱床学のお勉強から

 「蝦夷地質学」中ではどうしても,鉱山・鉱床の話が出てくるのに,私の知識はおぼつかない.(^^;
 それで,鉱床学のおさらいをしようと思って,教科書を探しましたが,すでに日本の鉱床学は滅びてるらしく,適当なものがみつかりません.そういえば,番場さんが教科書を出してたなと思い出し,Amazonで調べたら,もう絶版扱い.

 ようやく古書店でみつけだし,送ってもらったら,旧版でした.ま.いいか.(^^;

 上記で,番場教授のことを「番場さん」と書きましたが,別にお友達ではありません.教授と学生(専攻は違ってましたが)の関係でした.当時の北大地鉱教室では,先生も「さん」付けでよぶ習慣があり,それが癖になっています.教室の運営には学生や大学院の意見も吸い上げられ,意見を述べることは自由でした.今では不思議に思えますが,教室主任は選挙でえらばれ,学生も大学院生も教室の世話をしている事務職員・掃除のおばさんまで一票を持っていました.

 教室構成員全員が善かれ悪かれ選択の自由を持っていたというわけです.

 太平洋戦争敗戦直後,北大で「イールズ事件」というのが起きまして(事件の説明は省きますが),学生を中心として反対運動が起きました.確か「北大ん年史」とかいうのに行動する学生の写真が載ってるはずですが,その真ん中にいるのが,番場さんだという話を聞きました.

 こういう人達が北大の民主主義を身体を張って守ってきたんですね.

 私が大学院修士課程の頃,教室主任の選挙制度を廃止しようという動きが起きまして,連日議論がなされたのですが,当時教授になっていた番場さんのほか,民主派と考えられていたほかの教授たち(すでに少数派になっていましたが)も,勢いに逆らえず,まともに意見を述べることもできず,結局選挙制度は廃止になったのを覚えています.

 「麒麟も老いては駄馬にも等しい」という言葉を覚えたのはこの時ですね.

 あの頃から,徐々に学生は大学の構成員ではなく,大学を通過するだけの人になっていったんじゃあないかと思っています.(別の大学ですが)非常勤で時々学生に教えにいってますが,大学に愛着を持たない学生のなんと多いことか.でも,上記歴史を見ている私は,学生がなぜそうなのか,理解できると思っています.

 数年前に,番場さんは亡くなりました.

 北大理学部同窓会誌46(2004)に,番場さんのお弟子さんが追悼文を書いています.
 私が在学中にいた教授連の中では結構好きな人だったんですが,訃報を聞いた時にはすでに葬儀が終わってました.最期までカッコいい生き方を貫いたそうです.確かに.
 さて,読まさせていただくか.

 これも,一つの「地質学史」.

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