2010年1月20日水曜日
「寒がり」な県民性
数日前の,新聞に「『寒がり』な県民はどこか」というような記事が載りました.
その前後に,TVでもほぼ同じの内容を(例によって,脚色たっぷりに)バラィエティ番組でやってました.
その新聞記事が見つからないのでGoogleで検索すると,新聞記事は出てきませんでしたが,元記事が見つかりました.
ニュースの出所は株式会社「ウェザーニュース」という会社.こちらには,調査方法なども載ってましたので,議論には問題ないでしょう.
記事を読むと,「やっぱりね」という感じ.
「ウェザーニュース」という会社がどういう会社なのかは知りませんが,この程度の調査と結果で,「寒がりな県民」やらなにやらを「情報」として流すのは「どうかな?」と思います.
調査方法は(記事に書かれている限りでは)「全国のウェザーリポーターの方に、着ている服の枚数と身につけている小物の数を報告してもらい、その日の朝の気温との相関を分析し、“寒がり度”を都道府県別に調査をしました。」とあります.
まず,「ウェザーリポーター」という人たちがどういう人たちなのか説明がありません.
この時点で,調査対象の母集団に問題がありそうだなという疑問が生じます.
「全国で6,767人が回答」とありますから,想像をたくましくすれば,たぶん,「ウェザーニュース」という会社にボランティアで地域の気象情報を送っている気象マニアの人たちと思われます.
気象マニアの人たちは,一般の人よりも,気象に関する関心が高いのは当たり前ですから,その時点での気象条件のみならず,その日一日に起こるであろう気象の変化も頭に置いているわけです.当然,「午後から寒くなる」とかいう情報をもっていれば,その日の朝は汗をかきそうでも,一枚余分に着込むでしょう.
そういう人たちと一般の人たちを同じと見なして,「県民性」云々を即断していいものでしょうか.
おかしなのは,「その日の朝の気温」と「着ている服の枚数」および「身につけている小物」の数に相関関係が見つかったらしいのですが,そのデータも解析結果も出ていません.
でているのは,どこの県が一位だとか最下位だとかいう結果だけ.なにを基準に順位付けしたのかは,想像するしかありません.
たぶん,「その日の朝の気温」と「着ている服の枚数」の相関関係だと思いますが,「身につけている小物」ってどういう意味があるのだろう?
こういうのが,「結果だけ一人歩き」して,まるで,科学的な根拠のあるデータのように,垂れ流しにされるのは,なにか非常に怖い気がします.
もしかして,こういう人たちが「地球温暖化」を議論しているのだろうか.と.
しばらく前に,“ホッケースティック状”に地球の温度が変化しているというデータを出した学者がいるとか,どうもそのデーターは捏造くさいとか,「あほ」みたいな話がされてましたけど,こういう“いかさま”に近いデータの単純化が,科学的な議論のように扱われているようです.
ちょっと,(普通の)歴史や人類史,地球史の知識がある人ならば,あんなデータはあり得ないことはすぐにわかるはずです.
そうでなくても,普通の人の感覚でも,朝6時から午後2時ころまでは地球は温暖化してます(この場合は,観測者の周囲の環境だけ)し,夕方から朝にかけては寒冷化しています.
3月から8月にかけては,地球は温暖化してます(この場合は北半球だけ)し,10月から2月にかけては寒冷化しています.
20年ぐらい前には,一時的な寒冷化で,日本では国内で米が採れなくなり,外米を食べた記憶があります.10数年前には,北海道でも30℃を越える日が何日も続き,海に逃げ出した記憶があります.
親の話では,厳寒期には「寝ている布団」が凍ったそうですが,今はそんなことはありません(もちろん,これは住居自体がよくなったこともあります).
江戸時代に,蝦夷地開拓の話が持ち上がったのは,天明の大飢饉=つまり,一時的な寒冷化の時期ですが,この頃は釧路あたりまで流氷がきていたらしいですし,松浦武四郎がアイヌの長老に聞いた話では,有珠湾や洞爺湖が凍ったことがあるそうです.
平安遷都1300年祭とかのイベントがあるようですが,このころ地球は温暖化していて,日本では奈良・平安の文化を生み出しています.おそらく,温暖化で米が安定して採れるようになり,生活が安定したためでしょう.
明治になってからの,北海道開拓当初,北海道では米は獲れないといわれてきました.
それが今では,やろうと思えば,名寄盆地でも十分な量と品質の米が確保できます(減反政策でほとんど放棄されているようですが).これは,農業試験研究所の技師の努力によるとされてきましたが,実は,地球温暖化のおかげが大です.
地球は,短くは一日の範囲で温暖-寒冷を繰り返し(これは地球全体ではないですが),数日~数十日の単位でも,一年の単位でも,数十年の単位でも,数百年の単位でも,数万年~数百万年の単位でも温暖-寒冷を繰り返しているのです.
ここ数十年の,しかも限られた観測地点のデータで,温暖化してるとか寒冷化してるとかいう話は,まず,眉に唾をつけてきかなければなりませんね.
それが,研究費がほしいだけの科学者とか,景気の起爆剤がほしいだけの資本家が絡んでいる場合は特に…ね.「エコ」は,エコロジーの「エコ」ではなく,エコノミーの「エコ」だったりして.もちろん,この場合の「エコロジー」も「エコノミー」も非常に特殊な意味に限定されています.
話を戻しますと,北海道人がほかの県の人よりも一枚余分に服を着るわけは…,簡単に説明ができます.
日中は0℃程度に気温があがって暖かい日でも,日が落ちると共に,マイナス10数度まで下がることは,別に特殊な出来事ではありません.
都市化していない地域の多い北海道では,場合によっては命にかかわる事態を招きます.
身をもって,そういうことを経験している北海道人は,たとえ,日中は汗をかくようなことがあっても,一枚余分に着る習慣があるわけです.
それを寒がりというのは,正確でしょうかね.
気温が0℃以下になんかに下がることがない(従って,命の危険を感じることもない),不夜城の大都会に住んでる(従って,危険を感じればすぐに退避できる)人たちのいうことではありませんね.
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