2011年1月5日水曜日

蝦夷地,最初の炭鉱 pt.6「あやしい情報」

 
 ものによっては,石川和助の「観国録」,窪田子蔵の「協和使役」に「白糠炭山」について書かれているという情報があります.
 石川和助・窪田子蔵がクスリ付近を通過したのは安政三年のことで,石炭や木の葉の化石が落ちているなどという記述は確かにあります.しかし,白糠炭山が開かれたのは安政四年のことですから,当然こと,これについての記述はありません.


 以下は,安政四年以降のクスリ地方の旅行記で,「白糠炭山」を検視した可能性がありますが,史料の所在が不明なので,レビューできません.

鳥井存九郎「北溟紀行」
 鳥井存九郎は越後・村上藩士.老中・内藤信親(越後村上藩主)の命により,蝦夷地・樺太の調査にでました.
 1857(安政四)年,箱館-松前-宗谷を経てカラフトに渡り,シラヌシより西岸をホロコタンまで北上.帰路,宗谷より蝦夷地東海岸を周回し帰藩したとあります.

森一馬「罕有日記」
 森一馬は越後・長岡藩士.老中・牧野忠雅(長岡藩主)の命により,蝦夷地・北蝦夷地(樺太)の調査に派遣されました.西蝦夷地経由でカラフト北西岸のポロコタンに至り,カラフト南部・東蝦夷地を周廻し,帰藩したとあります.

 なお,上記二件は,北大・北方史料DBにありますが,web上では公開されていないので,検討不能です.両方とも「写本」のようですが,「元本」はどこにあるのでしょうかね.
 

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