で,つい買ってしまったのが湊正雄(1982)「アイヌ民族誌と知里真志保さんの思い出」.
以前は,その気で古書店巡りしても,巡り会うことは困難でしたね.
いい本でした.
現代的な,学問的な意味での妥当性については,私には評価できませんが,いくつか謎だったことが理解できたような.
そのひとつは,「おっちゃん(注:湊先生のこと)はストリー・テラーなんだよ」(小M先生談).
湊先生はたくさんの本(専門書も一般読者向けも)を書いてますから,そのことだろうと思っていましたが,どうやら,そうではなかったようです.湊先生は,数少ない事実から遠くを見通して,ひとつの判りやすいストーリーをつくるのが天才的だったようです.
この本では,アイヌ民族の歴史が判りやすいかたちで示されています.先生の本以降に書かれた本を読んでも,曖昧なところが多くて,アイヌの足跡というのは理解できなかったものです.見方が違うんでしょうね.
ただ,今から三十年以上も前に書かれたストーリーですから,それ以降に集められたデータと調和的なのかどうか,それは私には判りません.
きっと穴だらけ,矛盾だらけなんだろうとは思いますが.
もうひとつは,なぜ北上山地の「古生界の研究」で,すでにエキスパートだった湊先生が「第四紀学」にも手を出したのかということ.
北大地鉱教室では,戦前に千島列島の調査に教室として取り組んだことがあります.その時に湊先生も(最初の調査時は学生だったらしい)参加なされているわけですが,調査を手伝ってくれた千島アイヌたちの人間的なすばらしさに感激して,アイヌ民族に興味を持ったそうです.
そして,当時岩石学講座や鉱床学講座を担当しておられた鈴木醇教授の紹介で,知里真志保氏と面識を持つことになります(昨年の,北大博物館の講演会では「おたがい偏屈同士で友達がいなかったから仲良くなったらしい」などと冗談で言ってしまいました.乞う,お許し:今度機会があれば訂正しときます.(^^;).そして,日々,アイヌ民族とその歴史について,知里さんと議論を戦わせていたようです(湊先生は「教えられた」と,いっています).
一方,湊先生は知里さんから教えられた情報を元に,自らのルーツを考えることになります.
湊先生は,秋田県出身ですが,自らの容貌から秋田あたりに居た蝦夷の血を強く受け継いでいることを意識したようです.知里さんは,秋田はおろか沖縄あたりまで,現在のアイヌ民族を成立させたルーツが住んでいたと考えていたそうです.南方から,朝鮮半島から,サハリンから,現代では考えられないほどの機動力をもって日本列島に移動してきた,といった方がいいのでしょうか(現代日本人はハイブリッド民族なのです).
必然,湊先生は知里さんが専門としない地史=第四紀学に引きつけられて,知里さんのアイヌ学を補完しようとしていたのだと考えられます.
そして,湊先生の学問の,もう一方の柱である「古生界の研究」の集大成には,蝦夷・安倍貞任を首魁とする安倍族から「安倍族造山運動」が名付けられたわけです.
あれから,約30年.「地向斜造山運動論」は単なる虚構とみなされ,「安倍族造山運動」は死語になってしまいました.
人の命と同じように,学説も儚いもののようです.
イヤ,ひとつひとつの積み重ねが,少しずつわれわれを取り囲む謎を明らかにしていってるんだと,考えるべきなのでしょう.偽か,正か,ではなく,積み重ねのひとつなんでしょう.
そして,わたしは若い頃に,学問の巨人に会えたことを「幸せ」と考えています.イヤ,ひとつひとつの積み重ねが,少しずつわれわれを取り囲む謎を明らかにしていってるんだと,考えるべきなのでしょう.偽か,正か,ではなく,積み重ねのひとつなんでしょう.
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