2011年6月27日月曜日

阿弖流為

 
以前から気になっていた人物.実態不明.
俗に「蝦夷の族長」ともいわれていますが,「蝦夷」の実態も不明なので,“部族”とよんでいいような社会体制だったどうかも不明であり,したがって,こういう肩書きでいいのかどうかも不明.

「アテルイ」もしくは「阿弖流為」で調べても,出てくるものは,ほとんどが小説の類なので,参考文献がみつかりません.
以前,行き当たりばったりで,以下の二つを購入しましたが,ほとんど,なにも書かれていませんでした.

菊池敬一(1990)「北天鬼神―阿弖流為・田村麻呂伝―」(岩手日報社)
新野直吉(1994)「田村麻呂と阿弖流為―古代国家と東北―」(吉川弘文館)

    


前者は創作.後者は副題が中身で,表題は「売る」ためにつけた名前のようです.

不愉快なので,しばらく放置.
その間にも,小説・マンガの類が増殖する.実態が不明なのに….不明だからか….


別な理由で,以下の書籍を購入する.
なかなか面白い視点だと思う.戦争はどちらが勝とうと「歴史の転換点である」とみることは正しい.


鈴木拓也「蝦夷と東北戦争 戦争の日本史3」(吉川弘文館)

  


この本を読んで,ようやく「阿弖流為」のことが理解できました.
イヤ,そうではなく,阿弖流為の歴史的位置づけのことですね.なぜ,阿弖流為という人物の実態が不明なのか,不明にされたのかが理解できます.そして,なぜ阿弖流為が創作の類の中で生きているのかも理解できます.
新野直吉(1994)も,読みなおしてみようかという気になる.


斜めから見ると…,戦争は,その時代のハイテクが用いられているのが普通です.したがって,武器を調べれば,その「時代」がわかるはず….
でも,こういう見方をしている本は,まったくありませんね.

わりと近い本が出ています.
盛本昌広(2008)「軍需物資から見た戦国合戦」(洋泉社)

  

でも,これは「戦国時代」だけの話.歴史的変遷の話ではありません.

昔の本では,
奥村正二(1970)「火縄銃から黒船まで-江戸時代技術史-」(岩波書店)
奥村正二(1973)「小判・生糸・和鉄=続江戸時代技術史=」(岩波書店)
がありますが,これも江戸時代だけ.

    


「材料技術史」として歴史的変遷を追った本としては,
小山田了三・小山田隆信(2001)「材料技術史概論 第3版」(東京電機大学出版局)

  


があります.でも,この本は明らかな間違いが多く,気をつけないといけない.
つまり,武器から(材料史,技術史として)歴史を見ようというやり方は,まだ成立していないようです.

話を戻しましょう.
関連した別な記事で「平将門」について書くつもりですが,こちらを読めば,阿弖流為の時代の材料技術についてある程度推測ができます.つまり,「鉄」など必要ない.
もちろん,考古学的な発掘などで,この時代の武器が「もの」として発掘されたりしなければ話にならないですけど.

 

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