2009年3月15日日曜日

山粉鉄・川粉鉄・浜粉鉄

 

「山砂鉄・川砂鉄・浜砂鉄」
 考古学者がよく使う「砂鉄の分類」です.

 例えば,土井作治(1983)「近世たたら製鉄の技術」*では下図のように「高殿鑪の製鉄行程図」をわかりやすくまとめています.この基本になっているのが,原料としての「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」です.「山砂鉄」を「真砂小鉄」と「赤目小鉄」に分けていることに関しては,また,別の機会に.

 

*土井作治(1983)「近世たたら製鉄の技術」.69-103頁,永原慶二・山口啓二(1983編)「採鉱と冶金」(講座・日本技術の社会史5,日本評論社)

 一方,窪田蔵郎(1987)「改訂 鉄の考古学」(考古学選書9:雄山閣出版)では,「生成時代別産状別分類」として下図のように示しています.



 なお,窪田氏は窪田蔵郎(1966)「鉄の生活史」では,その産状から「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」の三種類に分けられるとしています.


「鉄砂」・「粉鉄(=小鉄)」
 これらの「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」という分け方は,どこからきたのか厳密にはわかりませんが,可能性が高いのは下原重仲が天明四(1784)年に著述したといわれている「鐵山必要記事」(もしくは「鐵山秘書」といわれています)の記述からだと思われます.ただし,三枝博音が編纂した「鐵山必要記事」(日本科学古典全書10)には,これらの言葉はありません.
 「砂鉄」という言葉自体がないのです.
 「鐵山必要記事」では「粉鉄」と書いていますが,同書には「播州・但馬・作州にては鐵砂と申」といい,「備・伯・雲・因・石の國にては粉鐵と申」とあります.
 播州=播磨国=兵庫県南西部,
 但馬=兵庫県北部,
 作州=美作=岡山県北東部,
 備=備州=岡山県南東部・岡山県西部・広島県東部,
 伯=伯州=伯耆国=鳥取県中西部,
 雲=雲州=出雲国=島根県東部,
 因=因州=因幡国=鳥取県東部
 石=石州=石見国=島根県西部
 で,いわゆる山陽道では「鉄砂」といい,いわゆる山陰道と岡山県・広島県では「粉鉄」といったということです.
 「粉鉄」は「小鉄」と書く場合もあったらしいのですが(私は,原著に近いものではみたことがありません).これは共に「こがね」とよんだらしいです.つまり,「黄金」と同じ発音で,同じように重要視されたといわれています.

 この「鉄山必要記事」は俵国一が日本鉱業会誌に連載し,その後「古来の砂鉄精錬法」に収録した経緯があります.現在では,この本は,ほとんどが失われてしまって,古書店でも数万円の値がつく代物です.そこで,俵氏が解説するときにか,あるいはそれを別の研究者が引用し続けるなかで,「川粉鉄」が「川砂鉄」,「濱粉鉄」が「浜砂鉄」にかわり,また「山砂鉄」という言葉もできてきたものなのだろうと考えています(と,書いている間に,この復刻・解説版が出ていること知ってしまいました.確認しなきゃ>今日はもう「品切れ」になってました(-_-;).

 私は,いくつかの理由で,この「粉鉄」もしくは「小鉄」を「砂鉄」とするのはよろしくないと考えています.それは,「粉鉄」(この場合は,これは明らかに「山粉鉄」なんですが)の善し悪しを見分けるのに,「炎勢の上に打ちまき焼べてみる」という記述がありますが,このとき,「上品」は「バラバラ」とはじけ,そうでないものは音がしないという記述があります.「バラバラ」とはじけるのは「砂鉄」の粉末であり,そうでないものは有色鉱物の破片なのでしょう.
 これは,水簸(比重選鉱)の結果がよろしくなく,多量の(不透明鉱物ではない)有色鉱物(の破片)が残留していることを意味し,チタン鉄鉱や赤鉄鉱を含む広い意味にしても「砂鉄」とイコールにしてしまうのは,あまりよろしくないと思うからです.

「山粉鉄」
 「鉄山必要記事」には「山粉鉄」というものは出てきません.

 「鉄砂」は「鉄山」からで採集するのが当たり前で,これは「真砂化」した花崗岩の露頭から「鉄穴流し」で軽量鉱物を排出し,「砂鉄」を含む重鉱物を残留させるものです.したがって,「山粉鉄」は地質学的に母岩として花崗岩の存在を前提とし,花崗岩が存在しない地域では,「山粉鉄」も存在しません.
 九州の砂鉄鉱床について論じている原田種也(1966)「黒い砂」は,「九州ではまだ山地鉱床とよばれるものは発見されていない」と述べています.なぜなら,宮崎県・鹿児島県下の「いわゆる現地残留鉱床」は「シラス層が風化されて砂鉄が流出し堆積したもので 稼行できるものでない」からです.ただし,九州でも福岡県地域には花崗岩が分布しているはずですが,原田氏はこれについては何も触れていません.
 地質学的(あるいは鉱床学的)には「山粉鉄」は,どういう意味を持っているのでしょうか.人為が加わると「地質学的」な意味を判断するのは,常に困難が伴います.しかし,地質学的には「(風化)残留鉱床」というものがあり,拡大解釈すれば,(人為的・人工的な)「残留鉱床」と判断することもできるでしょう.

 「山粉鉄」は花崗岩の存在を前提とするとともに,その「山」は,「平地(あるいは海岸)ではない地域にある」という意味も持っています.
 後背地に真砂化した花崗岩を持つ地域では,第四紀・洪積世に現河床堆積物として「川粉鉄」が自然に堆積しますが,これは次の第四紀・沖積世には段丘堆積物となります.これは,すでに「堆積鉱床」ですから,鉄穴師たちにとっては宝の山だったでしょう.
 鉄穴師たちにとっては,母岩がどうであろうが,結果として「粉鉄」がとれればよいわけですから,現代地質学的な意味で,母岩について検討したとは思われません.したがって,これらも「山粉鉄」とよばれたはずです.実際,窪田氏もそう判断しています(窪田氏の表参照).
 「山粉鉄」と一口にいっても,地質学的・鉱床学的には,全く別のものが混じっているわけです.

「川粉鉄」
 「山粉鉄」を「鉄穴流し」で採集したとき,これを前提として流れ出し,「鉄穴」からすぐ下流に溜まっている「粉鉄」を「川粉鉄」とよんでいます.
 しかし,「鉄穴」から流れ出してしまった「粉鉄」を前提としているのですが,すでに自然に流れ出してしまい現河床に堆積していた(つまり,第四紀・沖積世の堆積物としての)「粉鉄」も「川粉鉄」とよぶようです.要するに,平地に流れる川にあるものであれば,「川粉鉄」とよんだわけです.
 つまり,人為的・人工的につくった「堆積鉱床」も,自然にできていた「堆積鉱床」も「川粉鉄」とよんでいるわけです.
 この「川粉鉄」のうち,自然にできていた「川粉鉄」の方には,特殊な,かつ「たたら師」たちにとっては非常に有益な性質を持っているのですが,それは後で書くこととします.

 なお,大山山麓での「川粉鉄」によく似た「もの」についての注意書きがあります.外見上は(真砂化花崗岩地域の)「川粉鉄」によく似ているが,「温石砂」が混じっており,これは水簸(比重選鉱)でも「粉鉄」と分かれてくれないので,役に立たないと述べています.しかし,この大山の「偽-粉鉄」でも川末(=海岸地域)のものは「銑鉄になる」としています.現代地質学的な意味での違いは理解していなかったにしろ,中国地方-中軸部=真砂化した花崗岩,大山(=火山岩)という違いは理解していたということになるのでしょう.

「浜粉鉄」
 海岸付近には「演粉鉄」もしくは「潰粉鉄」というものがあると書いてあります.これは前後の関係から「濱粉鉄」の書き間違いと考えられています.「濱」は「浜」の旧字.
 要するに,海岸地域にある堆積鉱床なんですが,海岸の環境は複雑なので,一概には説明ができません.基本的には河川の後背地の地質を反映しているはずですが,地形による波の強弱あるいは海流の状況によって,ミクロにまたマクロに粒度および組成が変化し解析は容易ではないことが服部富雄(1962)「本邦砂鉄の構成鉱物と粒度分布について」にかかれています.
 これを反映して,「鉄山必要記事」の記述も,良いものもあれば悪いものもあり,総じて余りよくないというような書き方になっています.


分類? 産地?
 「砂鉄は『山砂鉄』・『川砂鉄』・『浜砂鉄』に分けられる」という記述がしばしば見受けられますが,「産業考古学的な分類だ」としたら文句をつける筋合いではないですが,地質学的には意味がない分類だとおもいます.上に示した窪田蔵郎(1987)の「生成時代別産状別分類」の“地質時代の砂鉄”のように,時代別に分類したあげくに,分類結果がみな「山砂鉄」というのは「不合理な分類」としかいえません.
 “現世の砂鉄”の分類にしても,これは「分類」というよりは,「ある場所」を示しているだけで,意味のあるものにはなっていないからです.「ある場所」を示すなら,「山」にあるか,「川」にあるか,「浜」にあるかだけで十分.こんなに細かくわけてもそれで何かがわかるわけでもない.「分けた」結果として「何も分からない」なら,結局「分ける」必要はないのです.

 窪田氏も最初は単純な「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」という分類(というか産地を示す用語)しか使っていなかったようですが,地質学的な意味を持たせようとして…失敗してしまったのだと思われます.

 

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